先に逝った友へ/加藤 淳
18の時、医学部を目指していた友が入院中の医療ミスで死んだ。長身の彼の足は寝かされた布団からはみ出していた。その翌日、僕は札幌に酒を飲みに出かけ、最終電車で帰るところ乗り過ごした。当時住んでいた北海道余市からふた駅先といえば何十キロも先で、あたりは真っ暗の暗。月明かりにかすかに光る鉄路をひたすら歩き続けた、「ああ、今日は友引で葬式もないんだった。あいつが僕を呼んでいるのかな」なんて考えながら。 あたりが白み始めた頃、隣町に辿り着き電話ボックスを発見した。家に電話すると帰ってこない息子に憔悴しきった母が悲鳴のような声をあげた。その朝に余市から北見に父の転勤で引っ越すことになっていたのだ。かろうじて僕は引越しに間に合い、結局友の葬式に列席することはできなかった。その後、友は生きているふりをしてよく僕の夢に出てきたが。
30になる時、二人の友に相談した。一人は「土下座してでも堕ろしてもらえ」といい、もう一人は「その人にふさわしい形でしか運命はやってこないんだ」といい、僕は後者の意見を受け入れて人の親となった。その年の師走、友が自害した。「大晦日に遊びに行くよ」と言っていたから、影膳を据えて待っていた。この世にあらざるものへの恐怖に怯え、僕は膝に抱いた赤子にしがみついて一夜を明かした。「その人にふさわしい形」と言った友の運命を僕はいまだに承服できない。 35、6の頃にもう一人自害した。前者は鬱で後者は精神分裂(現在の統合失調症)、二人に共通していたのは生きづらい人生を小説に書き、しかし自身をカリカチュアしていい味を出していた。小説編集者として彼らに光を当てることができなかった、という悔いが残る。 サッカー解説者の友がカイロで突然死したのは2006年だったか。殺そうとしても死にそうにないガタイのいい友があっけなく風邪で死ぬなんて。2011年に漫画編集者をしていた友がICUで息を引き取った。その翌年、その娘が父のあとを追って自害した。目の覚めるような美人に成長していたのに、以来若い女性を街中で眺めても、彼女らの心の「闇」を見てしまう。 その後、親鸞を哲学していた友が膵臓癌で死に、小樽の高校時代の懐かしい友の突然死の報に触れた。死はいつもすぐ目の前にあるらしい。 新聞の運勢欄に「死んだら終わりと思う者は真の愛を知らぬ。無責任となるな」と書いてあった。電流が走った。死んだら終わりと思っていた僕は「真理」を忘れていたのだ。「事実」なんてどうでもいい。求めるのは「真理」であり「愛」である。 まあ、糞尿に紛れる前になんとか毅然として死んで、先に逝った友と再会したいものである、あの世はあると信じて。
加藤淳(かとうじゅん) 昭和29年、北海道生まれ。いくつかの職を経て祥伝社で小説、ノンフィクションなどの編集に携わる。現在は依頼があれば編集者、歴史関係のライターなど。依頼がなければ単なる引き籠もり。
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