雨宮由希夫

書評『新装版 汝の名』

書 名   『新装版 汝の名』                      
著 者   明野照葉
発行所   中央公論新社
発行年月日 2020年12月25日
定 価    ¥780E

 

新装版-汝の名 (中公文庫)

新装版-汝の名 (中公文庫)

  • 作者:明野 照葉
  • 発売日: 2020/12/23
  • メディア: 文庫
 

 

 前作の『誰?』(2020年8月刊)に引き続き、女性の心理を巧みに描きあげ、あわせて現代社会の病理をも暴き出す明野照葉の世界にまたしても魅せられた。
 金も社会的な地位も得て優雅な生活を送る女と、そんな女に憧れを抱きながら奉仕する真逆の女。主人公のこの二人の女性はもちろん創作上の人物だが、凄まじき生の軌跡を追っているノンフィクションを読んでいるかのようで一気読みさせられた

 若き経営者・麻生(あそう)陶子(とうこ)33歳は表参道でETS(エクストラ・タレント・スタッフ) の事務所を構えている。業種で言えば人材派遣業である。30代の若さで事業に成功したが、美貌で独身の陶子にとって男とは、自分に何かを与えてくれる存在でなければ意味がない。計算づくで世を渡る陶子が素に戻るのは、神宮前の我が家、5歳年下の妹の久恵(ひさえ)の前だけである。
 妹の久恵は姉の陶子のことを「陶子ちゃん」と呼ぶ。ふつう5つ年下の妹が姉のことを、「〇〇ちゃん」と名前で呼ぶだろうか、と読者は訝るであろう。作家の仕掛けた〈罠〉に気づきつつ読んでいくことになる。

 姉妹というのは不思議である。血肉は誰よりも似通っているはずなのに、まったくといっていうほどに体型も、性格も異なることが多い。陶子と久恵もその類で、陶子は165センチ、長くて格好のいい脚。弾力を持った胸、長い手脚。美貌の上にしなやかな身のこなし、お洒落でセンス良し。対して、久恵は小柄で顔立ちは悪くないが、雰囲気そのものが陰気。内向的な性格。まったくの真逆である。
 それというのも当然だと知る。二人は実の妹でも何でもない。山梨県甲府市の出身で、高校時代の同級生。同い年ながら、陶子は久恵に妹という役柄をあてがった。同居人の二人は周囲の人々には姉妹と名乗るが、その実、二人ともが仮初めの人生を演じて生きている。久恵は2年前、光耀製薬を退職。以来、勤めには出ていない。無職の久恵はもう2年以上も陶子のところで、家政婦のような居候生活をしている。
「ある日」を境に、この奇妙な姉妹関係が崩れ始める。作家の仕組んだ〈罠〉の一端が解きほぐされ、驚愕の事実が徐々に明らかになっていくのである。

 陶子と久恵の関係は対等ではない。陶子はある意味、久恵の雇い主なのである。陶子に生活を依存している以上、陶子の機嫌のよくないときには虐待されるなどそのはけ口にされるのは、いわば久恵の役割。いかにDVされようと陶子を崇拝し奴隷の如く仕える久恵は、「ずっと陶子とこんな暮らしを続けていたい」と念じている。
「ある日」久恵は嫌な予感がした。陶子に愛する男ができたのだ。男の名は壱岐亮介、38歳。クラウンホテルグループ会長・壱岐丘一郎の次男である。久恵は祈る、「男なんて好きにならないで、自分を置いていかないで」と。自分が見捨てられて、陶子との生活が終わるかもしれないと考えただけで恐ろしい。
 久恵の予感通り、陶子は亮介と出遭ったことで女に戻った。「人間として、女として、本当の意味でしあわせになるのよ」。亮介と生きていくためには、仕事も手放してもいいとさえも。そう思うと陶子にはふと久恵が気味悪い存在にしか思えない。そして、さらにこうも思うのだ、いずれは久恵を斬り捨てなければならない。
 ここで、作家はさらなる〈罠〉を読者の前にさらけ出す。いや実はすでに「プロローグ」の章で、〈罠〉は明快に張り巡らされていたのだった。
「私は麻生陶子ではない。三上里矢子」と陶子が語り始める。陶子は仮初めの「日常」を生きる上での役名に過ぎず、三上里矢子が本名であるというのだ。当然、久恵は陶子が三上里矢子だということを知っている。久恵の知らぬ間に陶子は、一度は捨てたはずの三上里矢子に返っていた。
 陶子が男に心奪われて、久恵を不用品のように捨て去る気持ちを固めた頃、久恵の中で、突然のように怒りが沸き起こる。ある場所で、「あの女が死んだ。三上里矢子」。久恵は本物の麻生陶子の今現在の居所を突き止めた。「私は陶子ちゃんを守るために、そこまでやったのに。陶子ちゃんの裏切者」。
 何をするにも地味で冴えない久恵がはじめて自らの生に執着を覚えた「あの時」、久恵は自分を殺すか、他人を殺すかの選択に迫られた…………。
「別に姉妹でもありません。ただの同居人同士」と電話口で話す久恵の声を、今もおむつを当てられた陶子が自分の寝室のベッドに身を横たえながら聞いている。
 久恵が陶子に与えている薬は副交感神経遮断薬。薬は恐ろしい。陶子の気力を見事なまでに奪い取り、からださえ思うように動かなくしてしまう。今も陶子は、久恵に言われなければ動けない。このまま黙って薬漬けにされ、「妹」が張り巡らせた〈罠〉でやがて殺されるかもしれない。この状態が何によってもたらされたか、陶子にはすでに自分が知っているという手応えもあったが、一度夕食を摂った後に不調を覚えた時点で、陶子は可笑しいと気づくべきだったのだ。
 陶子は2年半の間、妹という名の下に久恵を飼ってきた。そして、不要となったらどこへでもおいきとばかりに放りだそうとした。立場はかつての陶子と同じでも、久恵は陶子の自由意思を強制的に奪って監禁している。「姉」を監禁下に置いた久恵は
 それまでの孤独で惨めな暮らしの憂さを晴らすかのように自由気ままで、エステティックサロンでもヘアサロンでもどこへでも出入りし、、麻生陶子と名乗り、陶子の財を食いちぎっている。
 久恵が外に出ることによって出遭った老人たちとの関わりこそ、作家が描こうとしている本書のテーマであろう。

 久恵は製薬会社に勤めていた経験が生き、老人たちに頼られる。彼らとの交流が深まるほどに、年寄りが何を最も恐れているかが分かってきた。問題は、死そのものではなく、死に至るまでの過程、自らの身を処することができなくなった時のことを考えた時である。高齢者たちの二大苦はひとり病に喘ぎ苦しむ孤独と、世話を焼いてくれる肉親もおらず、他人に面倒を賭ける不安である。
 孤独にもがき苦しんでいる人、という点では無職で未婚の久恵は年寄と同じだ。
孤独で惨めな暮らし。私の20数年はなんだったのだろうと孤独感にひたる毎日を過ごしている。生まれ育った家であっても、帰る場所ではなくなった。付き合っている男もいなければ友人もいない。ひとつとしていいことのなかった33年だった。このまま終焉を迎えて悔いはないのか。33歳にして、さながら先のない老後生活だ。
 ストーリーの合間に綴られる次の一文は優れた文明批判である。
「一族が故郷の地でまとまって暮らしていた時代とは違う。いかに子供をもうけようが、子供には子供の個としての生き方があり、暮らしがある。成長した子供が結婚を機に独立することも、遠くにいてろくに面倒を見ない子供たちも、当然。経済のシステムがそういうふうにできているのだ。自分がそのシステムの歯車の一つとして廻っているときは、別に何とも思わないが、歳をとってみた時に、ひずみが一挙に押し寄せる。経済システムからいったんはずれると、この社会では人が人ではなくなる」。
 久恵が最も弱い立場の孤独な老人たちに取り入って食い物にするというのは、卑劣な行為であるが、それを言うなら、そもそも陶子の人材派遣とは名ばかりで、人の弱みに付け込み人を不幸にして稼ぎを得ている「事業」も褒められたものではない。畢竟、陶子と久恵は似た者同士ということになる。
 作家は「妹」が平然と「弱き者」の仮面をかぶり、狙った獲物の「姉」をしとめる軌跡を物語に仕立て上げているが、「エピローグ」はこれまたなんとも凄まじい。
 作家の仕掛けた罠の数々は巧妙で拙評では書き尽くせない。

 なお本書は『汝の名』(2007年6月25日刊・中公文庫)を13年ぶりに新装・改版したものである。読了した今、ここに描かれた「日常」に居場所のない女や老人たちと同じ地平に自分もいるのだということと、現代社会の病理は今日、13年前に比してますます深まっていることを痛感している。

 明野(あけの)照葉(てるは) は1959年、 東京都中野区生まれ。1982年 東京女子大学文理学部社会学科卒業。1998年「雨女」で第37回オール讀物推理小説新人賞を受賞し、デビュー。2000年『輪(RINKAI)廻』で第7回松本清張賞を受賞。
            (令和3年2月23日  雨宮由希夫 記)