頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第12回「江戸の小判ゲーム」(講談社現代新書)

『江戸の小判ゲーム』(山室恭子講談社現代新書

江戸の小判ゲーム (講談社現代新書)

江戸の小判ゲーム (講談社現代新書)

  • 作者:山室 恭子
  • 発売日: 2013/02/15
  • メディア: 新書
 

 

 本書の奥付を見ると、2013年2月20日第1刷発行となっています。
 発行後しばらくして買ったのですが、積ん読ままになっていました。それをなぜこの時期に読んだのかというと、江戸の北町奉行から勘定奉行に役替え(現代でいう人事異動)となった柳生主膳正久通のことを調べていたからです。
 本書は以下の4章構成となっています。
第1章  お江戸の富の再配分
第2章  改革者たち
第3章  お江戸の小判ゲーム
終章  日本を救った米相場

 このうち、「第2章 改革者たち」にその柳生久通が登場します。そこでの久通は、北町奉行から左遷されてふて腐れた姿はありません。章題にある通り、まさに改革者として「未来の江戸を築くため、プロフェッショナルなチーム」の一員として、「プロジェクトX」(注1)しているのです。(4ページ)
 今回は特に久通の関わる第2章の「プロフェッショナルなチーム」について述べることによって、本書の紹介に代えたいと思います。
 本書は4つの章の斬新なタイトルのように、「支配-被支配という上下関係の構図に狎れ過ぎてしまった嫌いのある」歴史学の「タテの支配関係でなくヨコの均衡という構図を持ち込んだ」という著者の意欲作であり、そのために著者が持ち込んだ理論は「ゲーム理論」(注2)です。(3ページ)

 松平定信の行った寛政の改革の目玉政策はいくつかありますが、第2章で述べられているのは、棄捐令と江戸市中での七分金積立の2つです。
 棄捐令とは、簡単に言えば旗本・御家人の「借金を棒引きにする」政策です。著者はこれを「棄捐令プロジェクト」と命名しています。(46ページ)
 江戸市中での七分金積立とは、地主が負担している町入用費を節減し、その節減額のうち七分(割)を積み立てて、町民救済に充てようというものです。積立の事務を行う会所を浅草向柳原に設置したことから、著者はこれを「会所プロジェクト」と命名しています。(47ページ)
 そしてこの二つのプロジェクトをずばり「チーム定信」と名付けています。

 棄捐令プロジェクトのリーダーは、もちろん松平定信です。「30歳にしていきなり老中首座に任じられるという破格の昇進を遂げ、颯爽と政治改革に邁進中」と紹介されています。(46ページ)
 メンバーは、まず久世広民(勘定奉行)、「武家と商人の双方の得失に目配りできる視野の広いプランナー」で「プロジェクト成功の立役者」です。(46ページ)
 ついで、久保田政邦(勘定奉行)、「経済畑ひとすじ。米価政策の失を問われて失脚するなどの経歴を重ねた苦労人」のようです。(同上)
 そして、初鹿野信興(江戸町奉行)は、「札差全員を招集して、極秘に準備した驚天動地の棄捐令を申し渡す大役を果たす」こととなります。(同上)
 最後に、山村良旺(江戸町奉行)、「町方行政を歴任」し、「豊富な経験を活かして法案作成に参画」しますが、「棄捐令発布の直前に転勤を命ぜられ戦列を離れる」悲運な人です。(同上)
 その無念、いかばかりだったことでしょう。その気持ち察するに余りあります。仕事でプロジェクト経験のある方なら共感できるのではないでしょうか。
以上4人が正式なメンバーですが、もう一人、業務委託した人物として樽屋与左衛門(町年寄)が紹介されています。
 樽屋は、「市井の裏事情に通暁した実務家」で、「奉行衆の机上プランを実行可能なかたちに落とし込むとともに、定信が原則論に傾いて計画が頓挫しかかった際には裏ルール設定で回避するなど」「しばしばプロジェクトの窮地を救った」人物のようです。(47ページ)

 もう一つの町会所プロジェクトのリーダーは、当然のことながら松平定信です。
メンバーは、こちらも4人。まずは久世広民(勘定奉行)で、前回からの留任です。今度は「担当奉行のひとりとして合議の一角を占めるにとどま」ったようです。「後進を育てようという意図」があったのではないかと著者は推測しています。(48ページ)
次ぎに、柳生久通が登場します。当然勘定奉行で新任です。「職務遂行のためには残業も地方出張もものともしない情熱家」として紹介されています。(同上)
 勘定奉行に異動になって、夜遅くまで居残って部下の不興を買っていた久通ですが、残業をものともしない「情熱家」とは、私にとっては嬉しい評価です。
 さらに、初鹿野信興(江戸町奉行)で、こちらは留任です。「前回のプロジェクトの経験者として町方の調査とファンド設立に尽瘁し」ますが、「プロジェクト成功を目前にして無念の病没」。(同上)さぞや悔しかったことでしょう。
 最後に、山村の後任池田長恵(江戸町奉行)。当然新任です。「プロジェクト終盤に『芥銭』=ゴミ回収費の調査にまで踏み込んだ仕事の鬼ぶりは、まさに元祖・どぶ板行政」と紹介されています。(同上)
 そして今回も樽屋が登場しますが、今回は具体的に関与した形跡は見いだせないようです。(同上)

 棄捐令プロジェクトが、寛政元年(1789)3月立案、同年9月実施。そして、町会所プロジェクトが、寛政2年(1790)3月立案、寛政3年12月実施。山あり、谷あり、無念のリタイアあり。まさに、「プロジェクトX」ではないでしょうか。
 具体的にどのように進展し、実施にこぎつけたのか、現代のプロジェクトとどう違って何が同じなのか、中島みゆきの『地上の星』(注3)を聞きながらお読みいただければ、さらに興味深いのではないでしょうか。(ちなみに、本作は小説ではなく、あくまでも新書専門書の類ですので、ドラマは読者の想像力をフルに使ってください。))

 なお、「第1章 お江戸の富の再配分」では、武家と商人が「win-winの間柄だったこと」、「第3章 お江戸の小判ゲーム」では、貨幣の改鋳(小判の劣化改鋳)がないと江戸の経済が回らなかったことの「なぜ」について述べられています。こちらも斬新な視点が興味深いです。

(注1) 正式名称は、『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』、NHK総合テレビで2000年3月28日~2005年12月28日まで放映されたドキュメンタリー番組。
(注2) 社会や自然界における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を数学的なモデルを用いて研究する学問。といってもちんぷんかんぷんなので、著者の「はじめに」から引用すると、「それぞれのプレイヤーなりの行動の選択肢=戦略があって、個々のプレイヤーが自分の利得を最大化するように行動したら、どんな均衡が導かれるのだろうかという問題の立て方」をする理論だと述べています。
(注3) 中島みゆきの37作目のシングル。2000年7月19日発売。

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