シネコラム

第366回 生きる

第366回 生きる

昭和五十四年四月(1979)
池袋 テアトル池袋

 

 毎日休まず一年三百六十五日、好きな映画のことを書き綴った『映画に溺れて』も、今後は少し減速し、ゆるりゆるりと風の向くまま気の向くまま、思いついたときに。
 浜の真砂は尽きるとも世に映画のネタは尽きまじ。実生活でも映画に耽溺する人生、まだまだ続く。というわけで、さっそく三百六十六回めは黒澤明監督の『生きる』から。

 志村喬ふんする市役所の市民課長。勤続三十年、無遅刻無欠勤の記録。仕事は書類に判を押すだけ。どぶ川が悪臭を放ち大量の蚊が発生して困るので、なんとかしてほしいと陳情の地域住民。あっさりと、土木課へ行くよう指示する。いわゆるたらい回し。若い女性職員が課長につけたあだ名がミイラ。市役所で地位を守るためには、特別なことは何もしないのが一番なのだ。
 この渡辺課長がある日、自分が胃癌で余命半年と知る。さて、息子にも打ち明けられず、悩み、苦しみ、役所を無断欠勤。そしてあるきっかけから、自分にも、まだ何かできることがあるはずだと気づく。彼が決心する場面にたまたま学生たちの誕生パーティで流れる歌がハッピバースデイトゥーユー。ミイラのごとき渡辺課長がここで新しく生まれ変わったのだ。
 久しぶりに出勤して、自分の机の上に積み上げられた書類の山から一枚取り上げる。どぶ川に苦しむ地域住民の陳情書。これだっと飛び出して行く渡辺課長。
 そこでいきなりお通夜。課長のお通夜に集まる市役所の職員たち。どぶ川が立派な児童公園に再生されたのは、死んだ市民課長の奔走のおかげらしい。が、助役や公園課長ら幹部職員の手前、市民課の連中はだれも渡辺の功績を讃えられない。そこへ地域のおかみさんたちがお参りに来て、渡辺の遺影の前で泣き崩れる。しらけてそそくさと帰る助役以下、幹部たち。残った職員の間で、あの渡辺さんが、どうして急に人が変わって、どぶ川を公園にするために奮闘努力したのかが話題に出て、公園ができるまでの回想場面。
 この映画、何度観ても、うまいと唸ってしまう。見事な脚本の作り方。そして俳優たち。どの役の人も、ほんとうにひとりひとりリアル。
 主演の志村喬、市民課職員の藤原釜足千秋実田中春男、左卜伝、小田切みき日守新一、みんな市役所の職員そのものに見える。助役の中村伸郎、息子の金子信雄、兄の小堀誠、兄嫁の浦辺粂子、無頼作家の伊藤雄之助宮口精二加東大介がやくざの役でちらっと出ていたり、若い医者が木村功だったり。ああ、この人たちは七人の侍ではないか。どぶ川に苦しむ地域住民の若い主婦が菅井きん。出演者ひとりひとりを見ているだけでうれしくなる。

 

生きる
1952
監督:黒澤明
出演:志村喬小田切みき金子信雄、関京子、藤原釜足田中春男、左卜伝、千秋実日守新一中村伸郎伊藤雄之助宮口精二加東大介清水将夫木村功浦辺粂子、小堀誠、菅井きん南美江