雨宮由希夫

書評『嵐を呼ぶ男!』

書名『嵐を呼ぶ男!』
著者名 杉山大二郎
発売 徳間書店
発行年月日  2019年11月30日
定価  本体2000円(税別)

 

嵐を呼ぶ男! (文芸書)

嵐を呼ぶ男! (文芸書)

 

 信長という風雲児は“破壊者”でもあり、“建設者”でもあった。その信長について、好きな人は大好きで、天下統一に邁進した革命家のごとく英雄視し、嫌いな人は英雄と認めつつも大嫌いで、中世的権威や旧体制の破壊者、すなわち革命児といった信長のイメージを徹底的に剥がそうとする。好き嫌いの分岐は“破壊”に軸を置くか、“建設”に軸を置くかの座標軸の設定次第であろう。

 杉山大二郎の『嵐を呼ぶ男!』は、信長の全生涯を描くのではなく、信長が弟信行(のぶゆき)(本書では「信勝(のぶかつ)」)を謀殺するまで(本書では「謀殺」にあらず)の若き日の信長を描いている。したがって当然ながら、歴史小説の激戦区になっている桶狭間の戦いも、本能寺の変もなし。さりながら、語りつくされた感のある史材で、誰もが描かなかった「信長」を描いている。信長はうつけ(からっぽ)などではなかった。熱い思いが溢れるほどに満ちた、清々しい男であった。そうした「泣かせる信長」に読者は魅せられることであろう。
 20歳前の信長が物乞いに化け、わずかな友を連れただけで、戦(いくさ)で焼かれ飢饉にあえぐ、隣国美濃との国境の村の様子をつぶさに見、母が餓死寸前の幼き我が子の首を己が手で絞め殺すところに出くわすという冒頭のシーンはこれまでの“信長もの”歴史小説にはないものである。
 国と国が奪い合うから戦(いくさ)になる。どちらかがなくなれば奪い合いなど起こらない。すべての国がなくし一つに束ねて、天下静謐(てんかせいひつ)――民が皆安寧に暮らせる、戦のない新しい世――を俺信長が造る、と。
 日本という国の在り方そのものを問うて、日本が一つの国であるという信長の国家観は独特である。国の消滅とは、戦国時代人の誰もが持っていなかった革命思想ではないか。作家が、この信長の国家観に着目した時点で、本作は作品として成功を収めたといってよい。かくて、血で血を洗う骨肉の争いの中に、本当に天下静謐を思う一心で戦国の世を生きた信長が語られる。
 信秀(のぶひでひで)・信長父子の家である「弾正忠(だんじょうのちゅう)織田家」は二つに分かれた尾張国守護代家の家老という家柄で、織田家の主流ではなく、傍流の一つに過ぎなかったが、弾正忠織田家は伊勢桑名から海路尾張に来る船着場として栄えた港町・津島湊を掌握することで発展してきた。信秀は津島から上がる金を元手に伊勢外宮の造営費や禁裏修復料を寄進して、主家の守護代清洲織田家をとびこえ、朝廷にまで知られ、東に駿河今川義元(いまがわよしもと)、西に美濃の斎藤道三(さいとうどうさん)に挟まれた尾張国において、守護代家さえしのぐほどの存在になった。この父なくして「信長」はなかった。

 信長の前半生で重要な位置を占めるもう一人の人物は「美濃の蝮」こと斎藤道三である。権謀術数の限りを尽くして美濃国主に成り上がった道三は、下克上を絵にしたような人物だが、娘の帰蝶(きちょう)(従来の小説では「濃姫(のうひめ)」)を信長に嫁がせている。舅と婿が初めて会った尾張富田(とみた)の聖徳寺(しょうとくじ)の会見では、二人は一言も言葉を交わすことはなかったと巷説は伝えるが、本作の二人は心を通わす。
「天下静謐」を語る若き信長に対して、道三は「この道三を謀るか、大言壮語を吐きおって、噂に違わぬ大うつけめ」といなすも、「歴史に悪魔と名を刻むことになろうが、覚悟はできているのか」と信長の行く末を親身で案じ、「今しばらくこの乱世を生き抜き、婿殿が造る新しい世というやつをこの目で見てみたくなったわ」とつぶやく。娘婿たる信長に愛情を寄せる道三は、この後、実子義龍に討たれるが、美濃一国の譲り状を信長に書き遺す。「国を一つにする」という信長の夢は、隣国美濃の併合からスタートすることになるのである。

 信長には二人の「正室」がいたとする見解がある。
 最初の、正真正銘の正室斎藤道三の娘・帰蝶である。史上の帰蝶は、ついに信長の子を産むことはなく、正室でありながら、いつ死亡したのかさえ不明であるという。また、弘治2年(1556)4月、帰蝶の父・斎藤道三が嫡男義龍との戦いに敗れ死去した直後に、史料上、名前が消えることから信長とは離別したのではないかとみる研究家もいる。本書では、政略結婚にもかかわらず信長と帰蝶は非常に仲むつまじかしく、道三の死後、帰蝶自らの意志で、夫信長の夢を実現させるべく信長の許を去ったと描かれている。
 もう一人の正室の吉乃(きつの)であるが、本作では、「類(るい)」なる女性として、母が我が子を縊り殺す冒頭のシーンから登場させている。史上の吉乃は「永禄9年(1566)信長33歳、5月13日、吉乃 死す」と刻され、「信忠(のぶただ)、信雄(のぶかつ)、徳姫(とくひめ)(家康(いえやす)嫡男信康(のぶやす)の室)と、3年つづけて子供を産み、力尽きたように斃れた、あまりにも短い人生だった、とする歴史小説もあるが、本作では、生駒家長(いこまいえなが)の妹の類は、荒れた言葉遣いの男勝りの気性の女子である。「すべての国がなくなれば世は平和になる」との類の言葉に信長は震えが止まらない。
 帰蝶と類。信長の夢と理想の実現に共鳴したこのふたりの女人の中に、作家は信長の青春を描いている。

 本作は作家にとって初めての歴史小説であるが、キャラクター設定の巧みさはずば抜けている。
 明智光秀(あけちみつひで)が信長に仕えたのは永禄7年(1564)9月とする説があるが、本作では、道三の正室小見(おみ)の方の甥で、帰蝶の従兄弟にあたる光秀が信長と帰蝶の婚儀で、帰蝶の輿入れの際の、「警護人」として登場するには目を瞠らさせられる。
 これまでの「信長もの」では登場しない人物も登場、その代表格は津々木蔵人(つづきくらんど)である。信長の弟・信勝の近習である蔵人は出処もよくわからない流人だが、武辺者の柴田勝家(しばたかついえ)と違い、文官として優れた才を発揮し、信勝一派の重鎮。
 信勝にとっての信長は弟思いで心優しき世話好きの兄。信勝は「天下静謐」の夢を語る、清々しく無垢な兄が大好きだが、「この世は、兄上が思うほど容易なものではない」と反論するも、兄に弓引く気などない。しかし、信長を廃嫡し、信勝を弾正忠家の棟梁に据えようとする家中の密謀が進む。信長の右腕となるべき筆頭家老の林秀貞(はやしひでさだ)までが信長廃嫡を画策し、稲生の原(いのうのはら)の戦いでは、後に織田軍団を率いる司令官となる柴田勝家が信勝側について信長軍の前に立ちはだかる。
 本作は信長25歳の永禄元年(1558)11月2日、信勝の死で終わっている。

 青年時代のみを抽出して描くということは、晩年の老いさらばえた姿をさらさずに済むという利点もあるが、それ以後、天下布武の名の下に天下静謐を目指し、本能寺の変で斃れるまでを『嵐を呼ぶ男!』の続編として読みたいものだと、多くの読者は願っていよう。続編も、あふれる想いを、情熱を、全身全霊を込めてぶつけた作品であるに違いない。

          (令和元年11月27日  雨宮由希夫 記)