頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー7
『「ひとり」の哲学』(山折哲雄、新潮選書)
本年9月15日に総務省が発表した「統計トピックスNo.121」(統計からみた我が国の高齢者)によると、65歳以上の高齢者は3,588万人で、前年より32万人増加し、過去最多となりました。総人口に占める高齢者の割合は28.8%と、前年(28.1%)に比べ0.3ポイント上昇し、過去最高となりました。
男女別にみると、男性は1560万人(男性人口の25.4%)、女性は2028万人(女性人口の31.3%)と、女性が男性より468万人多くなっています。
高齢者の総人口に占める割合を比較すると、日本(28.4%)は世界で最も高く、次いでイタリア(23.0%)、ポルトガル(22.4%)、フィンランド(22.1%)などとなっています。
人口に占める高齢者の割合が21%を超えると「超高齢社会」(WHO(世界保健機関)の定義)ということですので、日本は確実に「超高齢社会」ということができます。
ちなみに、こちらは内閣府ですが、「平成29年版高齢社会白書」によれば、65歳以上の一人暮らし高齢者の増加は男女ともに顕著だそうです。昭和55(1980)年には男性約19万人、女性約69万人、高齢者人口に占める割合は男性4.3%、女性11.2%でしたが、平成27(2015)年には男性約192万人、女性約400万人、高齢者人口に占める割合は男性13.3%、女性21.1%だそうです。
ところで、「日本の男性を蝕む『孤独という病』の深刻度」(注1)という記事によれば、我が国は「非婚化が進み、生涯未婚率は2020年には男性が26.0%、女性は17.4%、2030年には男性が29.5%、女性は22.5%まで上昇するとみられ、男性の約3人に1人、女性の4人に1人は生涯独身という時代を迎えようとして」おり、「過度な一人ぼっち信仰が、結果的に、日本人を「孤独」へと駆り立てているところがあるような気がしてならない」と述べて、世界で最も恐れられている「伝染病」は、「孤独」であり、「社会的孤立が私たちを死に追いやる」「慢性的な孤独は現代の伝染病」等々、欧米のメディアにはこうした見出しが連日のように踊っているといいます。(注2)
定年退職年齢は、60歳から65歳になりつつありますが、それでも定年退職後の有り余る時間を私たちは「孤独」とどう向き合えば良いのでしょうか。
その解の一つになりそうなのが、本作『「ひとり」の哲学』なのです。
本作は、まず、「孤独」と「ひとり」の違いを明確にすることから始めます。
戦後の高度経済成長によって日本は豊かになりました。しかしながら、そのことにより「ひとりで生きるという意識が、われわれのあいだからしだいに消え失せていった」(8ページ)のではないかというのです。
世間では、孤立死や孤独死など、あたかも「孤独」が悪いことのように言われることが多いのですが、「超高齢社会」になれば、ひとりで生きるほかない領域が、空間的にも時間的にも広がってきているはずなのです。(12ページ)
ところで、「ひとり」という大和ことばは、すでに『万葉集』や『源氏物語』以来、千年の歴史をもっています。(13ページ)
ということは、「ひとり」についての考え方も千年の歴史があるということになります。その歴史の中で画期となったのが13世紀であり、親鸞、道元、日蓮、法然、一遍という鎌倉新仏教の創始者のそれぞれの「ひとり」の考え方を紹介し、当時のこうした思想が、「ひとり」の「存在を核とする人間観の誕生を準備し、その世界観の転換を促した」(201ページ)というのです。
しかしながら、明治維新後の近代個人主義の受容、あるいは近代的な自我確立の試み、さらには、戦後の「個」の自立と「個性の尊重」という掛け声のもとに広まっていくイデオロギーによってヨコの人間関係だけを意識しつづけることとなり、タテの関係を忘失した結果、横並び平等主義とともに身近な第三者と自分を比較する癖がついてしまいました。その結果、自己愛の個が蔓延し、孤独な個の暴走する姿が巷にあふれるようになり、「いつのまにか、個の自立、個性の尊重という観念を空洞化させて」「人間関係の網の目をズタズタに引き裂いてしまった」のです((206~214ページ)。
それはなぜかというと、個とか個性という言葉が、「西欧近代社会がつくりだした新しい理念」(214ページ)であり、その理念を「日本の伝統的な『ひとり』の価値観と照らしあわせ、それこそ真剣に比較してみる作業をほとんど完全に怠ってしまったから」(同)だといいます。
わが国では「ひとり」という「大和ことばが、まさに『個』にあたる固有の場所に鎮座して」(215ページ)いました。「『個』として自立することと、『ひとり』で生きていく覚悟はけっして矛盾するものではなかった」(231ページ)のです。
ひとりで立つのは、「けっして孤立したまま群衆の中にまぎれこむことではない、無量の同胞の中で、その体熱に包まれて生きる」ことであり、「太古から伝わるこの国の風土、その山河の中で、深く呼吸して生きる」のであり、「垂直に広がる天地の軸を背景に、その中心におのれの魂を刻み込んで生きる」のであり、「混沌の深みから秩序の世界を見渡し、ひるがえって秩序の高みから混沌の闇に突入する気概をもって生きる」ことであり、「その終わりのない『こころ』のたたかいの中から、『ひとり』の哲学はおのずから蘇ってくるはず」であり、「そのときはじめて、われわれ人間同士の本質的な関係が回復されるにちがいない」と結びます。(233ページ)
本作を読むと、わが国では、古来より、孤独に生きるのではなく、「ひとり」で生きるのが当たり前のことのように思えてきます。ここに「孤独病」を克服する哲学がありそうな気がするのですが、「哲学」だけあってその内容はかなり難しいです。
とはいいながらも、親鸞、道元、日蓮、法然、一遍という鎌倉新仏教の創始者の作者流の紹介を読むだけだけでもけっこう面白いです。
(注1) 東洋経済ONLINE(9月26日版)https://toyokeizai.net/articles/-/203862
(注2) 上記は、岡本純子さんの記事で、最後に「定年後の長い時間に必要なのは『終わるための活動』ではなく『元気にはつらつと生きていくための活動』であるはず」で、そのためには、「『一人』を楽しみながらも、『孤独』を過剰にロマン視したり、畏怖するのではなく、適度に怖れる必要があるのではないか。また、40代、50代の内から、将来的な『孤独』について考え、その対策をしておくことも大切だろう」とし、『世界一孤独な日本のオジサン』(角川新書、岡本純子)を紹介しています。
(注3) 本作は、親鸞、道元、日蓮、法然、一遍という鎌倉新仏教の創始者の紹介でもあります。そのため、本ブログで取り上げました。
(注4) 括弧の数字は、本作のページ数を表します。