第121回 人情紙風船
平成四年六月(1992)
早稲田 ACTミニシアター
映画がサイレントからトーキーに移行する昭和の初め、映画監督としてデビューし、次々と作品を発表して注目されながら、召集され戦地の中国で若くして戦病死した山中貞夫。その最後の作品が『人情紙風船』である。
河竹黙阿弥の『梅雨小袖昔八丈』に登場する髪結新三のストーリーに長屋の貧しく生真面目な浪人夫婦の悲劇を絡ませて、江戸時代がきめ細かく描かれている。
浪人海野又十郎が河原崎長十郎、新三が中村翫右衛門。ともに当時の前進座の重鎮である。
裏長屋に住む海野又十郎は、わずかな伝手を頼って仕官を願うのだが、軽くあしらわれ、それでも諦めきれず、日参の末、最後には手ひどく追い返されてしまう。妻は内職で紙風船を作って暮らしを支えているが、先行きは見えない。昭和初期の不況、失業、生活苦が江戸時代に重ねられているのだろう。
一方、髪結いの新三は遊び人の小悪党。やくざの親分弥太五郎源七ににらまれ、いためつけられる。腹いせに源七が出入りしている大店白子屋の娘お駒が番頭忠七と恋仲なのを知り、これをそそのかして駆け落ちさせ、お駒をだまして長屋に連れ込む。たまたま又十郎がこれに手を貸すことになる。
嫁入り前の娘に瑕がついてはいけないと、白子屋は娘と引き換えに大金を新三に渡すことになる。まんまと強請った金で新三は長屋中に大判振る舞いのどんちゃん騒ぎ。が、真面目な夫が悪事に加担したと知った又十郎の妻が、夫を殺して自害する。
新三もまた、弥太五郎源七一家に命を狙われる。
当時の時代劇は京都での製作が多く、山中貞夫も関西人であるが、この『人情紙風船』は東京で前進座を中心に作られており、実にリアルで、江戸情緒たっぷり。
やくざの手下のひとりを演じている市川莚司という俳優、これが若き日の加東大介である。