出がらし紋次郎の「歴史こぼれ話」
第3回「昔の名前で呼ばないで」
ずいぶんとご無沙汰してしまいました。
その間に、季節は春を通り越してすでに初夏、平成も終わり令和の世の中になっています。そして、歴史時代作家の皆さんの団体も新組織に編成し直され、心機一転、再出発とのこと。順風満帆の船出となられることをお祈りいたします。
「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」
明治の小説家、斎藤緑雨が詠んだと伝えられる川柳ですが、なるほど人や組織、あるいは事件などの名称は、今回、皆さんの団体が改名された事例以外にも、同じ事象・内容を示すにせよ時代や世の中の流れ、あるいは国や地域によって違う言葉になってしまうことはよくある話です。
そこで今回は、歴史用語今昔物語というテーマで蘊蓄を傾けてみたいと思います。最後までおつきあいよろしくお願いします。
前回、前々回で取り上げたキリシタン弾圧や禁教政策の契機となった事件で有名なものが、天草四郎に率いられたキリシタンが武力蜂起して島原城に立て籠もり、幕府軍を相手に善戦した島原の乱であることは皆さんご存知のことでしょう。
ところが、この耳になじんだ「島原の乱」という歴史用語は、手元にある高校生向けの教科書、2015年版『新日本史B』(山川出版社)では「島原・天草一揆」という用語に置き換えられています。
これはひとえに、この争乱を、①権力者vs民衆という、前代からの土一揆の延長線上に位置するもの、②各地に潜伏する仲間との内乱誘発を企図したキリシタンによる宗教戦争、ととらえる考え方が一般的になってきたからに他なりません。結果、明治期以降使われていた内乱を意味する「乱」という呼称は意味合い上相応しくないとされ、中近世の日本各地で展開した一揆という民衆運動の中心に位置づけられるようになり、争乱の舞台となった地域名を補って、「島原・天草一揆」という新しい呼称が誕生したわけです。
もちろん学問的にはそうなのでしょうが、時代小説や歴史小説の愛好家にしてみれば、「島原・天草一揆」と言うよりも「島原の乱」と言われた方が、何となく美少年天草四郎の悲劇や宮本武蔵の奮戦を想起することができるのではないでしょうか。小説家の皆さんは自分の思うところのままにタイトルを紡ぎ出し、そこに伝えたい思いを込めているわけでしょうから、それが最新の学術的歴史用語とは別のものであってもうなづけることだと思います(読者にしてみても、加藤廣の遺作『秘録島原の乱』が、『秘録島原・天草一揆』では食指が動かないですよね)。
さて、先に内乱を意味する呼称として「乱」という用語を挙げましたが、皆さんは鎌倉時代に起きた幕府と後鳥羽上皇側との戦乱を何と呼んでいますか? ほとんどの方が承久の「乱」とお答えになると思いますが、これも少し前までは承久の「変」と呼ばれていたことがあるのです。
「乱」と「変」の違いについては、前者は支配的政治体制の変革にまで及びかねない叛乱事件であり、①政治権力に対する武力による反抗(承平・天慶の乱、保元・平治の乱、大塩平八郎の乱など)と、②政治権力の収奪による内乱状態(壬申の乱、承久の乱、応仁・文明の乱など)の二つに分類されています。対して後者は政治的支配層の内部で起こった権力闘争であり、これも、①権力者の天皇・皇族・将軍らが弑逆・配流などに遭い(一つの立場から見て)不当な立場に置かれた事件(承久の変、正中の変など)、②政治上の対立による陰謀事件(長屋王の変、応天門の変、桜田門外の変など)に分類され、これが学界のスタンダードとなっているようです。ところで、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、承久の乱は、「乱」「変」それぞれで分類されています。これは戦前までは「変」が使用されていた事実があり、その原因に、戦記文学などの原典に拠ったこと、天皇や上皇が乱=叛乱を起こす道理がないとする皇国史観の立場が色濃く反映しているためでもあったと言われています。
歴史用語で事件や戦争を表すものには、乱や変のほかにも、役(えき)、戦、陣、合戦、事件、事変、戦争、征討など多くがあります。それぞれには使い方や意味合いからの特徴や共通点が見受けられますが、ここでは専門的になってしまうこともあり省略させてもらいます。ただ、こうした呼称も最近では昔よりだいぶ変わってきているようです。
かつての大化改新が勃発年の干支を冠した乙巳(いっし)の乱と呼ばれるようになったり、前九年・後三年の役をそれぞれ前九年合戦、後三年合戦、あるいは文永・弘安の役をモンゴル襲来とひとくくりに表現したり、それからこれはもうほとんど使われることのなかった朝鮮出兵や長州征伐も、それぞれ文禄・慶長の役、長州征討などと言い換えられています。近代の十五年戦争やアジア・太平洋戦争もよく耳にすることでしょう。
日進月歩で進む学問の世界では次々と新しい学説が発表され、それまで常識と思っていた事柄がいとも簡単に覆されていきます。ふた時代も前になってしまった昭和のあの頃、受験勉強でゴロ合わせで覚えた年号「むしこ(645)ろし大火(化)で滅ぶ蘇我の家」だって、大化改新という歴史用語があってこそのものだったと、今さらながらに思う今日この頃です。
次回もまた、日本史のよもやま話を探し出して皆さんにご披露できればと思っています。よろしければまたお付き合い下さい。ずいぶんとお達者で。
【参考文献】
大橋幸泰『検証島原天草一揆』(吉川弘文館、2008年)
安田元久「歴史事象の呼称について」(『学習院大学文学部研究年報』30、1984年)
武田忠利「歴史用語と歴史教育」(『歴史学研究』628、1992年)