室町時代、近江に始まった、日本で初めて農民による一揆が起こった日です。
正長元年(1428年)9月18日のことでした。
正長の徳政一揆ともいいます。
折からの凶作や流行り病、4代足利義持から5代義教への将軍の代替わりなどによる世情不安が高まる中、 近江坂本や大津の馬借が債務放棄を求め、一斉蜂起しました。
のち、生活に苦しむ百姓も一揆に加わり、京都や奈良の酒屋・土倉・寺院などを次々に襲撃すると、質物や借銭、祠堂銭を奪い、証文類を焼き、公権力を介さず、強引に借金を帳消しにする私徳政を行いました。
この対応に苦慮した室町幕府は、管領畠山満家と侍所別当赤松満祐を出兵させましたが、一揆の勢いは衰えず、畿内一帯に広がります。
結果、近江の守護六角氏や奈良の興福寺、柳生などが徳政令を発布しましたが、幕府は徳政令を出しませんでした。
荘園支配下で年貢と高利貸の収奪に喘いでいた多くの民衆を巻き込んだこの一揆は、徳政一揆の先駆けとなり、当時の社会に与えた影響は大きく、支配層にも激しい衝撃を与えました。
[平成30年(2018)10月26日]掲載