第52代天皇である嵯峨天皇が生まれた日です。
延暦5年(786年)9月7日のことでした。
嵯峨天皇は、桓武天皇と皇后藤原乙牟漏(おとむろ)との間に第二皇子として生まれ、神野(賀美能。かみの)と名付けられました。
幼少期から桓武天皇に天子の器量を見込まれて育ち、大同4年(809年)4月、兄の平城天皇より譲位されました。
しかし弘仁元年(810年)9月、藤原仲成と藤原薬子に使嗾され、上皇となった兄が復位を企てます。
この薬子の変と呼ばれる事件に対し、嵯峨天皇は坂上田村麻呂を派遣、反乱を鎮圧しています。
のち、蔵人所(くろうどどころ)や検非違使(けびいし)を置き、律令制の補強に努め、『新撰姓氏録』『弘仁格』『弘仁式』『内裏式(だいりしき)』の編纂も行いました。
また、賀茂斎院(かものさいいん)を設け、白馬節会(あおうまのせちえ)をはじめたともいわれ、さまざまな儀礼と年中行事を整えています。
政治や祭礼に力を入れたほか、儀式や服装などを唐風にあらため、弘仁文化を気づきます。
漢詩文をよくし、勅撰させた漢詩集『凌雲集』『文華秀麗集』に多くの詩を遺しました。
書道にもすぐれ、空海や橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに能書家で知られ、三筆のひとりとして数えられました。
空海の影響が強く、「光定戒牒(こうじょうかいちょう)」は真筆として有名です。
弘仁14年(823年)4月16日には譲位した嵯峨天皇は、承和9年(842年)7月15日、57歳で崩御しました。
墓所は嵯峨山上陵(やまのうえのみささぎ。京都市右京区)にあります。
[平成30年(2018)10月3日]掲載