織田信長が斎藤龍興との戦いに勝利、稲葉山城に入城した日です。
永禄10年(1567年)8月15日のことでした。
8月1日、美濃三人衆と呼ばれた氏家直元(卜全。ぼくぜん)・稲葉良通(一鉄)・安藤守就の国衆が、信長に寝返ったときから始まったともいえる稲葉山城の戦いは、斎藤氏の領地である美濃国井之口(現在の岐阜県岐阜市)で起こりました。
信長への忠誠心を見せるため、人質を差し出すつもりだった美濃三人衆でしたが、信長はそれより先んじて行動に出ます。
なんと、稲葉山に尾根続きの瑞龍寺山をたちまちのうちに占領すると、城下を焼き討ちにし、裸城にしてしまったのです。
美濃三人衆が礼に現れた8月14日には、すでに城の周囲に鹿垣が組まれた後でした。
翌日、到底かなわぬと判断した、城主の龍興は稲葉山城から長良川に逃れ、伊勢国長島へ落ちていったのです。
7年の歳月をかけた信長の美濃攻めが、ようやく終わりを告げた瞬間でした。
戦い終えた信長は稲葉山城に入ると、井之口を岐阜とあらため、同時に稲葉山城を岐阜城としています。
そしてこの頃より、天下統一を意識した[天下布武]の朱印を用いるようになりました。
[平成30年(2018)9月17日]掲載