その日、なにが起こったか? 今日の歴史的な出来事

9月5日
今日の歴史的事件
四国艦隊下関砲撃事件勃発

四国艦隊下関砲撃事件勃発




 今日、9月5日は――

 イギリス・アメリカ・オランダ・フランスの連合艦隊が長門国下関を砲撃した、四国艦隊下関砲撃事件が起こった日です。
 元治元年8月5日(1864年)のことでした。

 幕末、十四代将軍徳川家茂が孝明天皇へ攘夷を約したのをきっかけに、強硬派の長州藩が攘夷期限の文久3年5月10日(1863年6月25日)以降、馬関海峡(現在の関門海峡)を航行する外国船への砲撃を開始、海峡を封鎖しました。  この封鎖が原因で経済に大打撃を受けたイギリスは、長州藩へ報復措置を取るべく、アメリカ・オランダ・フランスに協力を呼びかけ、連合艦隊を編成。馬関と彦島へ砲撃を行いました。
 奇兵隊や長州藩兵が応戦しましたが、兵力不足のうえに、古い武器で火力が劣っていたため、ついには外国陸戦隊の上陸を許し、4か国連合に破れてしまいました。
 この戦いには、のちの山縣有朋(やまがたありとも。狂介)が奇兵隊軍監として参陣しています。


奇兵隊って、どんな組織?

 文久3年(1863年)、高杉晋作らが創設した長州藩最初の平民軍事組織です。
 奇兵とは正規ではない軍隊という意味で、武士か庶民かを問わず、有志による入隊を認め、庶民出身者には苗字帯刀を許しました。
 武器と俸給が藩から支給され、近代的な軍事訓練を行なっていた奇兵隊は、第二次長州征伐や戊辰(ぼしん)戦争などで奮戦しましたが、明治2年(1869年)、藩の兵制改革のために解体となっています。


   


[平成30年(2018)9月5日]掲載