今日、9月1日は――
江戸時代中期、肥前国浦上村山里(現在の長崎市)にて潜伏キリシタンが検挙、弾圧された事件が起こった日です。
寛政2年7月22日(1790年)のことでした。
浦上一番崩れは、仏像建立の喜捨を拒んだ村人19名に対し、激昂した庄屋がキリシタンとして訴えたのが事件の発端でした。
しかし証拠不十分のため、5年後の寛政7年に、村人は無事放免になったそうです。
江戸時代、浦上村では4度にわたって潜伏キリシタンが検挙されていますが、長崎奉行所は信徒をキリシタンではなく、異教徒として扱うことにし、事件が拡大しないよう、また、露見しないよう事を納めるようにしていました。
ただし、安政3年(1856年)の三番崩れ、慶応3年(1867年)の四番崩れのときには、多くの村人が捕縛され、拷問を受けた末に獄死しています。
なお、崩れとは検挙事件を指します。
浦上天主堂の不思議な巡り合わせとは?
浦上四番崩れで迫害を受けたキリシタンの村人が、1873年に禁制が解けたことで、流罪先から帰還したのち、明治に入って没落した庄屋の跡地を買い取ったのが、浦上天主堂のはじまりです。
没落した庄屋は、一番崩れの際に、村人を訴えた高谷永左衛門の子孫でした。
浦上天主堂
[平成30年(2018)9月1日]掲載