書名 『西郷の首』
著者 伊東潤
発行所 角川書店
発行日 2017年9月29日
定価 1800円
西郷隆盛の首を発見した男と、大久保利通を暗殺した男。加賀藩士の千田文次郎と島田一郎。加賀藩の下級藩士の家に生まれた2人は竹馬の友だった――。実在の人物である二人の青年の眼を通してつむがれる幕末明治の物語である。
激動の幕末の諸藩の多くには、幕府を中心とした佐幕派と、長州藩を軸とした攘夷派、二派の対立があるが、加賀藩も例外ではなく、尊王と佐幕で揺れた。
元治元年の禁門の変に際しての退京事件で、攘夷派を粛清してしまった加賀藩は維新の波に乗れなかった。鳥羽伏見の戦いでは、幕軍として戦う予定で出兵するが、上京途中で幕軍の敗北を知り、撤兵。慌てて新政府への恭順を表明すべく、戊辰戦争では官軍の主力として北越戦に出兵、多くの血を流した。が、政府への人材登用はならず、維新の恩恵を受けられなかった。
明治2年の版籍奉還、明治4年の廃藩置県で、藩は消滅。明治9年の廃刀令、秩禄処分。新政府による士族締め付け政策が次々に施行され、士族の旧来の特権が奪われた。士族の多くは士族を置き去りにした西欧化を強行する新政府に強い不信感と裏切られた思いを抱く。
本書は二人の旧加賀藩士(石川県士族)の視点で物語が進む。幕末明治物といえば薩長土佐などの藩がおなじみであろうが、百万石の雄藩であった加賀藩が主役になっているところがまず珍しい。
物語の前半は、幕末の動乱と二人の青春期。仲の良い二人は藩上層部の主導権争いに不満を抱きつつも、誇りある加賀藩士としてどう生きていくべきかと懊悩する。とりわけ加賀藩に投降した水戸の天狗党の武田耕雲斎や藤田小四郎との出会いと交流では青年として真摯に生き抜く若者の姿が活写されていて思わず引き込まれる。
戊辰戦争ではともに北越戦争を生き抜いた二人は、維新後、ともに困窮する士族を救済する組織に属したこともあったが、やがて進みゆく道を異にする。文次郎は陸軍の道に入り、一郎は反政府活動に身を投ずる。陸軍で順調に出世していく文次郎。一方、多くの士族が窮乏生活を余儀なくされるそんな時代を許せなかった一郎は困窮士族のために、一身をなげうつべく、反政府活動に傾倒していく。
ここに至って、読者は加賀藩士の二人に、薩摩藩士の西郷と大久保の二人を重ね合わせることだろう。薩摩藩の下級武士の家に生まれ、同じ郷中に育ち、竹馬の友情で結ばれた二人は明治維新を成し遂げた盟友だが、討幕後の明治新国家建設を巡って対立、袂を分かち、大久保は西郷を死地に追いやる。
明治10年2月、西南戦争が勃発するや、一郎は金沢の不平士族を糾合し、西郷軍に呼応すべく、武装蜂起を企てるが、合流の機会を逸する。
一方、文次郎は政府軍の将校として西南戦争を戦い、負傷しながらも、自刃した西郷隆盛の首を発見する。
西南戦争が終結し、西郷の首を発見したのが、ほかなぬ文次郎であると知るや、一郎は文次郎を「恥知らず」と罵倒する。
西郷の首が一郎にとっても、文次郎にとっても、武士の時代の終焉を告げる象徴であった、と描く作家の切り口が斬新である。
ついに、一郎は政府の内務卿大久保利通の暗殺を画策、上京する。そのことに気づいた文次郎は出世の道を捨てるべく職を辞し、一郎を止めるべく急ぎ東京に向かい、一郎を諭す。「一つの時代が終わったのだ。もう武士の世には戻れぬ」と。しかし、一郎は応じない。
明治11年5月、一郎は同じ旧加賀藩士らとともに(島根県士族一人含む)赤坂紀尾井坂にて 大久保利通を暗殺するという暴挙(紀尾井坂の変)に出て失敗、同年7月斬首される。
数奇な星の下に生きた二人の男。このような世を創るために御一新を成し遂げたわけではないとの思いは同じであったはずである。それでも進み続けなければ行けない人生を元武士の矜持と悲しみで生きた。そもそも、二人を分けたものは何かと思いつつ、読者はページを括ることだろう。
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』は西郷隆盛と大久保利通との対立を通じて新国家創世の苦悩に焦点を当てているが、本書『西郷の首』は幕末・明治という激動の時代に翻弄された下級武士の代表としての二人の青年の、家族愛と郷土愛に培われた友情と熱くも切ない別離の生きざまを通じて、武士という特権階級の消滅、武士の世の終焉を「西郷の首」に象徴させて活写し、「明治維新とは武士にとって何だったのか」を描きつくした痛快作である。
(平成29年12月12日 雨宮由希夫 記)