書 名 『隠密奉行 柘植長門守4 薬込役の刃』
著者名 藤 水名子
発 売 二見書房
発行年月日 2017年11月25日
定 価 ¥648E
田沼(たぬま)意次(おきつぐ)は寛政の改革の推進者・松平(まつだいら)定信(さだのぶ)が登場する以前、異例の昇進を遂げ、ほぼ15年間にわたり幕府中枢で権勢をふるい、いわゆる田沼時代を現出させた政治家である。人気シリーズ藤 水名子の『隠密奉行 柘植長門守』はその田沼の引き上げにより順調に出世街道を歩んできた柘植(つげ)長門守正寔(ながとのかみまさたね)を主人公とした歴史時代小説である。意次は正寔を見込んで佐渡奉行や長崎奉行等の遠国(おんごく)奉行を歴任させ勘定奉行にまで引き上げてくれた正寔の恩人であるが、一方で、正寔は意次の政敵・松平定信と密かに誼を通じその命を帯びて行動する「隠密奉行」であるという設定が本シリーズの骨格となっている。
田沼意次は天明6年(1786)8月、意次を寵愛した10代将軍徳川家治(いえはる)の死の直後、失脚し、謹慎の身となる。
シリーズ最新巻の冒頭の場面は謹慎の身となっている意次を正寔夫妻が訪い、妻絹栄(きぬえ)が習い覚えた東坡肉をふるまうシーンである。東坡肉は北宋の詩人・蘇軾(そしょく)が左遷先の杭州(こうしゅう)で考案したとされる浙江(せっこう)料理で、中央政界の復帰、左遷を繰り返した蘇軾の故事にあやかり、失脚中の意次に「どうか、望みをなくされませぬように」という夫妻の思いが込められている。さすがに『涼州賦』、『赤壁の宴』など中国を舞台とした数々の歴史小説の傑作をものした作家藤(ふじ)水名子 (みなこ)ならではの演出である。
その数日後、田沼家の用人・潮田(うしおだ)内膳(ないぜん)が正寔を訪れるところから、物語が動き始める。「田沼家の要人」を名乗る人物を、この時易々と自邸に迎え入れたことが、後々己の身に禍を招くことになるとは正寔は露知らない。
陸奥白河藩主の松平定信は8代将軍・吉宗の孫にして、将軍家の後嗣にとの声もあった切れ者だが、本シリーズの始まりの頃は正寔にとって定信は「小賢しい才子面の鼻持ちならぬ若造」にすぎなかった。正寔はこれまで何度か定信の言う「頼み事」とやらを聞き入れ、定信のために命がけの働きをしてきたが、それは正寔自身がそれをもっともだと判断したからであって、我が身を堕として定信の走狗になったのではないとの自負が正寔にはある。
天明7年(1787)6月19日、松平定信は漸く老中首座に就任した。風貌もさわやかな28歳の青年老中の誕生であり、“質素と倹約、文武奨励に淫風矯正”を標榜した松平定信の寛政の改革のはじまりでもある。
ある日、正寔は定信から白河藩上屋敷に呼びだされて、「昨年のことだが、田沼家の用人潮田某が、そちの屋敷を訪ね、田沼家の隠し財産のことを告げたのではないか?あるいは、最も信頼できる田沼派のそちに、隠し財産を託したのではないか?」と問い質される。
幕府は意次に謹慎を命じる際、大坂の蔵屋敷に保管されていた財産をはじめ、家治の代に加増された二万石も神田橋御門外の江戸屋敷も没収していた。さらに、国元の遠州相良城を幕府は徹底的に破壊し尽くし、そこに秘蔵されていた金品と穀物をすべて押収した。だが、定信はそれでも納得せず、それ以外にも、まだ隠し財産があると、本気で思い、奪おうとするのは権力者側の横暴ではないかと正寔はあきれる。
本当に、意次の隠し金があるのかというその一点に正寔の興味は集中し、核心に近づくほどに正寔は刺客につけ狙われる。あくまでも陰にて定信の役に立つべき者としてふるまう正寔は世間的には一応田沼派とされているが、田沼派と反田沼派の暗闘、幕閣内での容赦のない田沼派の粛清も絡み、読者の予断を許さない展開となってくる。
副題に「薬込役の刃」とある。薬(くすり)込役(ごめやく)は一般には火縄銃の弾込め役の意だが、本書では、もともと紀州藩お抱えの忍び衆であって、吉宗が江戸城に入ったときから、御庭番、紀州に残された者たちの二派に別れ、紀州に残された者の大半は、江戸に伴われなかったことを怨んだとされる。
本シリーズはそもそも忍者の生きざまを伏線とした物語でもある。主人公の柘植長門守正寔は実在の人物で、1500石の旗本だが、柘植家は所詮は正式な武士とは言えぬ伊賀者いわゆる「忍」の家系であったと造形されている。シリーズの常連《霞》の六兵衛は伊賀随一の遣い手で代々柘植家に仕える上忍である。
田沼の隠し金を私せんとする潮田内膳が柘植家の忍び・新八郎を言葉巧みに丸め込み、正寔を裏切るように仕向ける。正寔はまさか自分が田沼の隠し金の相続人に指名されていたとは夢にも思っていない。潮田内膳とその一味は掃討されたが、それですべてが終わったと正寔は思っていない。正寔には、六兵衛に厳しく育てられた新八郎が死を賭しても、なにか自分に伝えたかったことがあるのではないかと思えてならない。
天明8年6月、先の老中、田沼意次 死す。齢70。前年の天明7年10月には意次に蟄居の命が下され、5万7千石すべてを召し上げられたうえでの閉門蟄居の状態に置かれていた。失意、無念の死であったにちがいない。
あれほど目をかけていただいたのにと、正寔の心は激しく痛んだ、俺はとんでもない恩知らずだと……。
物語はまだまだ終わらない。次巻へと続く。
「白川の清き流れに魚住まず、濁れる田沼いまは恋しき」と、定信が筆頭老中の座について、数ヶ月後には懐かしがられた。人の評価はまことに難しい。
意次が正寔に語りかけた次の言葉で、作家が意次を単なる金権政治の権化、悪徳政治家とはみなしていないことは明白である。
「佐渡(さど)では苦労したであろう。それに比べて、長崎(ながさき)はなにかと実入りが多いと聞く。せいぜい儲けるがよいぞ。いくらでも私腹を肥やしてもよいが、それ以上に、幕府に利益をもたらさねばならぬぞ」。
意次を肯定的にとらえた作品としては、意次全盛時代を背景として展開させた池波正太郎の『剣客商売』がTVドラマ化されたこともあり一般にはなじみ深いであろう。意次の人物像に本格的に迫った歴史小説としては山本周五郎の『栄花物語』、平岩弓枝の『魚の棲む城』があるが、両書とも失脚後の意次を詳しく描いてはいない。藤水名子の本シリーズは先行するこれらの作品とは趣を異にする作品で、ことに最新巻は、「意次の隠し金」をキーワードに、主人公隠密奉行柘植正寔をめぐっての、幕閣の複雑で濃密な人間ドラマを巧みに繰り広げることにより、田沼の失脚後の落莫とした2年間を描きつくしている。
(平成29年11月14日 雨宮由希夫 記)