雨宮由希夫

書評『人魚の肉』

 雨宮由希夫さん書評です。(書評は更新を続けます)

人魚ノ肉

人魚ノ肉

 

書名『人魚ノ肉』
著者 木下昌輝
発売 文藝春秋
定価  本体1550円(税別)

 明治時代には、維新の元勲たちの同志を数多く暗殺した人斬り集団として、明治政府による「正史」から抹殺された新選組は、今日では、時勢に逆行して生きた時代錯誤的存在、あるいは歴史に弄ばれるも自分の美学に殉じた存在、士道を貫いたロマンあふれる頼もしい剣豪集団など多様な価値観で捉えられている。
 本書『人魚ノ肉』はデビュー作『宇喜多の捨て嫁』で直木賞候補となり、その後、高校生直木賞、歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞した木下昌輝(1974年生まれ、奈良県出身)による〈新撰組もの〉歴史時代小説である。
新撰組もの〉の古典的名作には、子母澤寛の『新選組始末記』、『新選組遺聞』、司馬遼太郎の『燃えよ剣』、『新選組血風録』があり、平成に限っても、北方謙三の『黒龍の棺』、浅田次郎の『壬生義士伝』があり、近時では歴史時代作家クラブ所属の作家たちによる競作『新選組出陣』がある。描きつくされた感のある新撰組に、いま最も注目される歴史時代小説界の麒麟児木下昌輝がいかに迫るのか。新撰組の描かれ方により、木下昌輝の幕末史観が明らかになる。私の興味はそこにあった。


 本書は8編の短編からなるが、巻頭を飾る「竜馬ノ夢」の編は、佐々木只三郎が指揮する京都見廻組に襲われ、近江屋で暗殺される坂本竜馬が主人公である。竜馬は、この日、少年時代に故郷の桂浜で打ち上げられた「人魚の肉」を幼馴染みの中岡慎太郎岡田以蔵とともに食べたことを回想していて、その果てに、不慮の死を遂げる。「人魚の肉」はやがて時を経て人斬り以蔵の異名を持った土佐勤王党岡田以蔵によって京都に持ち込まれ新撰組隊士の口に入る。正体不明の肉を喰らった新撰組隊士たちは突然高熱に襲わられたり、喉が激しく乾くようになったりした挙句、次々と「妖」になっていく。
 全ての話に、竜馬たちが食した人魚の肉と血が関わる。土佐の須崎に伝わるいわゆる八百比丘尼伝説と竜馬暗殺を結びつけた作者の発想は奇抜だが、人魚の肉と血と幕末の京都を駆け抜けた新撰組隊士のふりかざす血刀が混然一体化し、読者は思わず知らず作家の誘う血や屍肉の臭いが濃厚な「妖」の世界に引きずり込まれることになる。


 新撰組が京に在ったのは、文久3年(1863) 1月の浪士組の結成から慶応4年(1868)1月の鳥羽伏見の敗走まで、わずか5年にすぎないが、この間、芹沢鴨暗殺、山南敬助切腹伊東甲子太郎暗殺などの隊内抗争という新撰組史を語るうえで外せない悲劇や、世を震撼させ新選組の名を喧伝した池田屋事件があった。これらの史実に即し、連作短編の特性を活かした巧妙な構成の下、人魚の肉によって狂わされた隊士たちの奇怪な顛末が 語られていることには瞠目し、デビュー2作目とはとても思えない。円熟味さえ感じる。


 新撰組には、近藤勇土方歳三(ひじかたとしぞう)、沖田総司という三大主役がいる。本書においても「近藤が人を集め、山南が束ね、土方が采配することが新撰組の強みだった」と彼らは当然主役級の役割を演じるが、作家は彼らに、従来の〈新撰組もの〉作品とは一線を画する新たなる魅力を造形している。
 池田屋事件で喀血昏倒することに始まる沖田総司の死は結核によるものとされているが、実は総司自身が血肉を欲するようになってしまったことに原因があった《「肉ノ人」の編》とし、近藤勇については、結局武士として死ねず、武士としての矜持を貫くために骸になっても彷徨う近藤勇の凄まじい執念が描かれている《「骸ノ切腹」の編》。また、山南敬助切腹の真相を総司が近藤に問いただすシーンも見逃せない。
 本書における陰の主役はこれまで脇役とみられていた平隊士の安藤早太郎と山崎林五郎のふたりであるとも読めよう。
「肉ノ人」「血ノ祭」の両編に登場する安藤早太郎は芹沢派の野口健司が切腹する際の介錯人で、のちに池田屋事件の傷がもとで、半年後に死亡した実在の人物だが、本書では人魚の肉を近藤勇斎藤一沖田総司に酒の肴として勧めるという重大な役柄を帯びている正体不明の人物として登場する。山崎林五郎は探索の山崎烝の弟で、あろうことか、芹沢鴨の妾・お梅を愛し、お梅が芹沢暗殺時に殺害されたことで近藤ら首脳部を恨む若者という造形である。
 安藤早太郎の正体が割れる「血ノ祭」の編は8編中、重要な位置を占める。ここでは大塩平八郎のエピソードが語られる。元大坂町奉行東組与力という身分の大塩が幕藩体制下、天下の台所と称せられた大坂で蜂起し、幕藩体制の危機が白日の下に晒されたのは天保8年(1837)のことであるが、この大塩平八郎の乱に先立つこと10年前の文政10年(1827)の大塩による京坂キリシタン事件の処理がとりあげられている。
「分身ノ鬼」の編で斎藤一を採り上げていることも注目に値する。斎藤は平隊士ではなく副長助勤、三番組長などの幹部職を務めた。新撰組の創設から参加し、京都時代のみならず、会津戦争まで新撰組隊士として、あらゆる修羅場を生き抜き、さらには西南戦争に参戦し、戦後は「高等師範学校道教士」を務め、大正4年(1915)に天寿を全うし、新撰組全史を語るに欠かせない人物である。


 天保8年(1837)の大塩平八郎の乱から明治10年(1877)の西南戦争までのいわゆる「明治維新全史」を、あくまで史実をベースにしながら、人魚の肉という「妖」と新撰組の盛衰とを絡め加えることで、作家は新鮮味溢れる新撰組を見事に描き出している。
 では、そもそも作家は新撰組をいかなる集団とみなしているのか。
 池田屋事件土方歳三が描かれる「血ノ祭」の編は本書のクライマックスであり、作家の幕末史観を伺うに足る一編である。
 池田屋事件は元治元年(1864)6月5日、祇園祭宵山の日におこった。その前日、土方は古高俊太郎が、祇園祭の烈風の日を選んで、京の町を焼き払い、佐幕派の公卿である中川宮や一橋慶喜松平容保らを暗殺し、天皇動座を企てた蜂起計画があると「偽証させた」とする。自白ではなく、偽証であることが事件の真相であると作家は物語っている。
 祇園祭貞観11年(869)を起源とする、もともと真夏の疫病退散を願う都人の祭であり、応仁の乱で30年ほど中絶したことはあっても、幾多の戦乱や大火を乗り越えて行われてきた。
「四条橋は祇園の神祇が渡る神祇の橋だが、新撰組はその四条橋を血で穢した。ささやかながら数百年かけて守り通してきた約束事をいとも簡単に破る新撰組が憎い」、「祇園祭を血で穢されたからこそ、たとえ町がどんなに混乱していようと例年通りに粛々と行いたかった」と町衆に語らせている。
 町衆の意地、千年続いた京に生きる人々の矜持が主体となるに及び、この物語の主題は新撰組ではなく千年の都・京都となったと知る。
 千年の都・京都にとって、狼藉を重ねる餓狼のような集団「壬生狼」であるに過ぎない新撰組など、滔々たる歴史の中に一時浮かぶうたかたのようなものだと。大義名分がどうであれ、血刀を振るって都大路を駆け巡る新撰組を見つめる町衆の眼差しは冷めている。新撰組が京都にあった文久から慶応に至るわずか5年ほどの時期は日本史上まれに見る激動の時代であった。幕末の京都は荒れに荒れ狂いに狂っていたというほかない。理性的に理論的に説明のつかない度し難い状況を作家は「人魚ノ肉」で覆い尽くしている。妖怪話は日本人の心象に巣食う無意識のファンタジーである。確かに正体不明の「人魚ノ肉」の「妖」のせいにでもしなければおさまりがつかないほどあの時代の日本人は狂っていたのだ。腐臭を放つ「人魚ノ肉」とあたかも人間の血肉を喰らうかのように幕末の京で刀を振るった新撰組と結びつけることで、竜馬も新撰組をも呑みこんだ幕末というさらに巨大な物語の存在を浮かび上がらせている。


 作家は、司馬遼太郎のくびきを離れた幕末を描きたかったと語っているが、のっぴきならない主題に迫りながらも読後に一種の清澄さを残す本作を司馬が一読すれば、新撰組をこういう風に描くのかと驚いたに違いない。
(平成27年10月4日  雨宮由希夫 記)

『人魚ノ肉』木下昌輝 | 単行本 – 文藝春秋BOOKS