書評「日本史 ほんとうの異人列伝」
人生の上で心痛(こころかよ)わせることの出来る知友を幾人持つことができるかが人の幸せをはかる目安となろうが、歴史時代小説の読者にとっては、心惹かれた歴史上の人物を何人数え上げることができるかもまた幸せ基準の1つとなろう。
本書は古代の大和時代から戦後まで、1500年にわたるわが国の歴史を、蘇我馬子から平塚らいてうまで40人の「偉人」の伝記を書くことによって俯瞰された〈日本通史〉である。しかも、歴史時代小説を手掛ける一人の作家によって、物語られるところに意義がある。
「偉人」とは何か。『大辞林』(三省堂)によれば、「世のためになるような立派なことを成し遂げた人。偉大な人」ということになるが、「日本の歴史を隅から隅まで点検し」、「従来の価値観や偏見を極力排し、善いか悪いか、勝者か敗者か、有名か無名か、すべて関係なしに〈偉人〉〈傑物〉と呼ぶにふさわしい人間たちを選んだつもり」と作家岳真也(がくしんや)は語り、日本史を三部に区分して40人を登場させている。
第一部の「古代から中世」は蘇我馬子、大伴旅人、長屋王、行基、大墓公阿弖流為、藤原薬子、空海、平将門、藤原清衡、源範頼、夢窓疎石、世阿弥、太田道灌の13人。第二部の「戦国時代から近世」は松永久秀、村上武、お市、明智光秀、織田有楽斎、吉川広家、前田利常、池田光政、安藤昌益、塙保己一、伊能忠敬、歌川広重の13人。第三部の「幕末から近現代」は岩瀬忠震、小栗上野介忠順、横井小楠、河井継之助、橋本左内、相馬主計、山岡鉄舟、広沢安任、福沢諭吉、中江兆民、津田梅子、河口慧海、尾崎行雄、平塚らいてうの14人。
作家の選出方針が2点、「はじめに」にて書かれているので、それを紹介したい。
「偉人伝といえば必ず思い浮かぶような人物」————ex.聖徳太子、頼朝、尊氏、信長、秀吉、家康、龍馬、西郷はすべて省いたが、「(作家岳が)個人的に思い入れを持つ人物」———ex.空海、福沢諭吉などは外せず、「その意外な素顔を浮き彫りに」しようとつとめたこと。もう一点は、「史上名だたる大物や大事件の陰に隠れた無名の逸材」、「名前は知られていても、その実態については、ほとんど知られていない人物」、「悪名ばかりがとどろいて、〈その功績や素晴らしい側面〉が切り捨てられてしまったような人物 」をとりあげ、「彗星のごとく、一瞬のまばゆい光芒を放って散っていった人物」も含めたことである。
女性は4人が選出されている。「歴史上の人物をとらえて〈悪女〉とよぶとき、そこには〈女のくせに〉という、極めて男性中心的な偏見があるように思う」とした作家は「勝者と敗者、偉人と悪人の差は、そんなに大きくはない。ほんのわずかな差なのである。もしも薬子の企てが成功していたら、藤原薬子は中大兄皇子や中臣鎌足のような、英雄になったかもしれない」という。
「悪人」と「敗者」が本書のキーワードである。
蘇我馬子。馬子は昭和37年(1965)1月に刊行され始めた海音寺潮五郎の『悪人列伝』でも巻頭を飾っている。馬子から入鹿に続く蘇我氏は古代史上“最大の悪人”とされてきたが、それは「でっち上げ、捏造」であると喝破した作家は「馬子にいたっては、わが国の古代史を語るうえで、欠くことの出来ない傑物であり、日の本の根幹をつくった諸政策はほぼすべて馬子が手がけたもの」と断じている。
松永久秀。久秀を“悪人”と決めつけたのは信長である。客人家康の面前で久秀をさらし者にした信長の口言葉には毒があり、矮小な信長の性格が露呈してあまりあるが、久秀を単純に梟雄と批判するのは当たっていないとする岳は久秀の死に様に久秀一流の美意識を観、「彼には特有の美学があった。けだし、これこそは信長が久秀にとうてい勝てなかったところではなかろうか」としている。
「歴史上〈敗者〉となった人物は、往々にして正当に評価されない」「数奇な運命を生きなければならない人間。その人生には魅力がある」とも作家は語る。
小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)。「新生日本での〈不在〉が惜しまれる勝海舟のライバル」の大見出しがつく忠順には上野介の官名がついている。これまでに刊行された偉人伝の類いは完璧に海舟が採用され、小栗上野介は無視、排除されてきた。吉川弘文館の「人物叢書」ではいまだに候補にも挙がっていないという。わが国の近代史を語るうえで、欠くことの出来ない傑物であり、大隈重信が指摘する通り、明治国家の根幹をつくった諸政策はほぼすべて小栗上野介が手がけたものであるが、小栗はこれまで不当に評価されてきた。その最たるは、同時代を生きた勝海舟との比較で、幕臣ながら勝は国際感覚にすぐれた稀代の政治家であるに対し、三河譜代の典型的な幕臣の小栗は時代の変化に対応できなかった頑迷固陋な幕吏に過ぎないというものであろう。
幕末小説の優劣をはかる目安のひとつは、小栗をどう描くかにあると思うが、岳には小栗を主人公とした歴史小説『修羅を生き、非命に死す 小説小栗上野介忠順』があり、小栗の人となりを描く上で、キーパーソンとして深く刻み込んだ人物が二人いる。岩瀬忠震(いわせただなり)と福沢諭吉である。二人とも、本書で「ほんとうの偉人」として取り上げられている。諭吉については前ふりは不要であろうが、岩瀬忠震は「近代日本」の最初の扉をひらいた外国奉行である。
万延元年(1860)の遣米使節のとき、諭吉は護衛艦・咸臨丸の提督・木村摂津守喜毅(よしたけ)の従者として乗り込み、かの地の白人娘とならんで写真に納まっている。小説では、そうした諭吉を忠順が「実に愉快で面白い男」とみなし、一方、諭吉は身分的には遙かに遠く雲の上の存在であるはずの忠順を「進取の気性に富み、やる気充分の大身の旗本」と評価し、「小栗さん」と西洋流に「さん」づけで呼ぶと造形している。「門閥制度は親の敵でござる」と回顧するのは明治の諭吉だが、また小説では、大身の旗本である小栗が豊前国中津藩の下士の出であるに過ぎない自分を対等に遇してくれることに感謝しつつ、「脱亜論」のさわりを小栗に披瀝する諭吉が描かれている。
生きた時代の巡り会わせで、福沢諭吉や勝海舟のように二つの時代を生きた人物もいれば、小栗上野介や岩瀬忠震のように一つの時代しか生きられなかった人物もいる。
明治日本で忠順や忠震が果たしてどのような生き方をしたのか知りたい。
2014年春『ブックレットmyb』(みやび出版 編集発行責任・伊藤雅昭)に幕末維新を生きた反骨の会津人・広沢安任を書いたのが本書執筆の直接のきっかけであるという。本書の刊行は同年12月であるから、驚異的な短い期間の中で書き上げたことになる。もちろん、書き溜めていたものもあったであろうが、「偉人」の中には名声に比して史料が少ない人もいれば、天下に名を馳せ、すでに多くの伝記が書かれている人物もいる。時代が違えば場所も環境も異なる。歴史の隔たりがある。歴史事象についての解釈の相違があり、歴史的評価はさまざまである。作家には確かな歴史観、人物造形の妙、挿話の面白さ、文学性を持った伝記としての切れ、これらすべてが求められている。一人で日本通史を書くことのむずかしさがここにある。
著者の岳真也は1947年、東京都生まれ。中上健次、村上龍、浅田次郎と同世代の作家だが、慶應義塾大学経済学部に在学中に作家デビューし、50歳を過ぎてから福沢諭吉、河井継之助、村上武吉、 橋本左内、小栗忠順、土方歳三、近藤勇、 中江兆民、岩瀬忠震などを主人公とした多くの歴史時代小説を発表している。
こうして観ると、本書は作家岳真也が共感できる人物、主人公にして小説を書きたいと思わせる人物を「ほんとうの偉人」として取り上げ、彼らの生き様を描いていると知る。敗者の生き様、勝者の死に様。古代であれ、幕末であれ、人はどう生き、どう死んだか、作家の筆にはそれ以外にない。取りあげられた偉人たちの痛みと悲しみに書き手が温かく寄り添っていることが行間から伝わってくる。作家の全人格の投影といえる本書を読むたびに新しい発見があり、いろいろと想像の翼を広げることができて面白いことこの上ない。簡潔な経歴伝に飽き足らない読者諸氏には彼らを主人公とした歴史小説をひもとき岳真也の世界を満喫することをお勧めするとともに、作家にはまだ小説化されていない偉人たち————とりわけ、「〈能〉を通じての〈生〉、生きることそのものを見ていた」と作家が評する世阿弥————の執筆を求めたい。
(平成27年1月7日 雨宮由希夫 記)
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