小説「歴史行路」

天降石奇譚(てんこうせききたん)

渡邉浩一郎

 

 晴れ渡った空から突如として煌めく光が出現した。
 民(たみ)は驚きと共に空を見上げる。
 三月に京都で光格天皇が譲位し仁孝天皇が即位したが、それ以外では平穏な文化十四年十一月二十二日の江戸の町に突如としてそれは起こった。
 眩く光を放ちながら白い尾を引く火球が甲州街道と並行するように東から西に向かい駆け抜ける。
 やがて多摩の上空で「ドオォォーン!」と一度に百の大砲が炸裂したような凄まじい音を上げ爆発、飛散した。
 何が起きたのか判らぬまま村人達は震えながら身を寄せ合う。
 天地を揺るがす衝撃が収まり外を見ると、そこかしこに黒く焼け焦げたような穴が開き薄く煙を上げていた。
 家に居る者達は恐ろしげな視線を細く開けた板戸の外に向けるが外に出ようとはしない。
 暫くして家の主が「よし」と自らを鼓舞するように気合を入れ外に出て行った。
 本当は怖くて仕方ないのだが、家族の手前そんな態度は見せられない。家の中で見詰めている家族に怖れを気取られまいと大股で歩き煙の上がっている穴に近づく。
 そして見た。黒く変色した穴の底に佇むように土よりも更に黒く火の中に放り込んだかのような焼け爛れた石を。
 まるで夜の闇を抉り貫いたような暗黒の塊である。
「ひゃあっ」
 男は家族が見ているのも忘れ情けない声を出し尻餅をついた。
 這々の体で家に戻り事の次第を告げる。家族が穴に近づき石を見たのはそれから三日経ってからだった。
 暫くして人々の口の端に上ったのは「富士山が噴火して石が飛んできたのだ」とか「本所の火薬庫が爆発で吹っ飛んだらしい」など様々であった。
 いずれも根も葉もない噂の域を出ず、やがて代官所から落ちて来た石を拾って近くの名主に届け出るようにとの御触れが出された。
 人々はこれ幸いとばかりに厄除けよろしく見つけた石を集め名主に届け出た。その数は大小合わせて十数個に及ぶ。
後に届けられた石を天文方が調査した記録が残っている。
 それにも関わらず、2021年の現在に至るまで八王子隕石と断定出来るものは発見されておらず、行方は杳(よう)としてしれない。

 

 

「うーん」
 振るっていた鍬の手を止め星太は大きく腕を反らせて伸びをした。天の中空では太陽が眩しく輝く。右手を庇のようにして頭上を仰ぎ見た。
 空から落ちてきた石騒動から三ヶ月が経つ。
 あの頃は冬の真っ只中で木々も枯れ、草も少なく寒々としていた柚木村にも、所々に新しい芽が吹き大地が緑に覆われていくのが目に見えて判るようになってきた。
 空を飛ぶ鳥達の鳴き声も心なしか弾んでいるように思えるし、大地に吹く風も春の到来を喜んでいるようだ。
 星太はこの春という生命の息吹が感じられる季節が好きだ。
 体の底から活力が漲ってくるような気がする。
 再び鍬を振ろうとした時、
「昼にするか」
 後ろにいる父から声が掛かった。
 腰にぶら下げた手拭いで顔の汗を拭き拭き近付いてくる。
「そうだね」
 額に付いた汗を手の甲で拭いながら頷いた。
 家に戻ると母の佳代と妹の八重が台所から姿を現す。
 八重は星太にまとわりつくように聞いてきた。
「お兄、お父の手伝いちゃんと出来てる?」
 八重は今年八歳。星太の五歳下だが、最近生意気な口を聞くようになってきて、時々閉口する。
「八重こそおっ母ぁの手伝い出来てるのかよ」
「ちゃーんと出来てますよーだ」
 舌を出して笑う。小癪(こしゃく)ではあるがたった一人の妹だ。可愛くないわけがない。
「よーし八重、飯だ。飯!」
 元気よく声を出し体を両手で持ち上げると、自分の隣に座らせ皆で囲炉裏を囲んだ。
 今日のお昼は菜っ葉汁と粟と稗の飯、大根の漬物である。いつもと変わらない食事だが腹が空いていれば何でも美味い。
 食べながら自然と三ヶ月前の話になった。星太の脳裏にあの日の出来事がまざまざと蘇る。
 昼餉を終え畑に戻った直後のことだ。空から眩しい光が煌めいた。
「何だ、あれは?」
 父がそう叫んだ。見上げた星太の頭上を光り輝きながら白い尾を引くものが通り過ぎた。
 一瞬、白い龍が天を翔けているような錯覚を覚えた。それが何の前触れもなく轟音と共に爆発したのだ。
 訳が分からなかった。今まで聞いたことのないような凄まじい音。
 地震のような大地の揺れが続いた。
 近くにいた妹の八重が恐怖の余り目をむいて倒れた。
 上空で爆ぜた火球の一つが畑の真ん中に落ちた。
 立っていられない程の揺れと衝撃で星太達家族は皆ひっくり返った。
 腰が抜け暫く立てなかった星太は清兵衛に手を差し伸べられ、ようやく立ち上がることが出来た。
「畑が……」


 茫然とする父の目の先を追って星太は愕然とした。
 畑がなかった。いや正確には畑に大きな穴が開き、耕した畑の土が四方八方に飛び散っていた。もうじき収穫出来る筈だった大根などは最早痕跡すらない。昔話に出てくる山のように大きなだいだら法師(ぼっち)が突然現れて、大きな手で畑の土を掴んで遠くに放り投げたようだ。
 父と一緒に中心にある冥府への入り口のようにぽっかりと開いた大きな穴の中を覗き込む。底に黒々とした大石が、猪がうずくまるような姿で横たわり煙を上げ、ブスブスと音を立てながら焼け焦げたような匂いを周囲に漂わせていた。
 父は一言「家に落ちなくて良かった」と半ば安堵感を漂わせながら言う。あれが畑でなく家に落ちていたら家はおろか家族全員吹き飛んでいただろう。
 事の仔細を聞いた佳代は
「皆無事で良かったよ。生きていれば畑は幾らでも耕せるからね」
 と家族皆が無事だったことに心から安堵している様子だ。
「お前の名前のおかげかもしれないよ」
 星太という名前の謂れは母から聞いて知っていた。何でも自分の生まれた年に同じような白く尾を引く星が見えたらしい。今回と違うのはそれが夜の間だけ見えたのと、遥かに遠い場所を飛んでいたことだ。
 ほうき星と呼ばれていたその星に因んで佳代は生まれてきた子に星太と名付けた。それが自分だ。
 最初は変わった字の名前を余り好きではなかったが、母に名の由来を聞いて、大好きになった。まるで自分が天からの使者のように思えたのだ。
 恐らくあの石は天からの使者だ。同じ天からの使者である自分に危害を加えるはずがない。そう思えるのだ。

 

 

 

 村の人達の力を借り、なんとか穴から取り出した石は取り敢えず納屋の中に置いておくことに決まった。
 石は大きさが三尺(約九十㎝)幅は六~七寸(約十八~二十一㎝)厚さは四~五寸(約十二~十五㎝)もある巨大なものだった。
 まるで黒曜石のように黒々とし表面に小さい穴がいくつも開いている。所々に鋭く尖っている箇所もあった。
 その日から星太と八重は毎日石を見に納屋へ向かった。
 星太にとって空から降ってきた石は神聖なものだ。気持ちは八重も同じらしく二人で石に向かって手を合わせ無病息災を願う。
 不思議なことに、星というものは夜空で見ると光り輝いているものだが、これは光など出さず黒ずんだままだ。
(空から落ちてしまうと光らなくなるのかな)
 星太は思う。
(また空に上がれば光るのかな)
 とも思う。
 空から降ってきたあの石が星でなかったなら一体何だというのだ。
 他の人がどう言おうと星太は星だと信じようと思った。
 暫くして村に立て札が立ち、落ちてきた石を名主の所に届け出よとの御触れが出された。
 届け出る日が書かれており、その日は代官が直々に出張ってくるらしい。
(お侍が来る)
 過去の厭な記憶が蘇った。父と二人で八王子の町まで用事で出かけた時のことだ。
 道向こうから歩いてきた侍が不意によろけて父にぶつかって来た。侍は酔っており足がふらついていたのだ。
「無礼者!」
 侍は大声で怒鳴り刀の柄に手を掛けた。
「申し訳ございません。どうかお許しを」
 地面に頭を擦り付けて許しを乞う父。
(ぶつかって来たのはそっちじゃないか)
 そう思ったが勿論口には出せない。
 土下座を続ける父を見た侍は、
「ふん、切る価値すらないわ」
 柄に掛けていた手を外し、またふらつく足取りで歩き出す。
 姿が見えなくなるまで父は頭を擦り付けていた。
 このことがあってから星太は兎に角侍というものが大嫌いになった。
 傲慢で威張り散らした侍達が名主の所に来ることは嫌悪感しか感じない。
 星太と八重は届け出ることに猛反対したが、家の畑に石が落ちたことは柚木村の皆が知っており、届けずに黙っていることは到底無理だと清兵衛は二人を諭す。八重は涙を流していやいやしたが星太は泣かずにただ下を向いて悲しみに堪えていた。
 届け出の日、星太は父と共に大八車に石を載せて名主の屋敷に向かうことになった。
 家の前で佳代と八重が別れを惜しむように石を撫でる。
「またね」
 石に話しかける八重。当然ながら石からは返事がない。
 そんな姿を見て今更ながら別れの悲しみが込み上げる。
 向かう道で父は殆ど口を効かなかった。ただ黙々と大八車を引き、星太が後ろを押しながら進む。無言が今の気持ちを表しているように見えた。
 一刻ばかりかけて屋敷の前まで来た二人は、門前で名と用向きを告げると直ぐに中に通された。
 中庭で待っていると一人の侍が現れた。名を井出晋作と名乗った。
「天から落ちて来た石を持ってきた者だな。ご苦労である。石はその大八車の上の物か?」
「左様で御座います」
 菰を取り除き石を見せる。井出は大層驚いた様子で、
「これはまた一際大きい石じゃ。代官殿を呼ぶので暫し待て」と言い残し慌てて建物の中に入っていった。
 暫くすると裃(かみしも)を付けた身分の高そうな侍が星太達の側に来て口を開いた。星太に緊張が走る。
「儂は杉沢太兵衛と申す。代官を務めておる者だ」
 侍はそう自分を紹介した。
「話は井出から聞いた。この度は遠い道のりを、かように重い石をよう運んでくれた。大変であったろう。礼を申す」
 深々と頭を下げる。
 侍というものは威張り散らす厭な存在だと思っている星太にとって、杉沢の丁寧な態度は驚きでありかつ新鮮でもあった。
 杉沢は石をまじまじと見つめ、
「確かにこれは大きいの。こちらに届けられた石の中では一番じゃ」
 言いながら横の井出を見やる。
「誠にそうですな。見事なものです」
 井出も頷く。過分な言葉に恐縮し清兵衛は頭を地面にこすり付けんばかりに低頭する。星太は地面に座っているがそこまではしていない。石を取られてしまう相手に土下座する気になれなかったのだ。
「清兵衛、面を上げよ」
 促され清兵衛は顔を上げた。物腰柔らかに自分達に接してくれる杉沢に少しずつだが星太は好感を抱きつつあった。
 この人になら聞いても大丈夫と思い、失礼とは思いつつ横から口を挟んだ。
「御代官様、お聞きしたいことがあります」
 突然の言葉に驚いている父を尻目に星太は続けた。
「御代官様はこの石が空から降ってきた星だと思いますか?」
 太兵衛は少し面食らった顔をしたが、微笑みながら答えた。
「儂としてはそう思うし、思いたいというのが本音だ。過去にも空から落ちて来た石は天降石とも星石とも呼ばれておる。まぁ、天文方が調べれば判ることだろう」
「天文方? それは何なのです?」
 聞きなれぬ言葉に思わず反応する。
「天文方とはその名の通り天文、つまりこの空の遥か上のことを調べる所だ。此度の石を集めるように言ってきたのも天文方からじゃ」
 心底驚いた。そのようなことを調べる場所があったのか。
「調べたあとはどうするのでしょう」
「儂も石を代官所に集めて幕府の天文方に送るように言われておるだけでな。その後どうするのかは知らんのだ。上からはそこまでしか聞いておらぬ故」杉沢は答え、そして付け足した。
「石を吟味した後で空からの災い物として何処かに捨ててしまうのかもしれんな」
 星太は思わず言い返す。
「何故です! 空から来たものが災いの物だと、どうして言えるのです。天からの使いかもしれないではないですか」
尚も言い募ろうとする星太に杉沢は諭すように語りかけた。
「星太とやら、この石が天からの使いであれ災いであれ、儂は上からそうお達しを受けたら従うしかないのじゃ。どうか判ってくれ」
 思わず言葉を飲み込む。
 確かにそうだ、自分だって父から何か頼まれたら余程のことがない限り断れない。
 十三になるかならぬかの年ながらもそれが世の習いなのだということは子供ながらにも判る。
「御代官様、言葉が過ぎました。お許し下さい」
 星太は殊勝に頭を下げた。
「気にするな。確かに私もあれがどうなるかはちと興味があるのでな」
 杉沢は徐に懐を探り包みを取り出すと
「少ないがこれは石を運んできてくれた手間賃じゃ。受け取ってくれ」
 清兵衛に包みを手渡す。押し頂くようにして受け取る清兵衛の横にいる星太を見やった杉沢は、ふと思い出したように「少し待て」と言い建物の中に戻り直ぐに何かを手に戻って来た。
「これは今日、間(あいだ)の食として持ってきた饅頭じゃ。少しだが持っていけ。帰りの道すがらに食べるとよい」
 差し出された笹の葉に包んだ饅頭を受け取り、御礼の言葉を述べ屋敷を後にした。
 歩きながら包みを開けてみると饅頭は三個入っていた。
 父と二人で饅頭を半分に分けて食べる。久しぶりの甘いものに星太の心は弾んだ。残りの二つは妹の八重と母に渡すつもりだ。
 二人の喜ぶ顔を思い浮かべながらも星太は別のことを考えていた。
 石を見つけても名主に届けたらそれまでだ。もう石を見ることも触ることもできない。
 今度また石を見つけたら名主には届けず、自分のものにしよう。そんなことをあれこれ考えながら大八車を押していたらいつの間にか家に着いていた。
 早速饅頭を妹の八重に渡す。大喜びした八重はその場でむしゃむしゃ食べ始めた。母にも渡したが、母は清兵衛が貰った銭の方に気を取られて、饅頭に関心を持ってくれない。饅頭より銭の方が好物なのだろう。
 八重は無邪気に「あの石がまた落ちてきたら、お饅頭が食べられるし銭も貰えるね」などと石を失ったことも忘れたかのように笑っていたが、もう名主の所に持っていくつもりのない星太は八重の言葉を笑って聞き流した。

 

 

 

 昼を終え畑仕事に戻った星太は鍬を振るいながら考えていた。
 何とかして石探しが出来ないものか。探すとしたら山の中しかない。何故なら村の畑などの平地に落ちた石は全て発見され届けられてしまったと聞いたからだ。
 聞くところによると山の方にも石は落ちており、それは未だ見つかっておらず、猟に出たり薪を拾いに出る時に石を探す者が村にも何人かいたようだが、最近は探す者も殆んどいないようだ。
山に入る一番いい方法は薪拾いだ。しかし薪拾いは妹の八重がしており自分には回ってこない。何か手はないものかと考えながら畑を耕していたが妙案は浮かばず日が暮れた。  家に戻り夕餉を取りながら、恐る恐る話しかける。
「お父、薪拾いなんだけど」
 突然話しかけられた清兵衛は鸚鵡(おうむ)のように「薪拾い?」と聞き返す。
「八重じゃなくておいらがやっちゃ駄目かな」
 いきなりの申し出に
「それは構わんが畑はどうする? それに八重のやることがなくなるだろう」
「畑はもう元に戻ったじゃないか。薪を拾う時間位は作れるよ。それに八重と二人なら短い時間で沢山拾えるし、何より二人で山に 入った方が何かあった時に安心だろう」
 懸命に話す星太を半ば胡散臭そうな顔で見ていた清兵衛は、
「お前がそこまで言うならやってもいいが、やることが増えて大変だぞ」と最もな事を言う。
 二人のやり取りを聞いていた佳代は、
「あんた、いいじゃないか。星太がそう言ってんだし、それに八重一人で山に薪拾いに行くのは私も前から心配だったんだ」
 と助け舟を出す。
 八重までもが「お兄と一緒に薪拾い行きたい!」と言うに至ったことで清兵衛は顎に手をやり撫で始めた。
 その仕草は父が何かに迷った時にやる癖だ。そう知っている星太はここぞとばかりに、
「父上様、お願い!」
 言いながら深々と頭を下げる。
「父上様なんてお前の口から初めて聞いたぞ」
 満更でもない口振りで頷き、やがて侍の口調を真似るように、
「相分かった。では星太に薪拾いを申し付ける」と居丈高に告げた。
 侍言葉が可笑しかったのか佳代と八重が笑い声を上げる。つられて清兵衛も星太も笑った。
 翌日から星太は畑仕事の合間を縫って薪拾いを始めた。山に入ると薪拾いなどそっちのけで、石がありそうな場所を探しまくる。
 八重には互いに離れた方が早く沢山集められるからと、もっともらしいことを言って、八重の姿が辛うじて見える範囲で離れた。
 しかしそんなに簡単に石が見つかるわけもなく瞬く間に三か月が過ぎ去った。季節は春から梅雨を経て初夏に変わり、山はそこかしこに緑色の葉が生い茂り、新緑で溢れていた。
 この時期の山は分け入るだけでも十分に楽しい。一緒にいる八重もどことなく楽しそうだ。薪拾いだけでなく茸や蕨も見つけたら取る。それが夕餉に味噌汁で出ると途端に食卓が豪勢になるのだ。
 稀に蕨の群生地を見つけることもある。そんな時は薪拾いを後回しにして八重と二人で蕨を取りまくる。取った蕨を薪入れの背負子(しょいこ)に詰め込んで意気揚々と帰るのだ。しかし肝心の石は見つからずじまいだった。
 それでも星太は諦めずに山から山へと根気よく石を探し続けた。
 或る日、星太達は村から大分離れた山で薪になる木を拾っていた。
 普段はこんなに遠くまでは来ないのだが、近くの近くの山で薪になるような枯れ木が見つからなかったのと、石探しをあらかた終えてしまっていたので思い切って五つ向こうの山まで遠征したのだ。
 迷わないようにと今回は八重と離れず同じ場所で探すことに決め薪拾いを始めた。流石に村の人達もここまでは滅多に来ないようで薪は簡単に集められた。途中で水を飲みたくなった星太は近くにある川に水を汲みに行った。竹筒に水を汲み終え、側の窪地に目を向けた星太はそこに不思議なものを見つけた。
 何かが掘り返したように土が抉れて黒土が剥き出しになっている。猪が山芋でも掘った跡かとも思ったが、それにしては足跡や毛などが見当たらない。もしやと思い底を掘ってみると黒ずんだ石が現れた。
 見た瞬間確信した。
 半年前に空から降ってきたあの石の一つに違いない。
「お兄、これあの時の石だ!」八重が驚いた声を上げる。
 手のひらにすっぽりと収まる位の大きさで、畑に落ちた石よりもかなり小さい。しかし却って好都合だ。これなら隠し持っていられる。
「八重、これを見つけたことは内緒だぞ。でないとまた代官所のお侍さんに取られてしまうからな」
 と言うと「それは嫌! 絶対言わない」八重は真剣な目をして誓う。
 家に飛ぶようにして帰った二人は両親に知られぬように裏の軒先に回った。そして袂に入れた石を取り出してみるとそれは黒光りしてまるで黒曜石のように見えた。
 家の中に置いては拙いと思い、裏の欅(けやき)の根元に埋めて石を隠した星太は再度、八重に他言しないよう念を押し、父の手伝いをするため鍬を持ち畑に向かう。土を耕しながら星太は考えた。
 小さい石とはいえ狭い家の中で隠し続けるのは、やはり難しいのではないか。あの石が空から降ってきたものと判れば父に取り上げられてしまうだろう。
 自分の手元に残すいい方法はないかと考えていた星太にある考えが閃く。
 山で拾ったこの石をこの前会った杉沢と言う代官に見せるのだ。
 そしてどうしたらよいか相談する。
 普通に考えればそんなことをしたらその場で没収となる筈だが、あの杉沢という代官はそうしないと思った。何か良い方法を考えてくれるに違いない。
(今度は名主様の所ではなく杉沢様の所に直接持って行かなきゃ)
 あれこれ考え、上の空で畑を耕していた星太は不意に父の声が掛かったことで現実に引き戻された。
「もう少し深く掘り下げろ!」
 よく見ると確かに地面を掘るというより撫でているような感じだ。慌てて星太は大きく鍬を振るい上げた。

 

 

 翌日の薪集めの最中に星太は、この前の石と似た黒っぽい石を探して拾った。
 八重に見せ自分の計画を話す。
「そうすればあの石はうちの物になる?」
 そこまでの自信はなかったが、
「勿論だよ。だから手伝ってくれよな」
 協力を求めると目を輝かせて
「うん!判った。手伝う」八重は大きく頷いた。
 その顔を見ながら、
(何としても上手くいくように頑張らなくちゃ)
 と星太は気を引き締めた。
 石を持って家に戻ると予(あらかじ)め軒先の薪の間に隠しておいた本物の石を取り出し両親に見せた。清兵衛は手に持ち重さを確かめつつ、
「この前の石の大きさとは比べるべくもないが普通の石より重いし、こりゃあ間違いないだろう」
 横にいる佳代と八重に同意を求めるように言う。
「名主様の所より代官所に直接届けた方がいいよね。そうでないとまた来てもらうことになって御代官様達大変だもの」
 如何にも代官達の気を遣っているように心掛けて言う。
「そうだな、その方が向こうも助かるだろうな」
「お父、おいらが届けてくるよ。小さい石だし、一人で大丈夫だから」
 と星太は勢い込んで言う。
「お前一人で行って門前払いされんかの」
「門衛のお侍さんには空から落ちて来た石を届けみに来ましたと伝えるし、御代官様から届け出るようにお達しが来てるんだから大丈夫」星太は胸を張って請け負った。
 翌日まだ日の上らぬ内に家を出た。八王子から代官所までかなりの距離があり、早い時間に出なければその日の内に戻れなくなってしまうからだ。
「お兄、必ず持って帰ってきてね」
 暗いなか外に見送りに出た八重が不安気な顔をした。
「ああ、大丈夫。任せておきな」
 手を振る八重に手を振り返しながら歩き出す。
 暫く歩いて家が見えなくなった時、思わず駆け出した。懐から二つの石を取り出す。
 上手くいった。山で拾った普通の石を見せては父に見破られると思い、両親には本物の石を見せ信用させた。
 勿論代官所に届ける石は普通の石だ。本物は御代官様だけに見せる。どうしたらいいか教えてもらう為だ。
 杉沢様なら必ず良い知恵を授けてくれる。
 代官所まで長い道のりにも関わらず星太の足取りは軽かった。
 門前に着き、用向きを伝えると子供一人で八王子から来たことに門衛の侍は驚いていたが、兎も角、中に通してくれた。
 中庭で待っていると、名主の所で井出と名乗った侍が出てきた。井出は星太のことを覚えていなかった。渡された石を少し眺めると
「遠路ご苦労であった。こちらで預かる故、もう帰ってよい」
 と言い背を向けた。このまま帰されてはたまらない。
「井出様、御代官様にお会いしたいのですが」
 屋内に戻りかけていた井出は振り返った。
「会ってなんとする」ここで気圧されては駄目だ。
「大事なお話があるのです。是非お目通りを」
「お主のような子供が代官殿に何の用があるというのだ。つべこべ言わずさっさと帰れ」
 居丈高に言われ気が萎えそうになったが、星太は勇を振るい、
「私は半年前にこちらの石よりはるかに大きい石を柚木村の名主様の所に届けた清兵衛の倅で御座います。この前お届けした石のことで父からお伝えするように言われたことがあります」
 咄嗟に出た嘘だったが、井出はそれで思い出したらしく、
「おお、あの時の子供か」
 言いながらも態度は変わらない。
「して伝えたきこととは何じゃ、拙者が聞いて代官殿にお伝えしてやるが」
 一瞬、諦めかけた星太だが、石の帰りを待つ八重の顔を思い出し、
(必ず持って帰るぞ、八重)
 心の中でそう妹に語りかける。そして続けた。
「いえ、お言葉は有難いのですが御代官様ご本人にお伝え致したく思います。どうか無礼を承知でお目通りを」
 言いながら平伏する。
 井出は少し考える様に腕を組み星太を見ていたが、
「相判った。代官殿にその旨伝えるのでしばし待て」
 と言い残して建物の中に入っていった。
 井出が立ち去った後、星太は我ながら己の無鉄砲さに呆れた。百姓の、しかも子供の自分が代官様に会わせてくれなど、正直無謀もいいところだ。
 あの井出という侍に流石に斬られることはなかっただろうが、問答無用で代官所から追い出されてもおかしくはなかった。
 戻って来た井出は「お会い下さるそうじゃ、こちらへ参れ。失礼のないようにな」と奥の間へ案内してくれた。
 奥の間に通され、そわそわしながら待っていると襖(ふすま)が開き杉沢が入って来た。星太の顔を見るなり、
「おお、あの時の子供か。名は確か星太と申したな」
 と優しく迎えてくれた。人の心を安らかな気持ちにさせる笑顔だ。
 そんな杉沢を見て星太はやはりこちらに来て良かったと思った。
 杉沢は星太の正面に座り、居住まいを正すとゆっくりした口調で話し出す。
「何か儂に話したいことがあるとか。一体どのような話かな」
「空から落ちて来た石をお届けにこちらに参りました」
「石は井出が預かった筈だが、他にまだ何かあるのか」
「はい。そうです。先ず謝らなくてはなりませんが、井出様に先程お渡しした石は空から来た石ではありません」
 杉沢が怪訝な表情に変わる。
「どういうことだ、つまりこちらに持って来た石は偽物と言うことか」
 要領を得ないといった顔だ。
「いえ。空から来た石は持って来ました。只、井出様にお渡しした石は別の石です」
「何やらお前の話はよく判らんな。つまり石は持ってきたが我々に渡した石は偽物というわけか」
「そうです」杉沢の顔を真っ直ぐ見つめ答える。
「何故その様なことをした。して、本物の石はどこにある」
 星太は懐に手を入れ布袋を取り出す。
「本物はこれで御座います」
 布袋を畳の上に置いた。杉沢は手に取り中を開ける。
 まるで黒曜石のように黒く、普通の石に比べやや重い。本物の石で間違いない。掌の上で転がしながら見入った。
「成程、確かにこちらの石は本物のようだ。だが何故井出に偽物を渡して儂には本物を見せたのだ」
「それは御代官様、いえ杉沢様なら私の願いを聞いて下さると思いお見せしたのです」
「願いとはなんだ」
「それは、この石を私自身の手元に置いておきたいのです」
「ならば何故こちらに持って来た。届け出る所に持ってきておいて自分の手元に置いておきたいなど意味が通らぬではないか」
「家に置いておけば家族に見つかり取り上げられてしまいます。そして必ずこちらに届け出てしまうでしょう」
 星太は懇願するように手を合わせた。
「杉沢様、何か知恵を授けて下さいませんか。無理なことは承知しています。でも私には杉沢様しか頼れる方がいないのです」
 平伏してお願いする星太を見つめ、杉沢は暫く黙り込む。
 やがて厳しい口調で言った。
「それはならぬ」
「杉沢様」何か言いかけた星太を遮り、
「星太よ、儂は幕府から空から来た石は全て回収して天文方に届け出よと申し渡されておる。故に村々に立て札を立てて、お前らに見つけたら届け出るように申し渡したのだ。如何に子供とは言えお前だけを例外とすることは出来ぬ」
 星太は肩をがっくり落とした。
 やはりこのお方は役人だ。当たり前と言えば当たり前だが幕府からの命令を破るはずがない。
 自分の見通しの甘さを後悔したがもう遅い。
 肩を落とし項垂れる星太を見やり、
「この石は儂が預かる。偽物を渡した件は本物を渡したことにより不問とする。ご苦労だった」
 杉沢は立ち上がり襖を開け奥に去った。
 星太は平伏する以外何も出来なかった。

 

 とぼとぼと歩く家への帰り道、星太は自分の考えの甘さにつくづく厭になった。
 あの杉沢という代官は自分の味方になってくれる。
 本気でそう信じた。しかし駄目だった。
 寧ろ偽物を渡したことを咎められずに済んだだけでも、良かったのかもしれない。
 夜も大分更けた頃に星太は家に戻った。父に石を届けたことを伝える。
「やっぱり石取られちゃったの?」八重は両親に聞かれないように小声で聞いてきた。
「御免な、八重」
 申し訳ない気持ちで一杯になり頭を下げた。
 八重は少しばかり悲しそうな顔をしたが、その思いを振り切るように、
「お饅頭は貰えなかったの?」
 と明るく聞いてきた。そういえば今回饅頭はともかく手間賃の銭も貰えなかった。
 そんなことに頭を巡らせる余裕さえなかった。
「お饅頭はたまたまあったから貰えただけで、いつも貰えるわけじゃないんだよ」
「なーんだ、そうなんだ。だったらある時に行けば良かったね」
 八重は少し不満気だった。
 こうして星太は再び元の生活に戻った。
 朝早く起き、父と共に畑を耕し八重と共に山へ行き薪を拾う。
 石を探すことを辞めたせいか薪を拾うのに気持ちが集中出来て、短時間で沢山薪を集められるようになった。
 八重は薪を集める時間が短くなったことでその分、家に早く戻れることを喜んでいた。家で遊べる時間が長くなるからだ。
 そんなある日、代官所から文が届いた。
 文には星太一人で代官所に出頭せよと書いてあった。
 父の清兵衛は驚き、
「お前代官所で何をした」
 と血相を変えて問い詰める。
 最初に偽物の石を渡したことを話すことは出来ず、困っていると更に文を読み進めていた清兵衛が急に相好を崩し、
「おお、御代官様がお前に渡したいものがあるそうじゃ、もしかしたらこの前持っていった石の手間賃かもしれん」
と最初の時とは打って変わって喜びの表情を見せた。
 母の佳代も「きっとそうだよ。この前は頂けなかった分の銭を下さるんだ」と喜ぶ。
 やはり大人は銭が一番の好物らしい。星太は銭より饅頭の方が好きだが。
「お兄、今度はお饅頭貰って来て!」
 八重まで頼み込んでくる始末である。
 翌早朝、家族全員に見送られ家を出た。
 皆の期待を一身に背負った形になり憂鬱な気分で代官所までの道を歩きながら星太はひたすら考えていた。
 何故今頃になって呼び出されたのだろう。
 もう一月以上も経っているのだ。文を読む限り偽物の石を渡したことで咎めるつもりではないようだが、今頃になって手間賃の銭を渡すというのも変な話ではある。
 それだけなら別に父でも良い筈だ。星太でなければならない理由はない。
 色々考えたが結局答えが出ぬまま代官所の前まで来てしまった。
 門衛に用向きを伝え中に通される。
 驚いたことに外で待たされず、いきなり代官所の中の奥の間へ通された。
 一体自分はどうなるのかと戦々恐々としていた星太は、やがて襖を開けて入って来た杉沢を見てつい怯えた顔になった。
 星太の表情を見た杉沢は
「何も取って食いはせぬ。安んじるがよい」
 言いながら対面に座る。
「この前はご苦労であった。石を届けてくれた礼をしていなかったことを忘れていてな。これを渡そうと思い来てもらったのだ」
 手に持った小さな木箱を星太に渡す。
 恐る恐る受け取り蓋を開けた瞬間、目を見張った。
 それは石で出来た小さな仏像だった。黒曜石のように黒く、普通の石より重い。
間違いない。あの石だ。
「知り合いの石工に頼んで作ってもらった。思ったより時間が掛かったが」
 何か言おうとして言葉に詰まる星太に、
「儂は村々の者に石を届けるように頼んだ。しかしこれは石ではない、仏じゃ。故に上に届け出る必要はない。まぁ、苦しい言い訳だが」
 悪戯っぽく笑う。
「以前読んだ中国の文献に書いてあったが、天から降りたる石はあらゆる災厄から持つ者の身を守ってくれるそうじゃ。この前の石の届け出に書いてあったが、お前の名に星の字があるであろう。この石は星太、お前にこそ相応しい」
 石を持つ星太の両手を包み込むように握りしめる。
 星太は目から涙が出るのを感じた。
 やはりこの人は自分のことを判ってくれた。
 判ってくれたからこそ石を石仏にして返してくれたのだ。
 ぽろぽろ涙を零す星太に向かい杉沢は言った。
「これからも家族を大事にし、畑仕事に励むがよい」
 星太の体を包み込むように杉沢は優しく抱きしめる。全身を預けて咽び泣いた。
 家に戻り家族に石仏を見せると清兵衛と佳代は、
「そんなものより銭の方が良かった」
 星太の顔を見て渋面を作る。
「石仏じゃ食べられん。饅頭の方が良い」
と八重にも落胆した顔で言われたが、後から石仏の正体を教えると打って変わったような喜びようで
「お兄、やっぱり御代官様に相談して良かったね」
 とはしゃいだ。石仏は仏壇に置かれることになり、星太と八重はそれから仏壇にこまめに手を合わせるようになった。
 急に信心深くなった二人を見て清兵衛と佳代は時々顔を見合わせて不思議そうな顔をするのだった。
 こうして石は仏に姿を変え星太のものになった。  後に江戸にコロリが大流行し大勢の人が死んだが、清兵衛一家は誰一人コロリに掛かることはなかった。
 村人は不思議がって、いつしか清兵衛の家の石仏に祈ればコロリに掛からないという話が伝わり柚木村だけでなく近隣の村々や遠く江戸の町から石仏にお参りする人が頻繁に訪れるようになった。
 そんな人達のために清兵衛は家の裏手に小さいお社を作り石仏を置いた。社に名前を付けることになり、星太は迷わず「星の社」と名付けた。
 時は流れ、石仏は子孫の家の庭にあるお社の中に今でもちょこんと置かれ家族を見守っている。
 その様を空の上から見て星太と八重は互いに顔を見合わせて微笑んでいるに違いない。

                        了

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