明治期から大正期にかけて活躍した実業家・教育者・社会活動家であった、広岡浅子が生まれた日です。
嘉永2年(1849年)9月3日のことでした。
広岡浅子は、山城国京都油之小路出水の豪商・小石川三井家6代高益の四女として生まれました。
数え17歳のとき、大坂で米問屋と両替商の両方を営む富豪・加島屋8代目広岡久右衛門の次男である信五郎と結婚しています。
慶応3年10月14日(1867年11月9日)にあった大政奉還の影響で、主要な取引先だった大名諸藩への貸し金が無に帰すところを、浅子は出向いて返済を求めるほどの豪胆さを見せたといわれています。
明治維新後の混乱期に実業界へ入った浅子は商才を発揮し、経営危機に陥っていた加島屋を立て直すと、明治17年(1884年)に炭鉱経営、明治21年(1888年)に加島銀行設立、明治35年(1902年)、大同生命創業に携わりました。
明治35年(1901年)には、東京都文京区目白台に、日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)の創立に尽力。
その後も女性教育にも貢献し、女性参政権獲得運動で有名な市川房枝や、翻訳家でもあり作家でもあった村岡花子らを世に送り出しています。
「七転八起」以上に諦めないという意味で、「九転十起」を座右の銘とし、筆名にも「九転十起生」を用いた浅子は、大正8年(1919年)1月14日、腎臓炎のため、満69歳で亡くなりました。
のち、平成27年(2015年)9月28日、浅子をモデルにしたNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が放送され、ヒロインを波瑠が演じ、好評を博しました。
[平成30年(2018)10月18日]掲載