幕末期から明治初期にかけて活躍した写真家・上野彦馬が生まれた日です。
天保9年(1838年)8月27日のことでした。
彦馬は、肥前国長崎銀屋町に住む蘭学者で、長崎奉行所の御用時計師でもあった上野俊之丞の四男として生まれました。
父の俊之丞は日本で最初の銀板写真法(ダゲレオタイプ)の機材を輸入し、島津斉興を撮影したそうです。
嘉永3年(1850年)、12歳の時に父を亡くし、家督を継いだ彦馬は、2年後の嘉永5年、豊後日田の広瀬淡窓の咸宜園に入門します。
安政5年(1858年)には、オランダの海軍医で、長崎海軍伝習所に務めていたポンペが開く舎密(せいみ)試験所で化学を、フランス人ロッシュには写真術を学びました。
化学と写真術を修めた彦馬は、文久2年(1862年)、長崎中島川沿いに日本初の写真館[上野撮影局]を開業。
噂を聞きつけた高杉晋作や伊藤博文、坂本龍馬ら維新の志士が数多く撮影に訪れました。
人物はもちろん、風物も撮影した彦馬は、明治7年(1874年)、金星の天体写真の撮影に成功しています。
そして3年後には、西南戦争の戦跡を写真に残します。
どちらの写真も日本初の天体写真、日本初の戦争写真となりました。
下岡蓮杖、鵜飼玉川とともに、日本写真界の先駆者とされた彦馬は、明治37年(1904年)5月22日、67歳で亡くなりました。
[平成30年(2018)10月15日]掲載