シネコラム

第668回 一日だけの淑女

飯島一次の『映画に溺れて』

第668回 一日だけの淑女

令和六年八月(2024)
渋谷 シネマヴェーラ

 

 デイモン・ラニアンを初めて読んだのは、高校三年の夏休み、初めて買った早川のミステリマガジンに掲載の『ミス・サラー・ブラウンのロマンチックな物語』で、翻訳は加島祥造だった。その後、新書館から出た短編集『野郎どもと女たち』も購入した。この本は当時の私にとって、リング・ラードナーの『微笑がいっぱい』同様の愛読書であり、今でも本棚の手の届くところに二冊とも収まっている。どちらも一九二〇年代から三〇年代、禁酒法時代のアメリカのユーモア小説。まるで落語の人情話のような一人称の語り口。
 フランク・キャプラもまた当時活躍した監督で、戦前に公開された『或る夜の出来事』や『スミス都へ行く』も心に残る。このキャプラ監督がデイモン・ラニアンの短編『マダム・ラ・ギンプ』を映画化していた。『一日だけの淑女』である。
 リンゴ売りのアニーは物乞い同然の暮らし、安アパートでジンに酔うみすぼらしい老婆で、幼い頃に別れてスペインに住む娘と文通するのが唯一の楽しみ。手紙には金持ちと再婚し優雅に暮らしていると嘘を書いていた。その娘が伯爵の令息と婚約したので、彼の両親に母親を紹介するためニューヨークに来ることになった。相手に自分の今の境遇が知れたら、娘の婚約は破棄される。そのアニーの危機を救うのがギャングのボスのデーヴ。仲間を集めて、アニーを金持ちの貴婦人に仕立て、「判事」と呼ばれる賭博師のヘンリーを金持ちの夫役にし、スペインから来る娘と伯爵一家を迎える。こんな嘘はばれそうになるが、結果としてハッピーエンド。そこがフランク・キャプラのうまいところ。
 この作品のセルフリメイク『ポケット一杯の幸福』がキャプラの遺作となった。ジャッキー・チェンの『奇蹟/ミラクル』も同様のリメイク。そしてたまたま『ポケット一杯の幸福』と同時期に公開された東映の時代劇『美男の顔役』がそっくりの展開。天保六花撰の世界で、河内山や金子市たちが侍くずれの直次郎を旗本の殿様に仕立てる趣向なのだ。
 映画の原作『マダム・ラ・ギンプ』は、他のラニアン作品同様、裏世界に通じる男が語る一人称の短編で、映画ほど大がかりではないが、これもまた味わい深い。

一日だけの淑女/Lady for a Day
1933 アメリカ/公開1934
監督:フランク・キャプラ
出演:メイ・ロブソン、ウォーレン・ウィリアム、ガイ・キビー、グレンダ・ファレル、ジーン・パーカー、ウォルター・コノリー、ネッド・スパークス、ナット・ペンドルトン

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