シネコラム

第660回 沈黙 —サイレンス—

飯島一次の『映画に溺れて』

第660回 沈黙 —サイレンス—

平成二十八年十二月(2016)
飯田橋 角川試写室

 

 篠田正浩監督の日本映画『沈黙』から四十五年後に、マーティン・スコセッシ監督が同じ遠藤周作の原作を映画化した。アメリカ映画『沈黙 —サイレンス—』である。
 篠田版『沈黙』は江戸時代の日本人から見た異邦人の物語、外界から来た新宗教を信じる人たちが迫害される歴史劇であった。
 一方、スコセッシ版は日本の長崎が舞台だが、ハリウッドスターのアンドリュー・ガーフィールドとアダム・ドライヴァーが司祭ロドリゴとガルペ、リーアム・ニーソンがクリストファン・フェレイラを演じ、当時のヨーロッパ人が体験する東の果ての異郷の物語になっている。
 十七世紀、鎖国下の日本で布教を続けていた管区長フェレイラ神父が捕らえられ改宗したとの噂がローマに伝わり、弟子であるふたりの若い司祭が真偽を確かめるため、日本への密入国を果たすが、彼らを待ち受けていたのは、拷問、虐殺、水責め、火責め、逆さ吊り、キリスト教徒への過酷な迫害であった。ふたりが潜入した時代の日本は天草の乱直後で、徳川幕府は切支丹に対する弾圧を強化し、外国人宣教師は国外追放となり、それでも潜伏している者は捕らえられ、拷問の果てに命を落とす。幕府は外国人宣教師を簡単には殺さず、棄教させることで、一般信者の信仰を断ち切ろうと画策する。
 アメリカ映画だから当然なのだが、私たち現代の観客は日本人でありながら、アンドリュー・ガーフィールド扮するロドリゴの目で異国の風景を見、異国の風習を知る。遠藤周作の原作もまた、ロドリゴの視点で描かれているので、この歴史小説は欧米で映画化されることで、よりリアルさを増す。もちろん、日本人キャストは一流であり、風俗も日本の時代劇と変わりなく、きちんと描かれていて、安心して観ていられる。
 マーティン・スコセッシ監督は遠藤周作の原作を映画化の二十八年前に読み、ずっと温めていたという。巨匠スコセッシに二十八年間も思われ続けた小説。文学の持つ根強さ、力強さを感じずにはいられない。

沈黙 —サイレンス—/Silence
2016 アメリカ/公開2017
監督:マーティン・スコセッシ
出演:アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライヴァー、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシ

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