シネコラム

第628回 シークレット 嵐の夜に

飯島一次の『映画に溺れて』

第628回 シークレット 嵐の夜に

平成十年十一月(1998)
飯田橋 ギンレイホール

 

 ピーター・ブルックは『何もない空間』で、女優にいきなりあるせりふを読ませる。教養と品性をそなえた優雅な貴婦人が父親を心から愛し敬っているというせりふ。女優は心をこめて優しくせりふを語りかける。ブルックはそこで種明しする。そのせりふはシェイクスピアの『リア王』の長女ゴネリルのせりふだと。最初から知っていたら、女優は口先だけで腹黒い長女の親切そうなせりふとして読むだろう。だが、先入観なしに読めば、リア王もうっとりと騙されるような美しいせりふなのだ。
 シェイクスピアの『リア王』を現代風に組み立てた『シークレット 嵐の夜に』では長女も次女も悪人ではない。アメリカの大農場主の老人が三人の娘たちに土地を株式会社にして分割しようとする。頑固で言い出したら聞かない父親。姉二人は賛成するが、末娘は疑問をはさむ。父は怒って土地を二分割し、姉ふたりに分け与える。
 農場主がジェイソン・ロバーズ、長女がジェシカ・ラング、次女がミシェル・ファイファー、どちらも農家の主婦である。三女で独身の弁護士がジェニファー・ジェイソン・リー、長女の夫がキース・キャラダイン、次女の夫がケヴィン・アンダーソン、近所の農夫の息子の流れ者がコリン・ファース。
 このアメリカの田舎で展開する豪華でリアルな『リア王』はシェイクスピアの精神を受け継ぎながら、ゴネリルとリーガンを主役にしている。ここで悪役になるのは頑固で悪意の塊である認知症寸前のリア王だ。横暴な父に仕え、ふりまわされる長女。父に反発する次女。そして嵐の夜、わがままな父は怒りを爆発させ、家を飛び出す。父は弁護士である三女を呼び出し、姉たちに与えた土地を取り戻す裁判を起こす。そして、三女は策をろうして姉たちを悪人に仕立てるが、裁判に負ける。裁判に勝った長女と次女は近所から父を迫害する悪女として罵られる。長女と次女の悲劇だが、周囲からはシェイクスピアの『リア王』そのものに見える仕掛けが巧妙である。

シークレット 嵐の夜に/A Thousand Acres
1997 アメリカ/公開1998
監督:ジョスリン・ムーアハウス
出演:ミシェル・ファイファー、ジェシカ・ラング、ジェイソン・ロバーズ、ジェニファー・ジェイソン・リー、コリン・ファース、キース・キャラダイン、ケヴィン・アンダーソン、ミシェル・ウィリアムズ、ジョン・キャロル・リンチ

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