書評『作家という生き方』

書   名  『作家という生き方 評伝高橋克彦
著   者  道又 力
発行年月日  2021年4月25日
定   価  本体1700円(税別)
発   売  現代書館

 

作家という生き方 評伝 高橋克彦

作家という生き方 評伝 高橋克彦

  • 作者:道又力
  • 発売日: 2021/04/16
  • メディア: 単行本
 

 

 岩手県釜石市生まれで現在も盛岡市に居を構えて書き続けている高橋克彦の「評伝」が刊行された。
 著者は高橋克彦の秘書兼運転手兼弟子にして、盛岡文士劇の脚本を長く手がけている脚本家の道又力(みちまたつとむ)である。

 SF、ホラー、本格推理小説、冒険小説、伝奇小説、歴史小説、時代小説とほとんどのジャンルを手掛け、それぞれに名作が軒を並べている高橋克彦は1983年『写楽殺人事件』で第29回江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー、1992年『緋(あか)い記憶』で第106直木三十五賞を受賞 (1992年)、かつ、吉川英治文学新人賞(1986年)、日本推理作家協会賞(1987年)、吉川英治文学賞(2000年)、NHK放送文化賞(2002年)、日本ミステリー文学大賞(2012年)、歴史時代作家クラブ賞実績功労賞(2013年)など、賞という賞を総なめにしている。
「こんなにも多面的に才能を発揮し得た作家はこれまでいなかったし、今後も現れないだろう」と道又が記すように、各分野で頂点を極めた大作家である。

 道又は誕生から今日までの克彦の半生を克彦の作品を引用し、克彦の秘蔵写真70枚ほどを織り込みながら綴っていく。このオムニバス形式はきわめて刺激的かつ魅力的である。引用する作品はかなり読み込まねば容易く引用できないであろう。加えて、評伝著述のための即席の取材インタビューではなく、長い歳月を通じ、過去と現在との往復を繰り返しつつ蓄積した「インタビュー」であるから、言葉に重みがある。時には、「見栄っ張りで思い込みの強い克彦」、「日本史の知識に欠落が多い克彦」などと決めつける毒舌の道又がいるのも愛嬌である。道又と克彦の遭遇はいつで、秘書になったのはどういう経緯かと想像しながら読むのも楽しい。本文中に固有名詞としての道又の登場はないが、克彦を長く支えてきた身近な存在である著者にして綴ることが可能な作品に仕上がっている。

 構成は、「第一章 空飛ぶ円盤に導かれて――高校卒業まで。第二章 十年書くのを止めなさい――作家になるまで。第三章 岩手で物語を紡ぐ――作家になる。第四章 大衆文学の頂点を目指す――直木賞以後。第五章 大震災が変えた人生――あの日から」の5章構成。どの章から読み始めても面白いが、一つの読み方として「作家になる前の克彦」と「作家になった後の克彦」の2部に分けて読む方法があろう。

「作家になる前の克彦」――。少年克彦の贔屓は栃錦若乃花は嫌いだった/線路に釘を置き、汽車に轢かせて手裏剣を作った/「笛吹童子」シャラーリ、ヒャリーコ/「ぼくらは少年探偵団」のBDバッチを20、30個も買い集めた。
 母のこと/母の弟の木村毅(ロシア文学者)のこと/佐々木喜善は父方の祖父・高橋菊治の盛岡の医学校時代の友人であるという。
 中二の冬、生まれて初めて生霊を見、高一では自分の生霊を見る/ホクサイ、フミ、タマゴら愛猫との交感など目には見えない世界が実在すると確信する克彦/一線を越えぬまま別れた初恋の人/医者を継ぐつもりではいたこと/ビートルズに会いにゆくべく、ソ連から欧州への大旅行を敢行/浮世絵との出逢いもすでに高校時代であること/浪人生活一年目の克彦を虜にした札幌の街の美しさと楽しさ/生涯の伴侶・市川育子との出会い/親の金で安逸を貪っていた時代、すれ違いざま「豚」と呟く父。脛をかじらせてくれた父への思い……。

 配置された写真がこれまた絶妙である。生後まもなくから、小中高と、よくぞここまで豊富に残っているものか。「永遠のアイドル ミコちゃん」と並んで映る記念写真も。若き恋人・奥様の育子のなんと可憐で愛らしいことか(私はまだお目にかかったことがないが)。
 まったく知らない克彦がいる。面白さ満載。克彦ファンにはたまらない。

「作家になった後の克彦」――。
 担当編集者に「十年書くのを止めなさい」と言われたことや乱歩賞の記者会見での爆弾発言、『倫敦暗殺塔』で挫折感を味わうことのエピソードはつとに知られたものであるが、克彦の小説を読み続けている者だけが知る醍醐味を再度味わうことができる。
 歴史小説とのかかわりでいえば次のエピソードもまた欠かせない。
 京都大原の山中で道に迷った克彦はそこで出会った老婆の郷土愛に感銘を受け、生まれ育った郷土の歴史を知らねばならないことを知り、いずれは生まれ育った東北の歴史を題材に小説を書かねばと決意するのである。

 本書は「評伝」の形式をとった優れた文芸評論でもある。
 歴史小説と時代小説の違いを語ることは「歴史時代小説」なる奇妙な用語が存在するほどに難しいが、道又は、「克彦の場合、実在の人物を主人公に地方の視点から歴史をとらえ直すのは歴史小説、江戸を舞台に正義のヒーローを自由な発想で活躍させるのは時代小説、と使い分けている」と記す。なんとも明快この上なく、さりげないことか。目から鱗とはこのことである。

 また、歴史小説を書く者は司馬遼太郎の呪縛から逃れられないのがほとんどである。次なる文章も見逃せない。
「『炎(ほむら)立つ』を執筆することで、克彦は新しい歴史小説の書き方を掴んだ。司馬遼太郎は常に歴史を俯瞰して書いた。(中略)克彦は『炎立つ』で、その書き方を捨てた。作者と違って、登場人物は自分の未来を知らない。その瞬間起きることに、その都度向き合って行動するだけである。克彦も同じ立場に自分の身を置いた。ある事件に遭遇した時、彼らがどう乗り越えるかを一緒に必死で考える。歴史が今まさに目の前で動いているところを、まるで目撃しているかのように書こうとしたのである。(中略)克彦はそれによって、ようやく司馬の呪縛を抜け出したのである」。

炎立つ』は93年放映の NHK大河ドラマ原作となった作品である。奥州藤原一族の歴史を敗者である藤原氏側から描いた『炎立つ』を書き終えて、克彦はライフワークのテーマ、「敗者によって抹殺された蝦夷の歴史を掘り起こし、東北の誇りを取り戻すこと」を見つけたという。
 締めくくりは3.11 東日本大震災である。著者は、この震災に遭遇した克彦が、小説がいかに無力であるかを痛感し、打ちのめされ、苦悩し続けながらも、作家という生き方を選んだ克彦を目の当たりにし、その上で、克彦と共に「だが、小説は無力ではけっしてない」と断言し、再び筆を執る不屈の克彦を描いている。本書の本題「作家という生き方」には東日本大震災が込められているのである。
 一貫して盛岡にこだわり、盛岡で書き続ける克彦が「心の故郷は、私がかつて暮らした昭和30年代の盛岡だ」と盛岡を語るシーンがある。

 克彦は1947年(昭和22)8月6日の生まれで、比べるのも烏滸がましいが評者(私)より2歳年上。同世代の私は当時を思い浮かべながら読んだ。とりわけ「作家になる前の克彦」は、故郷と心の故郷とは異なることにも思いを馳せつつ、「昭和世相史」として読みふけったことも蛇足ながら付記したい。
 巻末に附された「高橋克彦全著作」も労作で貴重なものである。欲を言えば、「高橋克彦年譜」も欲しかったが。
 長年、苦楽を共にした作家と秘書との阿吽の呼吸で醸し出される本音が随所に溢れている本書は史料性も高く、克彦の全てがわかる本として、克彦研究の基本書、必読書となるであろう。

 道又力 は1961年岩手県遠野市生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。脚本家。『文學の國いわて』(岩手日報社)、『芝居を愛した作家たち』(文藝春秋)などの著書がある。本書と共に紐解き、こころ篤き街・盛岡を堪能したい。

 
               (令和3年4月21日 雨宮由希夫 記)