文庫書下ろしシリーズ編
シリーズもののベストテンは基準が難しいこともあり、選考のコンセプトを変えることにした。
2020年のシリーズものの動向は、ベテランの長寿シリーズが安定した刊行ペースと売れ行きを示しており、大きな変化は起きていない。そこで選考基準を変えて
内容に新しさがあるシリーズと、ベテラン作家の新シリーズ、及び新しい書き手のシリーズものを中心に取り上げてみた。断っておきたいのは取り上げた作品のあら筋は、読んでのお楽しみと言う事で避けたことである。
吉橋通夫『早替わりで候 音二郎よんどころなき事件帖』 角川文庫
無邪気に楽しく読めるという最近では得難い感想を抱いた。理由は時代小説ならではの面白さを満喫できたからである。着想のユニークさは群を抜いている。読み進めながら柴田錬三郎、五味康祐、南條範夫などの伝奇的手法を駆使した、手に汗を握るチャンバラ活劇と出会ったような錯覚を覚えた。と言っても古典的というわけではない。きっちり新しさも盛り込まれている。
特に豊かな物語性とスピーディな展開は腕の確かさを感じさせる。エネルギッシュな登場人物の生き様を、生き生きと描き切る筆力には脱帽である。正直、まだこの種の本格的な正統派の時代活劇を書ける作家がいたことに驚いている。作者の ホームグランドは児童文学だが、その中でも時代ものは物語性に富んだ冒険小説で、作家としての資質を感じ取れる。
よんどころなきと早替わりというコピーに本書の特徴が言い尽くされている。とにかく読んで欲しい。
藤原緋沙子『へんろ宿』 新潮文庫
作者がシリーズものの世界で絶大な人気を誇っている訳が本書を読むとよくわかる。題名の『へんろ宿』に注目して欲しい。今度の舞台は四国かと思わせる。実はこれが作者が仕掛けた物語への導入口なのである。『へんろ宿』には生きていく上での喜怒哀楽が濃縮された形で息づいている。その『へんろ宿』の場所を江戸回向院前に置いたところに本書の肝がある。これは作者の代表的シリーズ『隅田川御用帳』で、縁切り寺を浅草に設定した手法を踏襲している。
この「へんろ宿」のイメージを冒頭で類稀な名文章で綴っている。特に一弦琴の音色に乗せて生き様をなぞるように語っていく手法は見事の一言に尽きる。円熟ささらに磨きがかかっている。
このことは同時期に刊行された『隅田川御用日記』にも言える。『隅田川御用帳』の後を継ぐ物語という位置付けだが、最終巻『秋の蝉』から五年経て展開される
世界は、円熟と派手さが消えて深い味わいを感じさせるものとなっている。
『へんろ宿』の解説を縄田一男氏が書いているが、最近多いい現代とリンクさせたりする手法は、真っ向から登場人物の生き様と向き合っているのに好感が持てた。 良質な解説である。
篠 綾子『からころも 万葉集歌解き譚』 『たまもかる』第二弾 小学館文庫
単行本のみならずシリーズものでも健筆を振るい、ヒットを飛ばしてる篠綾子の新シリーズである。作者の最大の強みは小説作法の根底に日本語の美しさや日本語の固有の響きを、物語を編むことで読者に伝えたいという熱い思いが息づいているからである。
特にこのシリーズはそういった作者の特徴を伺うことができる。造詣の深い万葉集をネタに、今を生きる人々の思いを掘り起こす手法を取っている。万葉集から適切な和歌を取り出す選定眼の鋭さと、その和歌を起点として登場人物の懐に入っていくエピソードの作り方は実に巧みである。謎のかけ方、解き方も上手くなっている。万葉集の持つ意味を具体的なエピソードを披歴することで、身近なものとして認識させるところに深い意義がある。
井伊和継『二階の先生 目利き芳斎事件帖1』 二見時代文庫
シャーロックホームズの研究者としても著名な作者が、満を持して発表する本格的謎解き時代小説である。ベテラン作家だけに独自の作品世界を構築する筆力はさすがである。特に江戸のシャーロックホームズを描くことがモチーフとしているだけに安心して読めるところがいい。
湯島の道具屋の目利き、千里眼の鷺沼芳斎に、解けぬ謎はないというのが歌い文句となっている。大仕掛けの謎ではないことを逆手に取って、丁寧に解いて
ところが面白い。洒落た感じが各エピソードを貫いており、作者の存在感を感じることができる。すでに第二弾『物乞い殿様』も刊行されている。
泉 ゆたか『雨上がり お江戸縁切り帖』 集英社文庫
作者が初のシリーズものに挑戦してきた。2019年に『髪結百花』で日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞し、その後、『お江戸けもの医毛玉堂』、『おっぱい先生』、『江戸の女大工』とコンスタントに話題作を連発し、一作ごとに独自の世界観を構築してきた作者が、新たな冒険に踏み切ったのが本書である。
いい出来栄えである。シリーズものとしての期待値大である。題材の選定と舞台装置がうまい。明暦の大火直後の世情を舞台としているのだが、この背景には3.11、自然災害、新型コロナウイルスによる惨状がある。時代性を問題意識の根底に据えて、人と人の<縁>をテーマとしている。それを<縁切り>と裏返ししたエピソードで描いているところに着想の非凡さを伺うことができる。
登場人物の書き分け方も秀逸である。ヒロイン糸は人生経験は浅いが筆が立ったため縁切りの代書屋となる。実にうまい設定である。荷は思いが成長の余地を残しておくという仕掛けを施している。奈々の大人びたキャラが全体のトーンをやわらげている。人生経験の豊富なイネの存在が、縁切りの解決法に深みを付加する役割を担っている。感性が柔軟で優しい人柄の若人、生意気盛りの溌溂とした子供、重しとなる老人がチームとなって事に当たる。シリーズものを成功させる否決の一つは、脇役の役割分担がスムーズに機能することと、スタンスがきちんとしていることである。秀逸と表現したのはこれができているからである。楽しみが増えた。
鷹山 悠『隠れ町飛脚 三十日屋』 ポプラ文庫
本書はポプラ社小説新人賞受賞奨励賞受賞作である。シリーズものの大勢を占める市井人情もので、職業の設定に工夫を凝らしている。それが隠れ町飛脚で曰くつきの品とお客の思いを届けるのが仕事だ。曰くと思いが各エピソードのエッセンスとなっている。特に新しさがあるわけではないが、手慣れているところに可能性を感じた。但し、安定路線の狙い過ぎという感は否めない。曰くと思いにもっと読者話捉えてやまないようなエピソードを工夫すれば深みが出てくる。