菊池仁

極私的・偏愛的ベストテン2020年度版

 極私的・偏愛的ベストテン2020年度版

    

 新型コロナウイルスが猛威を振るっている。危機管理能力が極端に欠如している現政権は、猛威の後追いをしているだけで決断できずに事態をいたずらに悪化させているばかりだ。それもそうだ。棒読み首相のオリジナル発言で見るべきものは場の論理を全く理解していないガースーだけというお粗末さなのだから。ところがこのガースーが<自滅の刃>となり、「現代用語の基礎知識」に登録されることと相成った。それはそうとして、結局、結論は不要不急の外出を控えるようにというお決まりの文句となった。
 国民は引きこもっていなさいと言う事だ。よく考えるとこれは必ずしもマイナスに捉える必要はないことに気付いてしまったのだ。どういうことかというと、コロナ渦中の引きこもりには<時代小説が良く似合う>からだ。その理由の第一は、作品に描かれているのは、歴史年表に記されているような<過去>ではなく、その時代を生きた人々の生々しい<現在>だからである。勿論身分によって、その暮らしは全く違う。現在の生活環境とは程遠いものがある。しかし、大事なのは<暮らしに対する思い>である。思いに時代や環境の差はなどない。作家が歴史を舞台として小説を書くのは、その一点が根幹だからに他ならない。
 第二の理由は、時代小説こそ行き詰まりを打開し、道を開く勇気や家族愛を描くのを最も得意としているからだ。御託はこのあたりにして、ベストテンに入ろう。

 

                 単行本編

第一位 『天離り果つる国』 宮本昌孝  PHP

 

天離(あまさか)り果つる国(上)

天離(あまさか)り果つる国(上)

  • 作者:宮本 昌孝
  • 発売日: 2020/10/10
  • メディア: 単行本
 

 

 総合的、俯瞰的見地とは隔絶した個的、微細な視点で戦国の世をとらえたところに新しさがある。弱小国や弱者を踏み潰していく権力に抗った若武者と姫を主人公として描いた活劇巨編である。飛騨白川郷に戦国を掌握するためには欠かすことのできない秘密を埋め込み、この争奪戦をスピード感あふれるスリリングな展開が見事にはまっている。孤塁を守るヒーローとヒロインの凛々しさが眩しい。戦国ものがヒーロー小説であることを教えてくれる逸品である。

 

第二位 『まむし三代記』 木下昌輝 朝日新聞出版

 

まむし三代記

まむし三代記

  • 作者:木下 昌輝
  • 発売日: 2020/02/07
  • メディア: 単行本
 

 

 信長、秀吉、家康といった三人の覇者を超える戦国武将を造形することにより、ありきたりの戦国史を根底から覆して見せた快挙本である。斎藤道三と父親が辿り着いた日ノ本すら破壊するという最終兵器<国滅ぼし>とは何か。これを見せ球として経国、救民という戦国武将が持つべき哲学と志をマムシ三代戦に刻み込んだ才覚は瞠目に値する。卓越した人物解釈は作者の成熟が確実に進みつつあることを示している。

 

第三位 『北条五代』 火坂雅志伊東潤 朝日新聞出版

 

北条五代 上

北条五代 上

 

 

 執筆半ばで亡くなった火坂雅志『北条五代』を剛腕・伊東潤が書き継いだのが本書である。
 独自の歴史観と鋭い人物解釈で、戦国ものに新たな光を当ててきた火坂ワールドの集大成的な意味合いを持っていたのが『北条五代』であった。戦国ものを書き続けてきた火坂雅志にとって、百年に渡る北条五代の歴史は、戦国の縮図であったと思ぅ。つまり、群雄割拠、下克上を逞しい精神力と知略をフル回転させて生きた早雲。氏綱は北条の地歩を固めた。それをベースに氏康、氏政、氏直の三代を経て、経国、救民による王道楽土を描くことがねらいであった。
 重要なのは、完結に持って行けなかった火坂雅志の無念さに寄り添い、バトンを引き継いだのが伊東潤であったことだ。伊東はその狙いに共鳴し、経国、救民を目標とする精神の連続性を太い動線として後半を固めた。下巻第四章が素晴らしい出来栄えとなっている。歴史を超える精神の連続性という解釈のもとに造形された氏直の人物像は、伊東ならではのダイナミックな解釈と、鋭い彫り込みで独自性に溢れている。コラボレーションがより崇高な高みを極めたものとなっている。
 これを快挙といわずして何を快挙と言うのか。

 

第四位 『天穹の船』 篠綾子  角川書店

 

天穹の船

天穹の船

  • 作者:篠 綾子
  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 単行本
 

 

 物語の発端は安政地震による津波であった。この津波により、日露和親条約締結交渉のため、伊豆下田沖に停泊していたディアナ号が大破。修理のために伊豆戸田に回航中に沈没してしまうという出来事が起こった。ロシアに帰国するために
は変わりの船を用意しなければならない。開明派の江川太郎左衛門は、本格的な様式帆船の建造技術を習得する絶好のチャンスと捉えた。
 作者はこの歴史的事実に注目し、崇拝する江川の頼みで船大工として参加する主人公を物語に投入。造船のプロセスを丁寧に描く中に、主人公平蔵の内面、要するに様々な困難に立ち向かいつつも、自問自答をする姿を繰り返し撚り合わせるように挿入している。これが物語に得難い緊迫感となって奏でられている。
 極めつけは平蔵が船大工を目指すモチーフを、作者が得意とする和歌を巧みに使いこなすことで豊かなものにしている手法である。

 天の海に雲の波立ち月の船
 星の林に漕ぎ隠る見ゆ       柿本人麻呂

 実にうまい。さらに<郡内騒動>も登場する。これにより物語の間口が広がっている。コロナ禍で喘ぐ時代が欲しているのは作蔵の生きざまである。時代小説でなければ書けない価値がここにある。

 

 『化け物心中』 蝉谷めぐみ  角川書店

 

化け者心中 (角川書店単行本)

化け者心中 (角川書店単行本)

 

 

 時は文政、所は江戸、鳥屋を営んでいる藤九郎が元立女形の魚の助に呼び出され、中村屋をまとめている座元のところに向かう。二人は鬼探しという奇妙な依頼を受ける。これが物語の発端である。新作台本の前読みをしていた六人の役者の輪の真ん中に、頭が転げ落ちてくる。ところが役者は六人のままである。この謎を解いて犯人を探し出せと伊野が以来の内容である。怪奇に溢れた出だしで掴みとしては上出来である。
 発表されると同時に新人とは思えぬ力量に拍手喝采となった逸品である。作者の非凡さは探偵役の二人の人物造形にも見ることができる。藤九郎の造形に彫り込まれる鳥屋も意味深で、ものの観方は感覚的で突出している。需要な仕掛けはこの藤九郎の視線が全体を覆う色調を形成していることである。
 一方、魚の助は芝居中に熱狂的な贔屓に足を傷つけられ、その傷がもとで膝から下を失っている。この魚の助が抱えている絶望的な喪失感が、全体を覆うモノクロームの色調である。この二人の会話が凄みを帯びており、物語の流れを作っている。魚の助を何とか役者に戻したい思いと、それを承知していながら魚の助は悪態をつく。この二人の空気感が物語を支配し、独特の世界が現出する。それを可能にしたのが語り口の巧さである。芝居の拍子木のように物語を貫いている。
 とんでもない新人が現われたものである。少女漫画を突き抜けた戯作の世界に思えた。

 

第六位 『女だてら』 諸田玲子  角川書店

 

女だてら (角川書店単行本)

女だてら (角川書店単行本)

 

 

 題材がいい。女性作家が輝いているのは歴史の行間から珠玉の題材を掘り起こしてくる感性にある。本書は実在した漢詩人・原采蘋の数奇な半生と、秋月黒田家のお家騒動を絡ませ、驚嘆すべき内幕をサスペンスタッチを巧みに取り入れながら描いた力作である。
 情念に憑かれた女性のほとばしるような生き方を描くのを得意としてきた作者が、本書では聡明でしなやかなで活発な現代的な意匠を施した女性像を造形している。不気味な追手の影、錯綜する思惑、巨大な陰謀を背景に置くことで、優れた冒険小説の面白さを取り込んでいる。新境地を示した記念碑的な作品となっている。

 

第七位 『ニッポンチ』 河治和香  小学館

 

 

 作者には全五巻に及ぶ『国芳一門浮世絵草紙』という大作がある。人気浮世絵師だった歌川国芳と、脳天気な弟子たちの浮世模様を、長女登鯉の目から描いたもので、傑出した出来となっていた。
 本書は、このシリーズの後日談とも言うべき内容で、副題として「国芳一門明治浮世絵草紙」という文字が添えられている。つまり、国芳の弟子たちが明治という新しい世をどう生きたかを描いたものである。登鯉が早世したために明治に入り一門を背負うことになった国芳の娘・芳女をはじめ、奇人で知られる河鍋暁斎や、上野のお山の戦乱で精神を病んでしまった芳年など、波乱の人生を送った弟子たちの姿を活写している。得難いエンターテインメント作品といえる。

 

第八位 『江戸の夢びらき』 松井今朝子 文藝春秋

 

江戸の夢びらき

江戸の夢びらき

 

 

 いつ書くのかと思っていた。「今でしょう」という作者の声が聞こえそうなとっときの題材の本である。主人公は初代市川團十郎。得意の歌舞伎ものだ。それだけに安定感は抜群である。
 元禄という時代性が乗り移ったような役者・市川團十郎が命を懸けてまで表現しようとした<荒事>とはなにか。作者の歌舞伎遍路が行き着いた先を見せるようなテーマがここにある。

―現実(ほんもの)に負けない夢を見せるのがおれの役目ではないかー

泣けるね。

 

第九位 『絵ことば又兵衛』  谷津矢車  文藝春秋

 

絵ことば又兵衛

絵ことば又兵衛

 

 

 才人、才筆とはこの作家のための誉め言葉に思えてしょうがない。2013年『洛中洛外画狂伝』を読んだ時、真っ先に浮かんだのはそんな感想であった。その後に次々と旺盛な筆力を駆使して発表する作品群が、それを如実に物語っていた。特に『おもちゃ絵芳藤』は着眼点のすぐれた作品で歴史時代作家賞を授賞している。本書はホームグランドともいえる絵画ものである。それもよりによって岩佐又兵衛ときた。作者がこの難しい題材をどう処理するのか楽しみが尽きない。作者にはそう思わせる意外性を常に秘めている。
 岩佐又兵衛といえば信長に反旗を翻したことで世に知られる荒木村重の息子として生まれ、奇想の絵師として知られる画家である。又兵衛は生来の吃音というハンディを抱えていた。
他人と言葉で繋がれない悩みを筆と墨さえあれば繋がれる力に変えていけると思うまでの生き様が克明に描かれている。ラストの場面は見事の一言に尽きる。

 

第十位 『質草女房』 渋谷雅一 角川春樹事務所

 

質草女房

質草女房

  • 作者:渋谷雅一
  • 発売日: 2020/10/15
  • メディア: 単行本
 

 

 ラストを飾るのは新人で、第12回角川春樹賞受賞作である。話の筋は単純なのだが設定に妙がある。彰義隊に入る夫に手元に金がないので質屋に預けられた女房と、その女房に興味を覚えた貧乏浪人は、質屋から七草の夫の捜索を頼まれる。
逃亡先と思われる会津へ向かうが、その道中で知り合ったのが新政府軍の参謀である。三人三様の生き様が交錯することでちょっと変わったエンターテインメントとなっている。語り口が凝ったところがなくわかりやすくのびやかである。そこに見どころがある。二作目が勝負となろう。

 

 浅田次郎『流人道中記』 中央公論新社

 

流人道中記(上) (単行本)

流人道中記(上) (単行本)

  • 作者:浅田 次郎
  • 発売日: 2020/03/06
  • メディア: 単行本
 

 

 浅田時代小説ワールド全開の感動巨編である。相変わらずうまい。と言う事で殿堂入りにした。
 今村翔吾『じんかん』講談社は作者の小説作法の凄さを彷彿とさせる作品となっている。評判も高い。ただかは個人的に気になることがあった。稀代の悪人として知られる松永久秀を、経国済民という戦国ものの今風のテーマを根底に置いて彫り込み直すという手法はさすがといえる。戯作魂に磨きがかかっていることは理解した。設定、人物解釈、ストーリー展開の面で捻り過剰すぎると感じた。そこにこの作者が開拓しつつある小説作法がこのまま突き進むことの危うさをあるのでは。

 
   

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