シネコラム

第191回 トータルリコール

飯島一次の『映画に溺れて』

第191回 トータルリコール

平成二年十二月(1990)
新所沢 レッツシネパーク・レッド

 

 フィリップ・K・ディックの短編が好きで、以前、ずいぶんと読んだものだ。
 記憶にまつわる物語が多かったように思う。人間の記憶は曖昧であり、われわれは自分の都合のいいようにしばしば過去を創り変えたりもする。科学が進歩して脳の仕組みが解明され、認識を植えつける装置が開発されれば、いやな出来事は消し去って、経験していない幸福な思い出を残せる。あるいは人工生命体に人間そっくりの記憶を植え付けたり。
 近未来、現実の旅行よりもはるかに安全で低料金の快適な旅を売る観光会社ができる。売るのは旅行したという記憶だけ。普段着で旅行社の椅子に座り、機械の中に頭を突っ込むだけで世界中どこでも、いや遠い火星までも、実際に行ったのと区別のつかない体験が可能なのである。乗り物はファーストクラス、ホテルは一流、脳に直接鮮明な臨場感を植えつける「リコール」社の記憶マシン。
 平凡な肉体労働者ダグは記憶だけの火星旅行を申し込む。諜報部員となって地球を危機から救うというオプションの設定も付ける。
 だが、機械は作動中に故障し、仮想の旅行は取りやめとなり、その後、ダグは何者かに命を狙われる。なにゆえに機械が故障したのか。実はダグという人間は存在せず、彼は事情があって記憶を消された火星の諜報部員であることがわかる。妻と信じていた女は、監視員であり殺し屋であった。
 ダグは失われた記憶を求めて実際に火星へ行き、そこで悪の支配者を倒し、人々に平和をもたらす。めでたし、めでたし。なのだが、果たしてこれは、現実か、それとも肉体労働者が椅子にじっと座ったまま見続けている「リコール」社の偽の記憶なのか。
 いずれにせよ、アーノルド・シュワルツェネッガーの人間離れした肉体を抜きにしては成立し得ない映画である。一瞬にして数名の敵を殴り倒し、鋼鉄製の椅子の腕を引きちぎっても嘘に見えないのはたいしたものだ。
 観客は映画館の椅子に腰掛け、画面の中のシュワルツェネッガーに感情移入し、二時間ほどの夢を体験することになる。本当らしい夢、映画という仮想現実を。

 

トータルリコール/Total Recall
1990 アメリカ/公開1990
監督:ポール・バーホーベン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガーシャロン・ストーン