シネコラム

第127回 昨日消えた男

第127回 昨日消えた男

平成四年六月(1992)
池袋 文芸坐

 私は遠山の金さんが好きだ。江戸の町奉行と長屋の遊び人が同じ人間、今ならさしずめ東京都知事と場末のアパートに住む無職の男が同一人物。ありえない設定であるが、だからこそ面白い。
 若い頃、中村梅之助杉良太郎西郷輝彦高橋英樹らの演じる金さんを、再放送なども含めて、しょっちゅうTVで観ていたが、それはTVドラマの金さんである。
 映画館で金さんを観る機会は少なくて、新作などはまず出ない。だから名画座で古い金さんを観るのだが、今、思いつくのは尾上菊太郎主演『江戸の春遠山桜』、長谷川一夫主演『昨日消えた男』、片岡千恵蔵主演『はやぶさ奉行』、『昨日消えた男』のリメイクで『遠山の金さん捕物控 影に居た男』、市川雷蔵の『弁天小僧』では勝新太郎が脇役の遠山左衛門尉だった。
 戦前の昭和十六年に作られた『昨日消えた男』は、ダシール・ハメット原作のハリウッド映画『影なき男』の翻案で、江戸の裏長屋が舞台。
 ミステリだから、詳しく結末は言えないが、蛇蠍のごとく嫌われている大家の勘兵衛が殺される。大家に金を借りていて返すあてのない老いた浪人が怪しい。
 が、その浪人の娘に想いを寄せる若い浪人も怪しい。
 大金を持って帰ってきた易者も怪しい。
 が、一番胡散臭いのは遊び人の文吉である。ところが、意外なことに、この文吉が遠山左衛門尉なのである。
 長谷川一夫の遊び人文吉、いかにも江戸っ子らしい意地があり、それでいて、ところどころ知性がひらめき、女が黙っていても惚れてしまうような男っぽさを撒き散らしながら、決して下品にならない。町奉行の遠山になっていても、とぼけたユーモアが感じられる。
 原作は夫婦探偵ものなので、文吉のパートナーとなっていっしょに謎解きをする芸者が、当時まだ二十代の山田五十鈴であった。

 

昨日消えた男
1941
監督:マキノ正博
出演:長谷川一夫山田五十鈴徳川夢声高峰秀子、鳥羽陽之助、清川虹子