シネコラム

第125回 修羅

第125回 修羅

昭和五十六年十一月(1981)
池袋 文芸地下

 

 四世鶴屋南北忠臣蔵があまり好きではなかったのだろうか。有名な『東海道四谷怪談』の民谷伊右衛門は塩冶判官(史実の浅野内匠頭)の家臣でありながら、不義士の極悪人である。
 同じ南北の『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』もまた、忠臣蔵の裏話になっている。
 薩摩源五兵衛は塩冶家の浪人不破数右衛門の世をしのぶ姿。彼はかつて不始末で百両の御用金を紛失し主家を追われたが、亡君の仇討ちに馳せ参じるため、なんとか百両の金を工面する。
 芸者の小万とはいい仲だが、討ち入りを控えて別れるつもりだ。ところが小万がいやな男に身請けされそうになっていると知らされる。そこで惚れた女のために大切な百両を渡してしまうのだ。
 実は小万には三五郎という悪い亭主がいて、身請け話は狂言であり、源五兵衛はむざむざ女に百両をだまし取られたのである。三五郎夫婦には赤ん坊までいる。
 それを知った源五兵衛の大殺戮。怒り狂って、小万の目の前で赤ん坊をなぶり殺しにし、小万の首を切り落として、三五郎に見せる。
 どうして三五郎夫婦が源五兵衛の金をだまし取ったのか。三五郎の元主人が塩冶家の家臣で、彼は元主人のために討ち入りの支度金百両が必要であり、女房を使って源五兵衛をたぶらかし、金を奪ったのだ。三五郎の主人の名前が不破数右衛門だと判明する。数右衛門はこの殺戮の罪を従僕の老人に被せ、見事討ち入りに加わり、義士として本懐をとげる。
 江戸の庶民もまた、忠臣蔵喝采を送る反面、それを茶化したパロディをも楽しんでいたのだろう。源五兵衛が中村賀津雄、三五郎に状況劇場唐十郎という異色の組み合わせだった。

 

修羅
1971
監督:松本俊夫
出演:中村賀津雄、唐十郎、三条泰子、今福正雄、観世栄夫

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