頼迅庵の歴史エッセイ

頼迅庵の歴史エッセイ13

13 柳生久通のキャリア(7)

本歴史エッセイ(3)で、近世の三大改革の推進者から改革と同時に町奉行に登用(抜擢)された三人を比較しました。
そのとき、大岡忠相のみ十九年の長きに渡って町奉行を務めており、実績を残したと書きました。ではなぜ忠相は実績を残すことができたのか、例によって『家譜』から、そのキャリアを見てみましょう。

 忠相は延宝5年生まれです。家禄1,700石大岡忠高の4男でした。その後、貞享3年12月10日に同族の大岡忠真(家禄1,920石)の女を娶り養子となります。同4年9月6日に徳川綱吉にお目見えし、元禄13年7月11日に家督を相続します。


 元禄15年5月10日:御書院番士(番入り)
 宝永元年10月9日;御徒頭へ昇進
 同 4年8月12日;御使番へ異動
 同 5年7月25日;御目付へ異動
 正徳2年1月11日;山田奉行へ昇進
 同  年3月15日;従五位下能登守に叙任
 享保元年2月12日;御普請奉行へ異動
 同 2年2月3日;町奉行(南町)へ昇進(越前守と改める。)
 同 10年9月11日;2,000石加増
 元文元年8月12日;寺社奉行へ昇進(評定所兼帯。2,000石加増。官俸を添えられ合わせて万石以上の格となる。12月28日より雁の間詰め)(注1)
 寛延元年閏10月1日;奏者番兼帯、併せて、官俸を改め4,800石加増により1万石
 宝暦元年11月2日:寺社奉行辞任
 同   12月19日卒す(年75)

 

 足高の制(注2)は定められていませんが、足高の制の役料を基準に異動、昇進を判断しました。
 久通と共通するのは、目付の経験と下三奉行の経験です。そして異なるのは、地方奉行経験の有無です。忠相は山田奉行として地方経験がありますが、久通は江戸を出ていません。ただし、出張で江戸を出た経験はあります。
 地方奉行は、警察や裁判も司りますが、それ以上に民政が大きなウェイトを占めます。江戸町奉行も重点は民政でしょう。とくに武士と違い、謹厳や原則よりも寛容や機知、忍耐の必要な町方との折衝は気苦労が多かったことと思います。この民政経験の無さ、あるいは不慣れが、11及び12で見た久通の不評の原因なのではないでしょうか。

これに対して、11で紹介した石河政朝はどうかという反論があるかもしれません。確かに政朝も地方経験はありません。ですが、公事方御定書の作成という実績を残しました。ただし、これは三奉行合同の特命プロジェクトといってよいものです。

町奉行では政朝が中心となります。おそらく政朝は、作成に集中したことでしょう。こうした場合、民政や警察、裁判等の本来業務は、もう一人の町奉行がフォローするか古参の与力が支えることとなります。奉行もプロジェクトが忙しいので、あれこれ口は出さず、お任せのパターンが多かったことでしょう。そのため、久通の場合と異なり、町役人たちとの利害がぶつからなかったものと思われます。役所とはそうしたものです。もちろん、町奉行の性格にもよりますが、プロジェクトの有無が政朝に幸いしたのではないでしょうか。
それもあって、わずか3ヶ月に終わった息子政武への同情もあったことと思われます。「石河(政武)今一年勤めたら町方は怪しからずよかろう」(注3)とは、こうした事情も踏まえているのではないかと思われますが、考えすぎでしょうか。

久通もまた特命により勘定奉行となって江戸を離れます。そのため、幸か不幸か1年で町奉行から勘定奉行へ転任となった異例の人事異動経験者として歴史に名を残すこととなりました。まことに宮仕えは辛いものです。

(注1)雁の間は新規に取立てられた大名のうち、城主の格式をもった者が詰める部屋。
(注2)足高の制が実施されたのは、11の注で述べた通り享保8年(1723)のことです。足高とは、例えば家禄500石の旗本が、町奉行(基準家禄3,000石)に就任した場合、3,000石-500石=2,500石が足高ということになります。(『国史大辞典第』(第9巻、吉川弘文館))
(注3)『よしの冊子』62ページ

 さて、いつか柳生久通を主人公とした小説を書きたいと思っていましたが、本日本屋で↓を見つけました。

剣客奉行 柳生久通 獅子の目覚め (二見時代小説文庫)

剣客奉行 柳生久通 獅子の目覚め (二見時代小説文庫)

 

 
 そのものズバリのタイトルですね。柳生久通が主人公です。ぜひ、版を重ねていって欲しいものです。


 作者の藤水名子さんは、1991年に「涼州賦」で第4回小説すばる新人賞を受賞してデビューした方です。当時は、藤さんの外に田中芳樹さん、井上裕美子さん、狩野あづささんといった方々が中国の歴史を題材とした小説を発表していました。私も夢中になって読んだものです。そして、少し遅れて宮城谷昌光さんがデビューされます。宮城谷さんの作品は、日本の歴史を題材としたものを除き、『劉邦』までの小説は全て読みました。
 なんだか、昨日のことのように懐かしいです。