森川雅美・詩

明治一五一年 第1回

森川雅美『明治一五一年』

明治一五一年


にぎるままの掌の内側
陽射しが温もっていき
ぼくたちは青白い
炎として燃える
空はどこまでも
ただすみ渡っていたと
記録には記される
よろめくままに踏みだし
山道を登っていく
降りつもる百数十年の雪の
ふかく残る人の足跡に
ほら小さな声はこだまし
白くぬくもる湯に身を浸す
記憶は体内を巡る
さざなみとなり
あふれ流れおち
振りかえる一瞬に
高だかと盛りあがり
奥羽山脈阿武隈山地
何が越えていくのか
明治元年の記録の
新政府軍の列が続く
ほらほころびていく先の
落城であるから
もっと鮮やかな青になる
ゆらぐ正面からの
避難する人にも雪が降り
いくつもの目の躓きから
声にもならない囁きに
まじる風や波音に耳すま
遠ざかる背中を
にぎるままの掌の内側
消えた笑い声がともり
ぼくたちは弱まる足首に
体重を傾け踏みだす
記録を紐解くならば
雪深い細道を歩いていく
ほらたくさんの人たちは
やはりまだ明治のはじめ
信じられる時代だった
とひとりずつ消えていき
幅ひろい道路が建設される
裏切だ裏切りなんだ
逃げる者は足を掬われ
高い位置からの目線に
体の奥底まで覗かれ
いまもまた雪が降る
切り傷がなお残るなら
ほら弱まっていく鼓膜に
ながい時の隔たりが
重なりあい積みあげられる
もろもろの手の動きに
帰らない者も少なくなく
境界に向けて抜ける
踏み潰される者たちも
ほら小さな種子としてあり
愛する人がいないことが
病なのだとつぶやく
背中が遠くにかすんでいる
ぶつ切れになる足跡まで
にぎるままの掌の内側
いたむ静脈が残り
ぼくたちは退くままに
より奥深くまよい歩く
ほら癒えぬ微熱はのこり
どことも知れず散っていく
記憶は見捨てられる
明治の終わりの
豊かなために追われていく
地面は耕されず荒れ果て
ならばこめかみに痛む
常磐線磐越東線
何が越えていくのか
振り返られない者のため
返事はつねに未然で

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