山口県萩で、参議・兵部大輔だった前原一誠(佐世八十郎)を擁した不平士族が、明治政府に対する反乱を起こした日です。
明治9年(1876年)10月28日のことでした。
吉田松陰の松下村塾出身であり、尊攘派の長州藩士として倒幕運動で活躍し、名声の高かった前原一誠は、維新後の明治2年(1869年)に参議になると、ついで兵部大輔となりました。
しかし、守旧武断的な方針を取る一誠は、同じ長州出身ながら、開明文治的な政策を選ぶ木戸孝允(桂小五郎)と対立していました。
ついには、明治3年(1870年)に病気と称して辞職すると、萩に帰ってしまいます。
のち、明治9年(1876年)10月24日に熊本県神風連の乱が起こり、27日に福岡県秋月の乱が勃発すると、折から明治政府の施策に不平不満を募らせていた奥平謙輔や田中義一ら200名ほど(500名ほど、2,000名ほどともいわれています)の士族はこれを機に呼応、前原一誠を擁立すると、萩の旧藩校明倫館で一斉蜂起しました。
要人粛正の奏上を計画すべく、上京しようとした一誠ら殉国軍は、期待していた薩摩の不平士族の協力が得られず、司令長官三浦梧楼率いる広島鎮台兵に7日ほどで制圧されてしまいます。
捕らえられた一誠と首謀者8名は、同年12月に斬首刑に処せられました。
[平成30年(2018)10月28日]掲載