明治から大正にかけて活躍した日本画家松本楓湖(まつもとふうこ)が生まれた日です。
天保11年9月14日(1840年)のことでした。
常陸(ひたち)国河内郡寺内村(現在の茨城県稲敷市)で、漢方医である松本宗庵の三男として生まれた楓湖は、嘉永6年(1853)に江戸へ出ると、はじめ江戸琳派の沖一峨(おきいちが)に、次に文晁(ぶんちょう)派の佐竹永海に、そして明治元年(1868年)、「前賢故実」を観て菊池容斎に弟子入りし、歴史人物画や挿絵を描きました。
輸出陶器の下絵を描いていた楓湖は、新聞や読み本、雑誌などの挿絵を手がけ、当時の挿絵界に大きな影響を与えました。
明治28年(1895年)、第4回内国勧業博覧会に、のちに代表作となる「蒙古襲来碧蹄館図屏風」を出品します。
明治31年(1898年)、岡倉天心らの日本美術院創立に加わり、のち、明治40年(1907年)に創設された文展の審査員を務めると、大正8年(1919年)には、帝国美術院会員となりました。
安雅堂画塾を開き、今村紫紅・速水御舟・高橋広湖・小茂田青樹らを指導して、再興日本美術院を担う数多くの駿才を育てた楓湖は、大正12年(1923年)6月22日、84歳で亡くなると、東京谷中初音町の全生庵に葬られました。
[平成30年(2018)10月9日]掲載