「大阪朝日新聞」の村山龍平社長が、国粋主義団体の黒龍会に襲撃されるという、白虹(はっこう)事件が起こった日です。
大正7年(1918年)のことでした。
日本新聞史上最大の筆禍事件といわれる白虹事件は、同紙の記者が大正デモクラシー運動の最前線に立ち、シベリア出兵や米騒動など、寺内正毅内閣に抗議する言論活動を展開する中で起こりました。
8月25日に開催された[関西新聞社通信社大会]の記事を翌日付けの夕刊に掲載したところ、国に兵乱が起こる前兆を意味する「白虹日を貫けり」という中国の故事成句を、過失でしたが、用いてしまったのです。
虎視眈々と同紙発行禁止の機会をうかがっていた寺内内閣は、この一句を新聞紙法第 41条の朝憲紊乱(ちょうけんぶんらん。国家の基本秩序を乱すこと)にあたるとして、発売禁止にし、筆者を起訴しました。
政府による言論弾圧により、存亡の危機に立たされた同紙は村山社長を退陣させて、後任に上野理一を据え、さらに「不偏不党公平穏健の信条に反するきらいがあった」と自己批判する内容の弁明文を公表することで全面的に謝罪、発行禁止を免れました。
しかし、鳥居素川編集局長をはじめとする、長谷川如是閑や大山郁夫、丸山幹治、花田大五郎などの数多くの幹部が同紙を去らざるを得ませんでした。
一新聞が方針転換に追い込まれたこの事件は、以後の日本新聞界に大きな影響を与えました。
[平成30年(2018)9月28日]掲載