大日本帝国海軍の艦艇が岩手県沖での演習中に台風に遭い、船体に大被害が生じて、54名の乗組員が死亡したという、第四艦隊事件が発生した日です。
昭和10年(1935年)のことでした。
駆逐艦夕霧・初雪が艦橋直前で切断、流失したのをはじめとして、航空母艦鳳翔・龍驤(りゅうじょう)、巡洋艦妙高・最上、潜水母艦大鯨なども大小の損傷を被りました。
前年、夜間演習中に水雷艇友鶴が転覆沈没した友鶴事件が起こっていただけに、国民が不安を覚え、造艦技術への不審を抱くようになりました。
査問委員会を設け、原因究明にあたった海軍は、事前に報告されていた船体強度や設計上の問題を黙過して、演習に参加させていたことを知ると、全艦艇への強度試験と補強を実施しました。
事故の遠因は、主力艦に加えて、補助艦艇の建造にも制限を受けたワシントン海軍軍縮条約及びロンドン海軍軍縮条約によるものでした。
条約の範囲内で戦力を少しでも向上させようと改良するうちに、船体の構造に無理が生じるほどの極端な重量軽減と過度の重武装を無理に進めてしまったのです。
この第四艦隊事件が、のちの船体設計に大きな影響を与え、以降、太平洋戦争中には、このような事故は発生しませんでした。
[平成30年(2018)9月26日]掲載