江戸時代初期の古学派儒学者で、軍学者でもあった、山鹿流兵法の祖・山鹿素行が生まれた日です。
元和8年(1622年)8月16日のことでした。
山鹿素行は、陸奥国会津(現在の福島県会津若松市)で、浪人の父・貞以の次男として生まれました。
寛永7年(1630年)、9歳の時に、大学頭を務めていた林羅山に弟子入りし、朱子学に励んだのをきっかけに、小幡景憲や北条氏長に甲州流軍学を学びます。
廣田坦斎から歌学を、高野山按察使院光宥から神道も学んでいます。
のち、朱子学を批判したため、会津藩主保科正之の怒りを買い、播磨国赤穂藩へお預けの身となりますが、藩主浅野長直に仕え、国家老の大石良雄ら藩士に山鹿流兵学を教えたと言われています。
後年、幕府から許された素行は、江戸に戻り、積徳堂で教鞭を執りました。
その教えは、幕末に活躍した吉田松陰にも影響を与えています。
主な門下生に、陸奥弘前藩主津軽信政、下野烏山藩主板倉重矩、肥前大村藩主大村純長、肥前平戸藩主松浦鎮信がいました。
諸大名から招かれましたが、ついに仕官せず、幕府に仕えることを願った素行は、貞享2年9月26日(1685年10月23日)に黄疸で亡くなりました。
山鹿素行、64歳のときでした。
現在、平戸には山鹿文庫があり、重要文化財の稿本類を数多く遺しています。
[平成30年(2018)9月21日]掲載