関東大震災直後の混乱に乗じ、東京憲兵隊麴町分隊長の甘粕正彦大尉らが、無政府主義者(アナキスト)の大杉栄と作家で内縁の妻・伊藤野枝、そして大杉の甥・橘宗一を憲兵隊司令部で殺害し、遺棄した事件――甘粕事件が起こった日です。
大正12年(1923年)のことでした。
同年9月1日に関東大震災が発生。
戒厳令下で、軍隊と警察による無政府主義者(アナキスト。社会主義者)や朝鮮人、中国人殺害が続きました。
そのような社会不安の中、無政府主義者が不逞な行為を働くおそれがあるとして、甘粕正彦や東京憲兵隊本部付森慶次郎曹長らが事件を起こします。
なんと事件当時、甥の橘宗一はまだ6歳の子どもでした。
軍法会議の結果、甘粕や森らの犯行と断定され、甘粕には懲役10年、森には懲役3年の判決が下されました。
しかし、憲兵隊における組織的な関与については認められず、嫌疑のかけられた上役の存在は不明のまま、消化不良で軍法会議を終えています。
甘粕は早くもその3年後には仮出所し、満州へ渡ると政界・軍部の黒幕となって、満州事変にも関係しました。
大杉の友人で、「讀賣新聞」記者でもある安成二郎が独自に調査を始め、複数の新聞が号外で事件を報じなければ、闇に葬られていたかもしれません。
大杉事件とも呼ばれるこの事件は、亀戸事件・朝鮮人虐殺事件とともに、戒厳令下に起こった、代表的な不法弾圧事件です。
[平成30年(2018)9月16日]掲載