今日、8月27日は――
江戸時代に初めて尊王論者が弾圧された[宝暦事件]が起こった日です。
宝暦8年7月24日(1758年)、神道家の竹内式部が公家に尊皇思想を教えたとして、徳大寺公城(とくだいじきんむら)や正親町三条公積(おおぎまちさんじょうきんつむ)ら公卿が連座、追放されました。
江戸時代前期の思想家・山崎闇斎が創始した垂加神道を学んだ式部は、若い公卿たちからの要望もあって、『日本書紀』を中心に講義し、尊皇思想の基となる「大義名分」を説いたのです。
政情不安に繋がると、これを危ぶんだ関白の近衛内前(このえうちさき)や一条道香(いちじょうみちか)らが、京都所司代に訴えました。
京都所司代はこの訴えを機に独自に探索、結果、関わった公卿ら20人ほどを罷免・永蟄居・謹慎などに処分。式部は捕縛し、翌年に重追放、事件を決着させたのです。
この式部が唱えた「大義名分」が後年、幕末の尊皇攘夷思想につながっていきました。
垂加神道って、なに?
垂加神道とは、吉川惟足(よしかわこれたり)に吉田神道を、度会延佳(わたらいのぶよし)に伊勢神道を学んだ山崎闇斎が集大成した儒家神道です。
朱子学(儒教)を核として陰陽五行説や理気説などを取り入れ、理想の天照大神(アマテラスオオミカミ)、行の猿田彦神を最も崇拝し、『日本書紀』を重視しました。
儒教的な敬(つつしみ)の徳をまっとうし、天地人の融合を説く道徳性の強い思想です。
[平成30年(2018)8月27日]掲載