今日、8月25日は――
14世紀のヨーロッパで「黒死病」と呼ばれ、パンデミックを引き起こした感染症のペスト菌が発見された日です。
明治27年(1894年)、日本の医学者・細菌学者である北里柴三郎によって、見つけられました。
541年に東ローマ帝国で流行したペストが、ヨーロッパで最初の記録として残されています。
当時の皇帝だったユスティニアヌス1世(483年5月11日〜565年11月14日)も感染したことから、「ユスティニアヌスの斑点」と恐れられました。
14世紀には、中国で流行していたと思われるペスト菌がモンゴル軍の大移動により西方へ運ばれ、ヨーロッパに住む3割もの人々を死に至らしめたと考えられています。
以降、ヨーロッパのほか、アフリカの山岳地帯および密林地帯、東南アジアのヒマラヤ山脈周辺ならびに熱帯森林地帯、中国・モンゴルの亜熱帯草原地域、アラビアからカスピ海西北部、北米南西部ロッキー山脈周辺、南米北西部のアンデス山脈周辺ならびに密林地帯などの地域で発生しています。
世界中を恐怖に震え上がらせたペストは、19世紀までにはほぼ根絶されましたが、1944年にインドで発生、大パニックになりました。この時は、適切な防疫対策のため、小規模で散発的な患者の発生で終わっています。
日本では1926年以降、患者の報告はないそうです。
北里柴三郎って、どんな人?
嘉永5年12月20日(1853年1月29日)、肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現在の熊本県阿蘇郡小国町)に、代々庄屋を務める家に生まれました。
明治16年(1883年)に東京医学校(現在の東京大学医学部)を卒業すると、内務省衛生局に入局。細菌学を学ぶため、ドイツ・ベルリン大学へ留学し、明治19年(1886年)より、ローベルト・コッホ博士に師事しています。
明治22年(1889年)、世界に先駆けて破傷風菌の純粋培養に成功し、世界的な研究者として一躍有名となりました。
熊本細川藩の藩校・時習館で剣道と柔道を稽古していたという文武両道の北里柴三郎は、昭和6年(1931年)6月13日、脳溢血のため、永眠しました。78歳のときでした。
北里研究所
北里大学
北里大学北里研究所病院
北里柴三郎記念室
北里柴三郎記念館
8月25日
今日の歴史的事件
ペスト菌発見
[平成30年(2018)8月25日]掲載