小説「歴史行路」

植疱瘡始め

左門 新

 

第一章 本町界隈

 
「あれっ、いつもの通勤道路とは違う。ここはどこ? 自分は一体どこへ向かって歩いているんだ?」
いつも速足で人ごみをかき分けながら歩く順天堂大学病院研修医の佐藤泰三は、周りを見渡しながらゆっくりと歩を進める。目に入ってくる光景に、これまで感じたことのない不安が湧き上がってきたが、すぐに持ち前の大きな好奇心がそれ吹き消した。
泰三は、道に転がる小石の鋭い角を足裏に感じながら、ときおり砂埃が舞い上がる、曲がり角の多い小径を、五感を研ぎ澄まして前へ進んでいく。足元の路面から、荷車の轍や馬の蹄の跡らしき軌跡が、ずっと先まで続いている。
やがて、急傾斜の切り通しを息を弾ませながら登ると、イヌマキやカラタチの木々から成る生け垣と高い土塁が連綿と続く屋敷街に出た。径の両側には、茅葺き屋根に朝日の反射に光る白い漆喰の壁の屋敷が並んでいるが、土塁と生け垣で邸内を伺うことはできない。だが、瓦を頂いた屏に続いて現れる長屋門から覗く屋敷内の、手入れの行き届いた庭樹を垣間見ることができた。どうやら武家屋敷のようだ。台所のかまどからと思われる煙がたなびき、滅多に嗅いだことのないたき火のような臭いが鼻をくすぐる。
武家屋敷ならお城もあるはず、と遠くを見やると、少し高く大きな瓦屋根が目に入った。城に入る城門の一つだろうか。
左右の土塁と生け垣に目を配りながら径を進むと、長屋が連なる小径に出た。半纏のような着物を着て、裸の足で駆け回わるこどもたちのあげる嬌声に、開け放たれた窓から赤ちゃんの泣き声が和音となって耳に入ってきた。これまで感じたことのない饐えた臭いが鼻をつき、手に痒みを覚えて目をやると、いつの間にか小さな赤い発疹が出ていた。先ほどから、蚊の羽音が耳元でうるさく騒いでいるので、蚊に刺されたに違いない。久方なかったことだ。
手の痒みが、これらの光景は以前見たことがあることを泰三に思い出させた。医師であった泰三の父や祖父に連綿と連なる医者家系を10代遡る江戸時代の後期、佐藤泰然という人が、長崎で西洋医学を学んだ後、両国に母方の姓をとった和田塾という医学塾を開いた。しかし、老中水野忠邦による藩の締め付けと報復を恐れて、佐倉藩主に乞われたこともあり、江戸から佐倉へ移住して、佐倉本町に天保14年(1843年)、「順天堂」と号する塾を開設した。泰三は、医学生時代に自身の祖先が開いた佐倉順天堂記念館を訪れ、佐藤泰然の肖像写真や当時の医院、それに本町の光景を描いた博覧図を、感慨深く目に焼き付けたのであった。 それにしても、なぜ自分は今その光景のただ中にいるのか、判然としないままその日1日が過ぎた。
 

第二章 予防接種

 
泰三は朝7時、ベッドサイドテーブルに置いていた牛乳瓶の底のような眼鏡を掛けるとダブダブな白衣に着替え、眠気を払いながら医師当直室から病棟へ向かった。朝食前に受け持ち患者の状態をチェックすることから研修医の1日が始まる。今朝未明、夜勤看護師から電話で起こされて診た60歳代の男性患者の元へまずは向かった。様態は安定していて、ほっとした。静注した薬剤が効を奏したようだった。受け持ち患者10名ほどの診察を簡単に済ますと食堂へ向かった。
「佐藤、どうしたのですか。随分眠そうな顔しているではないですか」
髪をきれいに梳かし、白いジャケット風の白衣を着た医学部で同級生だった田中が、小さな体の背を伸ばして、朝食のお盆をテーブルに置きながら話しかけてきた。小児科の研修医をしているが、昨年アメリカの大学病院研修留学から帰国したばかりだった。
「ああ、今朝早くに起こされて。当直明けでもそのまま朝から通常勤務でしょ。このところ疲れが溜まっている」
「それで髪もクシャクシャなのですね。でも小児科よりはましではないですか? こどもは病状の変化が速いし、未熟児医療は昼も夜もないですからね。」
「そうなんだ。それなら小児科専攻しなくてよかったかも」
「佐藤、学生時代よりかすれ声強くなっていませんか?」
「いや、当直明けで疲れてるからだと思うよ。それにしても田中、相変わらずいい声だね。テノール歌手みたい」
「いや、いや、そんなことはないですよ」
「でも、学生のころと違って、同級生に対しても不自然なほど言葉が丁寧だね」
「小児科だからかもしれません。こどもには優しく話しかけないといけませんし、母親や父親にも、分かりやすく丁寧に説明しないといけませんから」
「同級生相手でもそれが抜けないのは育ち? いや、一種の職業病かな?」
「さあ、自分ではどちらかわかりません。ところで、佐藤、今日はそんなかすれ声で何をするのですか?」
「運がいいというか、悪いというか、午前中は高齢者への新型コロナの予防接種」
「私にも、それがいいのか、悪いのか分からないですけど、問診票に判を押して筋注するだけですから、楽ではありませんか?」
「でも、楽過ぎて退屈。だいいち、誰に重大な副反応が出るかとか、誰には接種控えるべきかなんて、どんな医者にも全く分からないよ。だから、ただ盲判押してるだけだし」
「佐藤、盲は差別用語ですよ。欧米では視力障害者と呼んでいます。つんぼは、聴覚障害者と呼びます」
「それじゃあ、田中、盲判は何て言うの?」
「さあ、私にも分かりません。アメリカでは日常生活で判子は使わず、すべてサインですし、そもそも問診票に医師が接種OKのサインなどもしないですし」
「そうなの?」
「そうですよ。ヨーロッパでもそうだと思いますよ」
「ところで、田中は新型コロナの予防接種は済んだの?」
「もちろんです。医療従事者は最優先ですし。佐藤は?」
「まだ一回目もやってないんだ」
「人に接種はするのに、自分はしてないのですね」
「だって、日本では安全が担保されてないじゃん」
「そう思っているのに、他人には接種するのですね。医師として無責任ではないですか?」
「俺が無責任だって? 上司に命令されて研修医だから従順に従っているのに」
「佐藤は、そういうことには従順なんですね」
「何が言いたいの?」
「いいえ、確かに佐藤の言う通りですね。緊急承認して、政府の感染症対策の目玉としたいのでしょうね、きっと」
「でも、積極的に進めているというより、単なるポーズだね」
「佐藤はうまいこと言いますね。日本は、ほかの感染対策もずさんですね」
「そう。政府の専門家会議もマスコミの自称専門家も、科学的根拠のない、いい加減なことばかり言ってる」
「私の留学したアメリカに比べると、確かに日本はそうです。欧米は調査研究で得た科学的根拠に基づく対策をいつも探求しています」
「そう。日本の専門家という人たちは、過去の知識や経験からの推測のみで、科学的エビデンスに基づいた予防対策を提言していないよ」
「この点では珍しくお互い意見が一致ですね。ところで専門家の意見の信頼性ですけど、1から6の6段階あるエビデンスレベルで一番低い6と、アメリカで学びました」
「じゃあ、欧米はエビデンスレベル1から5までの疫学調査研究を重視しているけど、日本は最低のレベル6重視なわけね。当事者はこのこと知っているのかなあ」
「多分、知らないですよ。相変わらず表に出てそれらしく言っていますから。その典型的なのが、ノーベル賞受賞者ではないですか。自分でも感染症の専門家ではないとおっしゃっているのに、意見や提言だけは専門家風に、堂々と主張しています」
「ほんと。研修医の俺から見ても全くその通りだね」
「ところで、なんで佐藤は反対というか、一回も接種してないんですか?」
「ほら、今回の新型コロナワクチンはmRNAのワクチンでしょ。認可も短期間で特例としての承認だから、さまざまな副反応の頻度は日本では不明だし、長期的な有害事象なんか全く分からないよ」
「そう言われればそうですね。分かるとしても数十年先になりますね」
「それに、mRNAワクチンは初めてだしね」
「佐藤は知らないんですか? 実は、初めてのmRNAワクチンじゃないです。2017年にジカ熱ワクチンの臨床試験やっています」
「そうなの?」
「それだけではないですよ。mRNAの狂犬病ワクチンも臨床試験しましたし、mRNA技術利用した認可済みの抗がん薬だって数十もあります。そんなことも知らないで、ただ反対というのはどうなのかな」
「だけど、長期的な有害事象、たとえば体細胞の遺伝子を改変してがん細胞が生じるなどの可能性はあるんじゃないの」
「その可能性は、多くの医学者が否定しています」
「でも、医学の分野では100%ないと否定できることって何もないんじゃないの」
「それはそうですけど。佐藤は根本から反ワクチン派なんですね。アメリカにも頑なワクチン絶対反対の医者がいるみたいですけど。今も、昔もそういう人いますよね」
「田中は、俺がそうだと言うの?」
「ああ、佐藤は、子宮頸癌ワクチンも反対でしょ?」
「どちらかと言えばね。だって、副反応として神経障害の女子がたくさん出たでしょ」
「あれ、佐藤、これも知らないのですか? あれは予防接種によるものではないと思われるという、厚生労働省の研究班の最終報告がありますよ」
「そんな報告書があるの? 厚生労働省が会見開いたという話も聞かないし、大きく公表してもいないよ。マスコミだって、一切報道していないけど」
「ですから、それは官僚やマスコミが過去の誤りを認めたくないないからですよ。WHOも、数年前から接種勧奨を早急に再開すべきと日本政府に強く勧告しているのに、ひたすら無視しています」
「そうなんだ」
「それどころか、接種率激減して、数年後から子宮頸癌死亡者が年約3000人だったのが、毎年4000~6000人さらに増えるという試算もあります」
「それはヤバイね」
「それだけではないです。子宮頸癌は性行為でウィルスが男性から女性に移って発症するから、欧米では男子にも接種しています。新型コロナでも注目されている、集団免疫獲得策による予防対策も狙っているのです」
「それでは、田中は接種したの? 俺はやってないけど」
「年齢的にみて、もう女性から感染しているだろうから、もう遅いかもしれません」
「田中はそんなに女性経験多いんだ。まあもてるからね。そういうこと知ってる田中でも、手遅れなのね。なら、俺はだいじょうぶかも」
「後悔先に立たずの心境でしょうですね」
「それにしても、俺と違って、田中は予防接種に詳しいね」
「小児科だから、こどもへの定期予防接種もたくさんしてきましたから。それにアメリカでは大人への予防接種もたくさん行われていましたし。ところで、この味噌汁、相変わらずしょっぱいですね」
「そう? 俺にはちょうどいい味だけど。田中は福岡出身だから、関東の味は濃すぎるのかも。味の意見も一致しないね」
「そう言えば、佐藤の祖先は、江戸時代末期に天然痘の予防接種を日本で広げた草分けだったと、順天堂図書館に展示があったのを見たことがあります」
「それは俺も知ってる」
「順天堂卒なら、創立者に敬意を払って、佐藤も反ワクチン派からワクチン派に転向したらどうですか?」
「あっ、黙食じゃなければいけなかった。沈黙、沈黙」
「もう、二人でこれだけしゃべってしまって、時すでに遅しですよ」

 

第三章 佐倉順天堂

 
「それでは、ターヘル・アナトミア、緒方玄白翁の訳による解体新書の続きを始める。おのおの、筆の用意はよいか」
そう声を張り上げながら、文机に座った翁が手元の和書を開いた。書には和田文庫、佐藤蔵書の印が見える。肖像画が泰三の目に焼き付いていた佐藤泰然であった。
「そうだ、ここは佐倉順天堂に違いない」
泰三は心の中で叫んだ。
塾には、北は北海道松前から南は九州宮崎まで日本全国から、長崎で蘭方医学を学んだ佐藤泰然の教えを乞うべく、諸藩の精鋭が集まってきた。ここで学んだ一千人近い塾生の多くが、その後地元で、また明治政府の諸機関で活躍することになる。現在の東京大学医学部や順天堂大学の礎となり、西洋医学を発展させていった。
泰三は、佐藤泰然の力強い声音を背中に、部屋から広い敷地内に出た。少し先に、患者が出入りしている養生所らしき建物が目に入った。外来と思われる人の多い広いスペースを横切り、奧へと進むと、医療器具が整然と収納されている部屋があった。さまざまな形の顕微鏡があり、近くでよく見ると、英語が印字されているもの、ドイツ語が印字されているものもある。レンズも回転させて数種類切り替えられる現代の光学顕微鏡とほぼ同じ機能を備えているようだが、こんなすばらしい顕微鏡で、細菌の概念もない時代に、一体何を観察していたのだろうかと、泰三は江戸時代の医学に思いを巡らした。
さらに泰三は、鋸や鑿に似たさまざまな形の手術用具らしき金属機器に目を奪われた。一体、どのように使うのだろうと、学生時代に見学した手術を思い浮かべた。それにしても、その時の器具に比べると、厚くて大きい。
研修病院では見たこともない、野犬の首に引っかけて手元の持ち手を引っ張って締め付ける道具にそっくりな器具があり、なんと子宮ポリープの茎を切断するドイツ製の「シャセニャック絞断器」というものだった。それにしても、子宮ポリープはどうやって見つけ出したのだろう。傍に「肛門拡張器」という肛門から差し込んで直腸を観察する筒状の金属器具があり、まさか、これを子宮頸部から差し込んで子宮内部を診たわけでもないだろうと思う一方、もしかしたら、まさに今、病棟でこれほど大きな器具が使われているのかもしれないと想像して、泰三は肩をすくめた。
驚いたのは、「弾抜き」だ。長い金属棒の先に銃弾を囲み包むような形になった三本の触手があり、それを手元のネジを回すことで弾を締め付けて確保して引っ張りだすようだ。「種子島」で撃たれた兵の手術などが結構行われていたのだろうか。そう言えば、戊辰戦争の際、佐倉順天堂の藩医が傷病兵の治療を行ったという記述が、派遣された関寛斎の日記に残されていることを、泰三は思い出した。主に長州、薩摩藩兵士の銃創治療で、この「弾抜き」が使われたのだろう。
おなじみの注射器は薬液を入れたガラスの筒に注射筒をねじ込むものだが、現在の使い捨てプラスティック注射器と違い、細菌やウィルスの医療行為感染が多発していたに違いないと、泰三は、医師としての良心の呵責を覚えた。
その傍らに、泰三がこれまで見たこともない器具があった。「種痘器具」とある。薬液を入れると思われるガラスの筒と、大きさの異なる、先が菱形の針のような金属棒である。薄いヘラのようなものもあるので、筒内の薬液を皮膚に垂らしてヘラで広げ、この菱形の針先で皮膚を突き毟るのだろうか。そう泰三は想像したが、痛そうで、何とも原始的だなと、天然痘予防接種が必要なくなったことに、医療従事者としても医学の進歩に感謝の念を覚えた。
泰三は、今見た医療器具を頭の中で反芻しながら、養生所から広い敷地へと再び出た。歩の先に泰然の邸宅と思われる屋敷があった。引き扉の玄関は開いている。敷石を恐る恐る踏みしめて玄関前へ歩を進める。5畳ほどの玄関内には式台があり、その先を隠すように屋久杉の流麗な年輪の美しい衝立があり、廊下の先は全く見えない。中へ声をかけてみたが、返事はない。誰もいないようだ。やや気が引けたが、後ろめたさを覚えながらも、好奇心に勝てず中へ入ってみることにした。
玄関に続く廊下を抜き足差し足で進むと、左手に10畳ほどの座敷があった。鴨居は低く、中へ入る時に頭をぶつけないよう首を下げた。正面の床の間には刀掛けと花台がある。その後ろの壁には、漢詩と武将らしき支那人を描いた墨絵の掛軸が掛かっていたが、泰三にはその人物が誰であるか全く見当もつかず、漢詩もさっぱり読めないことを恥じた。部屋の中央には座布団が二枚敷かれ、上座には湾曲のある脇息が威厳を放っている。客座敷に違いない。室内を見渡すと、薄茶色の竹と白い和紙で出来た行灯と、青銅と思われる高い燭台に立つ白い和蝋燭が目に入った。鴨居には槍が掛けられており、泰三は思わず手に取ってみたい衝動を辛うじて抑えた。
客座敷を出て奧へ進むと、板の間の部屋があった。中へ入ると湿気とかび臭さが鼻を突く。流しと水屋箪笥が置かれ、中にはお盆や椀類が収められている。茶の間のようだ。作り付けの棚があり、桶や笊がさりげなく置かれている。鴨居の上方には左右に榊が供えられた神棚が飾られている。泰三は、無断で踏み込んでいる罪をあがなうかのように二礼二拍手一礼をした。
その奧隣には6畳ほどの畳の部屋があり、吊り床や文机、刀箪笥、見台、煙草盆などがあり、主人の書斎と思われた。泰三はこういう静かな部屋で勉強したら、さぞ身につくのではないかと、うらやましく思った。
泰三は、再び玄関に戻り、一旦外へ出た。白壁を右に見ながら石畳を奧へ進むと勝手口があった。中へ入るとそこは土間となっている。隅には漬け物用の四斗樽や水瓶が据えられている。台所だ。先ほど入った板張りの茶の間と連なっており、その境は置カマドとなっていて、鍋釜は茶の間からも取れるようになっている。カマドには薪がくべられていたが、火はついていなかった。泰三は、祖父母の実家へ帰った折に、煙たくて涙が止まらないと愚痴を言った際、カマドからの煙は茅葺き屋根をいぶして虫をつきにくくするだけでなく、屋根の茅を結ぶ藁縄を強くするためでもあると聞いたことを思い出した。
土間の台所の外には井戸と洗い場があり、住み込み雇い人が、井戸端会議ならぬ野菜や食器をここで洗っていた姿が浮かんだ。この裏庭には、ツツジなどの樹木に加え、まだ青いカキ、ユズ、ビワの成る果樹も植わっていて、秋にはまた来たいと、泰三は思った。軒下には長さの揃った薪がうずたかく整然と積まれていて、薪割りの光景が瞼に浮かぶ。
裏庭から風呂場が見えた。水を貯める甕や湧かしたりするカマドが見当たらず、湯を台所で沸かして運ぶのは、大変な仕事だったろうと、家族や使用人を思いやったものの、自分なら決してやりたくないと思った。
さらに右手の白壁を回り込むと、雑然とさまざまな物が置かれた、納戸らしき天井のない部屋があった。長持、桐箪笥、仏壇、鏡台、今で言うメイクボックス、針箱などがあり、ここは家族や使用人の居間としてだけでなく、雑魚寝用の寝室としても使っていると思われ、自分ならとても眠れそうもないと思った。
この端にある部屋の先、廊下の突き当たりから異臭が漂ってきた。厠に違いないと思った。そう言えば、客座敷から出た廊下の先にも厠があり、泰三は我慢の限界を超えそうだったので小用を足したが、そちらでは異臭は感じなかった。
今日一日、泰三には見るもの聞くもの、すべてに新鮮な驚きがあった。

 

第四章 天然痘撲滅

 
「おはよう。髪はクシャクシャで、眠そうですね。昨夜も当直で明け方に起こされたのですか?」
田中は佐藤にそう声をかけながら、いつものように朝食のお盆をテーブルに置いて佐藤の横に腰掛けた。
「うん、昨夜は2度も起こされた」
「ご苦労さまです。ところで、今日も午前中は新型コロナの予防接種担当ですか?」
「うん、そうなんだけど、もう疲れた」
「前には、退屈って言っていませんでした?」
「いや、とても面倒。このところ、予防接種は感染予防効果がどの程度あるのとか、どんな副反応がどの程度出るのとか、きちんと答えるのが面倒な質問が多くて敵わない。その対応に、筋肉注射そのものの数倍も時間が掛かってしまうよ」
「最近は、インドで発生したデルタ株が流行っているからでしょうか。ワクチンの感染予防の効果が低くなっているようですし、2回目は1回目より副反応の頻度や強さも増すようです」
「まあ、そうかもしれないけど、そういうのは、医者が接種する時でなく、あらかじめ文書や受付時に説明すればいいのに」
「でも、接種受ける人は、医者から聞きたいのではないですか?」
「誰が答えても一緒だと思うけど」
「いいえ、お医者様から聞いた方が、安心感があると思いますよ。そういうのも医者の仕事の一つと思わなければいけませんよ」
「田中は小児科医で、親に懇切丁寧に説明するのに慣れてるからなあ」
「それもありますけど、説明も大切な医者の業務ですよ」
「それにしても、問診票に接種可能か署名するんだけど、前にも言ったように、あれ盲判だよね。医者にだって、誰にどんな副反応が出るかなんて分からないよ。田中は分かるの?」
「私にも分からないです。でも、佐藤は、なんで問診票に医者が署名することになっているか知っています?」
「医者が、その人に接種して問題ないか判定するためではないの?」
「違いますよ。佐藤も言ったように、問診する医者にそんなこと分からないです」
「じゃあ、どうしてなの?」
「何かあった時の、実施主体の行政の責任逃れです。医者に責任を押しつけているわけですよ。数十年前に地方自治体がこのために文書作って、それが広がって、何の再検討もなく予防接種と言えば、これが延々とどこでも使われ続けているのです。私も、報酬いただくので、小児定期予防接種では仕方なく署名していますけど、理不尽ですね」
「田中は、よくそんなことまで知ってるね」
「アメリカではインフルエンザ予防接種でも、医者がサインする問診票などないので、なぜ日本ではそうしているのか、帰国してから調べたのですよ」
「へー、俺と違って、さすがに田中は研究者を目指しているだけあるね。そんなことまで自分で調べるんだ」
「いやいや、医者ならどんなことでも疑問があれば、納得できるまでとことん調べなければいけませんよ。」
「はいはい」
「話は変わりますけど、佐藤の祖先が日本で広めた種痘は、素晴らしいですね」
「それ、新型コロナ予防接種やってない俺への皮肉?」
「いいえ。天然痘予防接種のおかげで、地球上からあの恐ろしい天然痘が撲滅されたのですから」
「ああ、地球上から撲滅された唯一の感染症だよね。ワクチン様々と言わせたいの?」
「そういうわけでもないけど、佐藤は、予防接種の恩恵だけで、天然痘が地球上からなくなったと思っているのですか?」
「そうではないの? 天然痘は動物には感染せず、人から人にしか感染しないから、地球上の全人類に予防接種すれば撲滅できることになるはずでしょ? それくらい俺にも分かるよ」
「そうですけど、実はそんなに簡単な話ではないんですよ。世界保健機関WHOもそう考えて撲滅計画を推進したのですが、そう甘くはなかった」
「どういうこと? 確かに俺は甘いかもしれないけど」
「自分で認めなくてもいいですよ。そういうことを言っているわけではないですから」
「でも、俺にはそう嫌味に聞こえるけど」
「話を戻しましょうよ。教育の行き届いていない識字率の低い発展途上国では、なんのために痛い思いをしてまで予防接種しなければいけないのか全く理解されませんでした。ですから、接種会場に全く人が集まらない」
「そうかもね。では、どうすればいいんだろう?」
「佐藤なら、どうしますか?」
「強制的に全住民に接種するとか」
「予防接種反対派がそんな発想するなんて意外ですね。新型コロナでもそうですけど、発展途上国だからといって、強制するわけにはいかないでしょうね」
「先進国でも公務員やある種の職業人など、非接種者にはある種の制限を課して、半ば強制的に接種を進めているようだよ。特にあの自由の国アメリカでも」
「でも、さすがに、全員の強制接種は難しいですよね。ある程度、納得してもらわないといけません」
「インフォームド・コンセント、説明と承諾か」
「実は、発展途上国では文字での説明は難しいので、写真を使うことにしたのですよ」
「写真って?」
「ええ、あるアメリカの研究者が、写真を使った患者発見と隔離という戦略を提案したのです」
「田中、どういうこと?」
「ええ、アメリカの西部劇映画によくある、顔写真付きの指名手配方式ですよ」
「指名手配?」
「そうです。天然痘は、全身に痘瘡という特有な水疱が出ます。そこで、この痘瘡のある顔写真を作成して、そこに”Wanted”と書いたポスターを各地に配ったのです」
「なるほど、犯人ではなく患者の指名手配か」
「そうです。そして、そういう人のいる所を教えてくれた人には、懸賞金ともいうべき報酬を与えたのです」
「写真とお金だね」
「すると、文字が読めなくても、こういう顔の人の居場所を伝えればお金がもらえるという口コミが広がり、奥地からも次々と報告が入ってきました」
「お金もらえるとなれば、俺も自分から探して報告するね。やはり、文書より口コミの方が効果的なんだ」
「患者のいる地域へ予防対策班が赴き、患者の隔離と周辺地域の住民を口頭で説得して予防接種を行ったのです。住民は、患者から移ることは身をもって知っていたし、文書でなく口頭だったので、接種に対するそれなりの理解が得られたのです」
「それで、撲滅までうまくいったのね」
「いや、実はそんなにスムースには行かなかったのですけど」
「と言うと?」
「アフリカの発展途上国では、内戦含め戦争が絶えないですよね。政府がうまく機能していなくて、計画推進が滞ってしまいました」
「なるほど、そうだろうね。この俺にも分かる。政府の協力を得ないでWHOが勝手に遂行するわけにはいかないよね」
「そういう事情で、結局、一番最後の患者が発見されたのは、戦争が長く続いていたソマリアになったのです」
「それでは、ソマリアを最後に、地球上から撲滅が達成されたのね」
「いいえ、実は、そうもいかなかったのです」
「どういうこと? まだ何かあるの?」
「1年後にいよいよWHOが撲滅宣言という矢先、イギリスのバーミンガム大学で患者が出てしまいました」
「ええ! 撲滅達成済みの先進国でどうして?」
「医学部の微生物研究室が天然痘ウィルスの研究をしていたのですが、このウィルスは新型コロナと違って、飛沫核感染といって空気感染をするのは、佐藤は知っています?」
「それ初めて聞いた。俺もそうだけど、新型コロナも空気感染と言っている医学研究者もいるけど」
「そういう人がいるけど、感染症の基本原理をよく知らない自称専門家ですよ。小さないわゆるマイクロ飛沫やエアロゾルを空気感染と誤って呼んでいるんです」
「そうなの?」
「感染症学では空気感染は飛沫核感染と言って、天然痘、麻疹、水痘と結核の四種類だけです」
「たった四種だけなんだ」
「そうです。それで、新型コロナではありえない空気感染ウィルスのため、この研究室の天然痘ウィルスが換気ダクトを通って別の研究室へ漏れ出て、感染した人が死亡してしまいました」
「なるほど、新型コロナウィルスが、換気ダクトから別の部屋へ移動して感染が起こったというのは聞かないよね。でも、なんで撲滅されたウィルスの研究をしてたんだろう?」
「生物兵器の開発をしていたということはないと信じますけど。そのためもあって、今ではアメリカとロシアの研究施設だけに保管されています」
「バイオテロ対策か。核兵器より厳しいんだ。でも、新型コロナウィルスは、武漢のウィルス研究所発という話はあるけど」
「事故漏れ、政治陰謀説ですね。それはともかく、悲劇はこれだけではなく、この事故を起こした微生物研究室の研究員は自責の念から自殺してしまいました」
「キリスト教のイギリス人でも、責任から自殺してしまうんだ」
「そうみたいですね。それで、WHOの撲滅宣言はさらに1年遅れて1980年となってしまったのです」
「それにしても、そんなことまで、よく知ってるね」
「小児科医として予防接種はいつもやっていますし、天然痘予防接種はその草分けですからね。撲滅のおかげで、アメリカへ留学する時に、あのイエローカード゙は必要なかったので助かりました」
「ああ、サッカーのイエローカードではなく、パスポートに必ず貼ってあった接種証明書ね」
「以前は外国入国時にパスポート、ビザに加えて、天然痘予防接種済みの黄色いカードがどこの国でも必須だったです」
「それじゃあ、今取りざたされている、ワクチンパスポートも、イエローカードと呼んだらいいかも」
「イエローカードはサッカーでは警告だから、オレンジカードの方がいいのではないですか?」
「そうかも」
「この味噌汁、塩辛いですね」
「田中はいつもそう言うね。西日本出身だからね。関東出身の私にはちょうどいい」
「佐藤も、私も、濃さは違っても味を感じるということは、今のところ新型コロナには罹っていないということですね」
「でも、天然痘と違って、予防効果の高いmRNAワクチンできても、新型コロナはなくならないでしょうね」
「俺みたいな接種反対者がいるから?」
「いいえ、そうではなくて。予防接種はあっても、天然痘以外、未だに他の感染症はなくなっていません」
「確かに」
「新型コロナは人だけでなく、ミンクなどのイタチ科などの動物にも感染して、そこからまた人へ移すから、撲滅はないですね。鳥や豚に感染して生き延びるインフルエンザと同じです」
「これから先ずっとウィズ・コロナ時代、このウィルスとうまく付き合っていかないとしょうがないわけね」
「だから、インフルエンザと同じように、今後も予防接種は毎年やらないといけないことになりそうです」
「そうそう、もう新型コロナワクチン接種に行かないと。でもこの仕事、この先数年は続くのかあ」

 

第五章 佐倉順天堂の祖

 
泰三は大きな屋敷の大広間にいた。正面には衣冠姿の凜とした大きな男が鎮座している。頭には鳥帽子、右手で芴を支え、小袖に単、指貫、下襲、縫腋の袍を纏っている。以前、順天堂大学医学部にある資料室に展示されていた肖像写真そのもの、佐倉藩主堀田正睦に違いなかった。
「よろしゅう頼む」
平身低頭して伏しているのは、同じ資料室でやはり肖像写真で見た佐藤泰然に違いなかった。頭頂部の髪は失われ、その分真っ白な頬髭と、女性のロングヘアのように長い顎髭は、頭に焼き付いていた姿そのものだった。畳に接している長い顎髭は、まるで畳の埃をはらう箒のようにも見えた。幾何学模様の源氏車の紋付きと袴で衣帯を正しくしていることから、藩主堀田正睦に招聘され謁見していることが伺える。
その光景は、泰三の脳裏に、資料室で閲覧した佐藤泰然の来歴を呼び覚ました。佐藤泰然は、出羽の国升川村、現在の山形県飽海郡遊佐町出身で、江戸で公事師をしていた佐藤藤佐の長男として、文化二年、武蔵国稲毛、今の神奈川県川崎市に生まれた。始め、旗本の伊予家に仕えたが、天保元年、医術を学ぶため江戸の足立長雋に入門、その後長崎でオランダ商館長ニーマンに蘭学および蘭方医を学び、天保九年江戸に戻り両国薬研堀で「和田塾」を開き、西洋医術の教育と実践を始めた。やがて、外科医として名声を博す。
しかし、天保14年、塾は共に長崎で学んだ娘婿の林洞海に委ね、佐倉に移る。父藤佐が、出羽庄内藩主酒井氏の転封に反対、対立した老中水野忠邦の逆襲を恐れて一家で江戸を去ったのだった。
時同じく、佐倉藩では、その後江戸幕府で老中首座として日米修好通商条約締結にもかかわった藩主堀田正睦が藩政改革を行い、学問所聖徳書院を開設、儒学、武術、兵学、医学を奨励した。医学は漢方が主だったが、佐倉藩では溯ること半世紀の寛政二年、藩主堀田正順が長崎の蘭方医樋口保貞を召し、細々と蘭医学も行われてはいた。改革の一環として、天保13年、長崎留学を命じられ帰藩した藩医鏑木仙安によって、蘭方の講義が始められた。鏑木仙安は天保14年に、刑場で自身の学習と教育のため、藩内では初めての人体解剖を行っている。蘭学を奨励した藩年寄渡辺弥一兵衛の進言もあり、藩主は江戸を去った名声のある佐藤泰然を招聘したのだった。
佐藤泰然は、佐倉本町に塾を開設、「順天堂」と号した。両国の「和田塾」同様、主に外科手術の教育と実践を行った。膀胱穿刺、虫垂炎手術、包茎手術、睾丸癌、乳がん手術などはもとより、卵巣水腫開腹手術、帝王切開、銃弾摘出も行っていた記録を資料の中に泰三が見つけた時、驚きを隠せなかったことを鮮明に覚えている。日本では、華岡青洲がすでに全身麻酔を行っていたが、その危険性から、佐倉順天堂では、手術は麻酔をせずに行っていたことを知り、身震いが止まらなかった。
しかし、泰三の目を大きく開かせたのは、泰然が種痘を広めた記録を読んでからであった。

 

第六章 予防接種

 
「おはよう。今日も髪はクシャクシャですね。昨夜も当直ですか?」
田中は佐藤にいつもと同じようにそう声をかけながら、お盆を置いてテーブルをはさんで佐藤の前に腰を下ろした。
「ああ、昨夜起こされたのは、1度だけだったけど」
「佐藤は、今日も午前中は新型コロナのワクチン接種ですか?」
「ああ、3週間前に第一回をした人の2回目の接種」
「インフルエンザは1回ですけど、新型コロナは2回なので、する方も、受ける方もやっかいですね」
「まあ、インフルエンザもこどもは2回だし、小児の定期予防接種は2回以上がほとんどでしょ? しょうがないよ」
「そう言えば、そうですね。でも、あの恐ろしい天然痘の予防接種は1回だけど、どうしてでしょね」
「さあ、どうしてだろう。田中でも知らないの? でも、あんなの2回もやられたらたまらないよね。二又針という先が二又になった太い針というより魚を突くモリみたいなのを、肩近くの腕に直角に刺し、何回もグリグリと皮膚を割くのだから」
「日本では1976年に定期接種廃止となったから、私も佐藤も接種されたことはないのに、佐藤はよく二又針のことご存じですね」
「俺をバカにするの? 佐倉順天堂の記念館にあるのを見たことがあるんだ」
「あれ、接種後も大変のようですよ。ある時、親に聞いてみたのですけど、数日後に水疱ができて、10日後くらいには周りも赤く大きく広がって、その後に膿も出て、それが痂になって治まるまで3週間もかかるらしいです」
「そういえば、中高年以上の人の腕には皆、瘢痕が残ってるね」
「瘢痕は、まだいい方です。数十万に一人くらいの割合で脳炎を起こして、半分くらいは死亡したといいます」
「えっ、そんなに? 新型コロナワクチンの方がずっとましだね」
「新型コロナも数十万に1人くらいはアナフィラキシーになりますけど、その場で薬を注射すればすぐに回復して、死亡することはないようです」
「だけど、若い人では心筋炎になるんだろう?」
「でも、新型コロナに感染した場合よりはるかに頻度は低いです。それでも佐藤は、新型コロナワクチン接種しないんでしょう? 人には接種しているのに」
「うん、まあ当面は。特に、自分のこどもにもやらせないね。人に接種しているのは上司から命令された仕事だからね。そう言えば、種痘を発明したイギリスのジェンナーは、最初に率先して自分の息子に試験的に接種したと言うよ」
「えっ、佐藤はそう信じているのですか?」
「違うの?」
「違いますよ。8歳の使用人の男の子に接種したのです。勝手に他人に接種すれば、今なら医療の倫理違反になりますね」
「確かに、今ならそうだ」
「それだけではないです。その後、予防効果があるかを確かめるため、2週間後に人の天然痘の膿を接種したのです」
「うわー、怖い! 新型コロナワクチンでも、臨床試験では接種後の日常生活で感染するか調べるけど、直接ウィルスを感染させたりはしないよね」
「予防効果があるという信念があったのかもしれないですけど、さすがに最初は自分の子へはできなかったのでしょうね。ジェンナー婦人が反対でもしたのかもしれません」
「当時の日本なら、妻は反対できないね」
「ただ、予防効果を確かめた後では、自分の息子も含めて8人の子に最初の子から取った膿を接種したようです。加えて、2人にはまた人の天然痘植え付けるということをしたみたいです」
「自分の息子にも、結局、接種したんだ」
「ええ、日本の修身教育では、ここだけ意図して抜粋したのですね。まるで最初に自分の子に接種したかの如くに」
「なるほど、明治時代の修身教育ね」
「新薬やワクチンもそうですけど、認可の臨床試験では、投与しない人との比較が必須ですよね。実は、ジェンナーはこれもやりました」
「えっ、種痘を接種しない子にも人の天然痘ウィルスを植え付けたの?」
「そうです。それで、その子達が天然痘に感染することを示したわけです」
「まさに、人体実験だな」
「真理を追究する科学者として、エビデンスをしっかり確立しようとしたのでしょう。でも、そこまでしたのに、このエビデンスは受け入れられませんでした」
「現代の方法と遜色ないのに、どういうこと?」
「人体実験含むこれらの結果だけでなく、その他のそれまでの観察症例も加えて論文を書いて、王立協会に投稿したのですけど、却下されたのです」
「今で言えば、査読者と編集者に否定されたということになるね。これでは、医学的エビデンスにはならないね」
「ええ、ジェンナーは、牛の天然痘に罹った人は人の天然痘に罹らないという、牛飼い女性の間では知られていたことから種痘を開発しましたけど、いわゆる専門家という人たちは自分の知っていることがすべて正しく、そんなことあるはずはないと、新しい事実を認めたくない人種なのですね」
「じゃあ、そのエビデンスはメンデルの遺伝の法則みたいに、しばらくは眠っていたの?」
「いいえ、ジェンナーはしぶとく自費出版したのです。真理追究という意味のInquiryという題で。最初は注目されなかったのですけど、次第に支持者が増えていきました。それにしても、この味噌汁、ちょっとしょっぱいですね」
「そう? 俺には相変わらずちょうどいい味だけど。でも、味は感じるから、俺たちまだ新型コロナに感染してない証拠だね」
「そうかもしれませんね。ところで、佐藤はワクチンってどういう意味か知っています?」
「俺が、そんなこと知ってるわけないでしょ。相変わらず田中は嫌味だな」
「医学用語の語源はほとんどラテン語ですよね。雌牛のラテン語のVacca由来です。ジェンナーの最初の種痘がメス牛からのものだったからです」
「なんで、メス牛なんだろう?」
「さあ。牛乳を採るのに雌牛が多かったからではないですか。でも、実は天然痘の予防接種はその前からあったんです」
「そうなの?」
「天然痘にかかって生き延びた人は、その後二度と天然痘にならないことは、ずっと前から知られていました」
「抗体による免疫だね」
「抗体とか、免疫という概念はまだなかったですけど、古くから知られてはいたのです」
「まあ、それくらいのことなら、当時研修医だったら、俺にも分かったかも知れない」
「でもね、すでにアジアの一部では、患者から採った痂を乾燥させて、健康な人の皮膚に植え付けることが行われていました」
「正に、ワクチン接種だね」
「ですけど、軽い天然痘で終わる人がいた反面、死亡者も少なからずいたので、あまり広がらなかったようです」
「じゃあ、ジェンナーが人類最初の予防接種ワクチンの発明者じゃないことになるんだ」
「まあ、そうとも言えますけど、死亡者のほとんど出ない牛痘を開発したことと、さっき言った接種者と非接種者にその後天然痘を接種して感染予防効果を確かめたのは、実に画期的で初めての臨床試験と言えます」
「今でいう、無作為ではないけど、割付臨床試験というわけね」
「そうです。正に実証研究ですよね。それだけでなく、これらの結果を論文にまとめたことが、人類初のワクチン開発者と呼ばれる由縁でしょうね」
「俺も、医学論文書かないといけないな」
「佐藤が、将来医学部の教授になりたければね」
「じゃあ、田中と違って書かなくていいかな。でも、牛痘の開発が早過ぎなければ、ジェンナーは間違いなくノーベル賞もらっていたね」
「佐藤は、天然痘予防接種をそれなりに評価するんですね。ちょうど、100年早かったことになりますけど」
「でも、ワクチン開発で初めてのノーベル賞出るかもしれないよ」
「ワクチン開発でノーベル賞は初めてではないですよ。小児麻痺のポリオワクチン開発関係者が1954年に受賞しています」
「そうなんだ。ワクチンもバカにはできないな」
「でも、新型コロナのmRNAワクチン開発者の二人も、それに続いて受賞しますね。ハンガリー出身のカタリン・カリコ女史とアメリカのドリュー・ワイスマン氏」
「mRNAによるワクチンは、新型コロナだけでなく、ほかの感染症にも広く応用できるから、いずれ受賞間違いないね」
「私もそう思います。でも、佐藤、予防接種への見方がずいぶん変わったね」
「そうかな。接種は退屈だけど、ノーベル賞のワクチン接種ができるなんて、実に光栄と思わないといけないかもね」
「ノーベル賞ワクチンとなったら、佐藤自身も接種しないわけにはいかなくなりますよ」
「いや、ノーベル賞採ったからといって、mRNAワクチンの長期的な有害事象が出ないのを保障することにはならないよ」
「そういえばそうかもしれません。ノーベル賞を受賞したのに、後でその発見が誤っていることが判明したことも少なからずあります。受賞対象となった発見そのものだけではなく、この人が受賞者でいいのかあというのもありますよね」
「ああ、ノーベル平和賞なんか、そう言えるのが多いかも」
「平和賞だけではなく、最近の日本人受賞者にもいると思いませんか?」
「ええ! だれ?」
「新型コロナであれこれ的外れな発言している、あの受賞者ですよ」
「あのiPS細胞の?」
「そうですよ。実は、あの受賞者はiPS細胞を作れなかったのです。作成に成功したのは、当時、彼の元で講師をしていたKazutoshi Takahashiという人です」
「何それ?」
「あの受賞者は、iPS細胞が24個の遺伝子が関与しているらしいことを知って、それらの組み合わせをいろいろ変えて実験したのですけれど、どうしてもできなかった。なにせ、これらの組み合わせはとてつもない数になります」
「そうだな。確かに際限なく実験を続けないといけないことになり、これではいつできるか、見通しも立たないね」
「そうですよ。そこで、Takahashiが考えついたのが、遺伝子を組み合わせてそれぞれ実験するのではなく、最初は24全部の遺伝子を入れてiPS細胞を作成し、次に24個の一つを除いた23個の遺伝子でできるか確かめた。それでもしiPS細胞ができれば、その遺伝子は作成に関与しないことになります。逆にiPS細胞ができなければ、その遺伝子は関与することが分かります」
「なるほど、賢い方法だね」
「関与していると分かった遺伝子は残して、残りの遺伝子をまた一つずつ除いてiPS細胞ができるかを実験します。できればその遺伝子を残し、できなければその遺伝子を除いてということを繰り返せば、数十回以下で関与する遺伝子が突きとめられます」
「医者にはないすばらしい発想の転換だね」
「こうして、iPS細胞作成に関与する遺伝子4個が初めて突きとめられたのです」
「なるほど。iPS細胞を作成したのは、あの受賞者ではなく、Takahashi講師ということになるね」
「そうでしょう? それで、これをCellという医学雑誌に投稿して掲載され、ノーベル委員会はこの論文を受賞対象としているのです」
「その論文に基づいて受賞の審理をしたというわけね」
「そうです。でも、この論文の著者は2名で、筆頭著者はKazutoshi Takahashiとなっていて、その後ろにあの受賞者名があります」
「なるほど。そうすると本来受賞すべきはTakahashi氏ということになるはず」
「佐藤もそう思いますよね。まあ、百歩譲って、受賞者を二人として、あの受賞者を加えるというのは、まあ、ありだとは思いますけど」
「確かに。じゃあ、なぜ受賞者は、あの人だけになったの?」
「そこには、日本の学会、特に医学会の悪弊があるようです」
「どんな悪弊?」
「ノーベル賞受賞者は、ノーベル委員会が世界中から探し出すわけではないようです」
「そうなの?」
「世界各国に非公表の推薦人がいて、毎年その人がノーベル委員会に候補者を推薦するらしいです」
「そうなんだ。でも田中はどうしてそんな事知ってるの?」
「実は、大学病院の恩師で教授を退官した人から、ある時、聞いたのです」
「推薦人がいるということを?」
「いや、その人自身が推薦人で、ある年、誰それを推薦したということをです。推薦された人は、その年の受賞者にはならなかったですけれど」
「へー、そうなんだ。でも、それが、どうして日本の医学会の悪弊になるの」
「そこなんです。Takahashiという人は同志社大学工学部卒業後、奈良先端科学技術大学院でバイオサイエンス分野の博士号を取得したのです。その後、京都大学のあの受賞者の研究室に助手として採用されて、その間iPS細胞を作成して論文を投稿したわけです」
「なるほど。医学部卒の医師は、あの受賞者の研究室には入らなかったということなのかな」
「それはよく知りませんが、欧米ならともかく、その頃の日本では、医学部卒以外の人が助手や講師になることは、あまりなかったと思います」
「確かに。それで、悪弊って、どこが?」
「そこですよ。生理学医学賞の推薦人は、私の恩師もそうでしたが、旧帝大の医学部教授か、そこを定年退官して、大病院の院長などになっている人だと思うのです」
「そうかもね」
「だから、医学会の重鎮が、私立大工学部卒の助手で、その後講師になった人などを推薦するわけがないとは思いませんか?」
「そうだろうね。そういう人が、医学部卒以外の、しかも医師でもない講師を推薦しないね。欧米だったら、まず第一に、筆頭著者を推薦するのは、間違いないけど」
「仮に、推薦人が、学術のあり方に対する信念と矜持から、Takahashi氏を推薦したとしても、そうなったら、日本の医学会は黙っていないと思います。私が知っているくらいだから、誰が推薦人か知っている人も少なくないでしょうし」
「日本の推薦人には、そういうプレッシャーもあるね」
「ノーベル平和賞でなくても、受賞はかなり政治的ということのようです。受賞者をありがたがって、むやみに礼賛するだけではなく、受賞者の意見や発言は、人物や経歴から信用できるか、自身で判断する必要がありますね」
「田中は、そういう悪弊の医学会へ行くんだ。見上げたもんだね」

 

第七章 種痘

 
泰三は、再び佐倉順天堂にいることに気づいた。蘭学塾を開いた佐藤泰然が、日本全国から集まってきている多くの門人に、種痘の講義と実践を指南している。手元には「モスト牛痘篇」を翻訳した佐藤泰然が著した「痘科集成」の書が見える。先に医療器具を保管してある部屋で見たことのある、先が二又になった針状のもので、塾生の上腕の外側を数度突き回している。泰三は痛そうに我慢している塾生の姿に、思わず顔をしかめた。
イギリスのジェンナーが1796年に牛痘法を開発したが、その情報が日本にも届いていたものの、牛痘ワクチンである痘苗が長崎にもたらされたのは嘉永2年であった。その痘苗は東へと人々に植え継がれながら全国に広がって行き、江戸から佐倉藩に届いたのは嘉永2年12月である。
しかし、当初、佐倉藩医の中には、種痘に反対するものも少なからずいた。なにせ、牛の天然痘から採った痘苗を植え付けるのだから、下手をすると牛の天然痘を発症して死亡してしまうと恐れたのだ。たとえ、死亡を免れたとしても、これが免疫となり、人の天然痘感染の予防になるなど、彼らには思いも及ばない。泰三は、それを教えてあげたい衝動に駆られたが、今の身を弁え、すんでのところで自制した。
反対派の藩医たちを抑えるため、佐倉藩主堀田正睦は、率先して範を示すべく、まず自身の子女に接種を命じた。母親である藩主の奥方様が、内心反対であったことは想像に難くない。まずは家臣の子女に接種して様子を見るべきと、大きな不安を漏らしたに違いない。側近の年寄り役渡辺弥一兵衛治の娘にも接種をしたのは、これらの反対を抑えるためもあったのだろうと、泰三はこころの中で推し量り、同時に自分のこどもだったらどうするだろうと思い悩んだ。
堀田正睦藩主は、藩医全員に接種術を学ばせただけでなく、反対意見を抑えてその普及を図るべく、直ちに御触書を発した。泰三は、佐倉順天堂内にそれが張り出されているのを目にした。
 
佐倉藩種痘諭文 嘉永2年12月佐倉医学所
「阿蘭陀に限らず西洋諸州は、一同種痘により天然痘といふもの無に至れり。近年は牛痘接種を施し、人痘と相違し、寒暖、小児の年齢に拘わることなく、熱を発せず、ひきつけも起こさず、希代の良法と言え、今般、幸いにも蘭船にて早速牛痘を入手致した。
子息と娘に接種するも、軽い副反応で恙なく回復、家中及び領地に普及を計ることとする。
医学研究所にて種痘の施療を藩医から治め、遠方にいる者は参じられ、接種治療を受けられるべし」
 
泰三は、この諭文を目にし、藩主が息子と娘にまず接種したことに改めて 驚きを覚え、正に藩主の鏡、この点ではジェンナーを凌いでいると思った。
佐藤泰然から教育を受けた塾生は、藩内を回って接種を推し進めることになった。しかし、接種を広げようにも、藩医以上に藩内の不安と反対は強かった。医学的知識に乏しく、ましてや種痘などとは全く耳にしたことのない佐倉っ子の反対は根強かった。牛の天然痘にかかってしまうという恐れに止まらず、牛になってしまうと思い込む者も少なくなかった。そこで、藩主堀田正睦は、間髪をおかず役所から御触書を発する。泰三が街中で目にしたのも、これである。
 
佐倉子育方役所 嘉永2年12月
「痘瘡が流行し、貴賤問わず小児の夭折夥し。近年、阿蘭陀より種痘というものが伝わり、世間で広まっているが、非や有害なく、佐倉藩医も種痘の法を伝受し追々試みているが、疱瘡は数少なくないものの軽く、非は稀である。
江戸に於いても姫君様に接種し軽く済んでおり、いよいよ種痘は大厄を免れる良法なことは明白なり。此度、医学研究所にて藩医による種痘接種治療を施療するに相成った。領地在住の大小問わず百姓町人の疱瘡前の小児は、接種時機を確かめた上、医学研究所へ連れて来られるべし。
一村全員申し合わせての同時接種を望めば、藩医が赴いてそちらで施療することゆえ、医学研究所へその旨願い出られたし。稼ぎのない者へは別途、陰徳講金より薬種料を支給して藩医が赴くゆえ、いささかとも礼等は心配せず、貧富にかかわらず、施療を受けられたし。
藩医の中には、まだ種痘が良法であることを弁えておらず、あれこれ非難する者もあるが、最近、清朝より引痘新法全書なる書物が伝わり、そこに西洋種痘という良法が発明されたとある。それでも猶疑わしく思うのであれば、この数年来蘭法の接種を受けた者へ問い合わせれば、その善悪分別は明白に相成る。昔から伝候所にて種痘法として、漢方薬を鼻に吹き入れる方法が行われているが、それには大きな有害あり。それらを控え、遠国の領地の村の志ある医師は佐倉へお越しくださり、蘭法の種痘法を伝受され、それらの村々で接種を施すことも考慮されたい」
 
泰三は、藩医が村へ赴いて接種することに、今彼が日々病院で実施している新型コロナワクチン接種も、そうあるべきと反省した。新型コロナワクチン接種は政府が負担して今は無料だが、ここ佐倉藩でも貧しい村民には無料で実施するとのお触れに、改めて予防接種のあり方の原点を見た気がした。それにしても、種痘に対して少なからぬ藩医が根強く非難していることに、新型コロナ予防接種に反対している自身も同類なのではないかと恥じた。お触れに学び、接種を推進し自らも接種を受けている同僚にその理由を詳しく尋ねてみようと、胸に刻んだ。
御触書の前に佇みそう考えていると、突然、藩医があの二又接種針を手に泰三に迫ってきた。
「私には、天然痘の接種など必要ない!」
そう何度も大声で叫ぼうとしたが、なぜか声が出ない。恐怖で息が止まり、苦しくなる。とにかく逃げようと、捕まれた腕を振り解こうともがいた。

 

第八章 目覚め

 
「ここは、一体どこだ? 何をしているんだろう?」
泰三は、大きく目を見開く。体は汗でびっしょりだった。薄くらい空間に消えている天井の蛍光灯が浮かび、枕元から大きく鳴り響く音が鼓膜を揺さぶる。思わず横を向くと、机の上の見慣れた電話機がリーン、リーンと鳴っている。泰三は、今朝未明、重症患者の診察後に、白衣を着たまま当直用ベッドに倒れ込んだことを想い出した。
「また夢だったか」
そうつぶやきながらベッドから起き上がると、電話には応えず、急いで病棟へと向かった。患者の処置を済ますと食堂へ向かった。
「よう、おはよう。今日も髪はくしゃくしゃですね。昨夜も眠れずでしたか?」
そう言いながら、田中が泰三の前に座ってきた「ずっとうとうとだったけど、なんとか寝ることはできたみたい。だけど、寝起きに嫌な夢を見た」
「どんな夢ですか?」
「種痘のワクチンを接種されそうになった夢」
「えっ、種痘の予防接種って、日本では行われていないんではないですか?」
「それが、なぜか江戸時代の佐倉藩にいてね。ちょうど、種痘を藩内に広め始めたところで、藩医が私にも接種しようと、あの二又接種針を手に迫って来たんだ」
「毎日、新型コロナワクチンの接種漬けで、頭が予防接種で一杯なのではありませんか」
「そうかもしれない。そうそう、田中に言っておかないといけないことがある」
「なんですか?」
「その佐倉藩の種痘接種の御触書に、とてもいいことが書いてあった」
「とてもいいことって、私にとって? それとも佐藤にとってですか?」
「俺にとってかもしれない。佐倉藩の藩医にはとにかく種痘に反対で、接種を藩内で進めることを非難している藩医がかなりいてね」
「佐倉藩が進めた種痘は、そのおかげで天然痘が地球上から撲滅されて、日本では1976年以降は定期接種から外れたし、世界でも1983年以降はワクチン市場から消えましたよ」
「俺が言いたいのは、種痘ではなく、今でも予防接種反対主義の医者が、接種反対を主張しているでしょ」
「新型コロナワクチンのこと? それって佐藤ではないんですか?」
「今まではね。新しいmRNAだから長期的に見た副反応が分かっていないでしょ」
「問題はそこですよ。種痘は人類史上初めての予防接種で、しかも、予防接種などという概念も確立する前のワクチンだったから、長期的どころか、短期的な有害事象もよくわかっていなかった。当時、もし私が藩医だったら、反対するかもしれません」
「そう。だから、田中のような今の予防接種に前向きな医師が反対していたら、種痘だけでなく、その後のすべての予防接種も存在しないことになったはず」
「そうですね。その後の予防接種は、ウィルスや細菌を弱毒化するか不活化して、それを接種するという、種痘と似たような作成過程ですからね」
「加えて、新型コロナワクチンはmRNAを利用した全く新しいワクチンだし」
「あれ、佐藤、前に言ったでしょう。自称専門家も口を揃えてそう言ってるけど、mRNAを利用したワクチンや抗がん剤は前からあったって」
「ああ、そうだった」
「厳密に言えば、天然痘だって、その前に民間療法として、世界各地で、今で言う予防接種のようなことは行われていたわけだから、その点からすれば、種痘と新型コロナワクチンの是非論には、結構共通項があるようにも思いませんか?」
「そう言われれば、俺もそう思わないわけではないけど」
「そうですよね」
「それでね、さっき言ったように、佐倉藩主の御触書にいいことが書いてあったのよ」
「佐藤にとっていいことですね」
「うん、こう書いてあった。『藩医の中には、まだ種痘が良法であることを弁えず、非難する者もおるが、最近、清朝より引痘新法全書が伝わり、西洋種痘という良法が発明されたとある。それでもなお疑うなら、この数年来蘭法の接種を受けた者へ問い合わせれば、その善悪分別は明白に相成る』とね」
「反対の藩医が佐藤で、引痘法新書が米CDCやWHOの見解で、佐藤の接種した人たちに、その新型コロナの是非を聞け、ということですか?」
「いや、今なら最後だけはちょっと違うけどね。接種された人を短期的、長期的に、感染状況や副反応の追跡調査をしっかりやるべきということになるけど」
「そうですよね」
「まあ、新型コロナワクチンも結局なし崩し的に認められていくことになるよ。なし崩しでも、天然痘は撲滅されましたけどね」
「そうなれば、強硬な反対意見もいずれ埋もれてしまいますね。医学の進歩とは、そういうものなのですから」
「実は、もう一つお触書から学べる点があったんだ」
「佐藤にとって? それとも私にとっても?」
「うん、俺にも、田中にも。種痘はジェンナーも佐倉藩主も、最初はこどもに接種したでしょ。今行われているほかの予防接種もこども時代に始めている。だから、今は12歳未満は接種対象になっていないけど、そのうちに、こども時代から始めるようになるよ、きっと」
「そう言えば、こどもはかかりにくく、かかってもほとんどが軽症で済むので、対象から外されています」
「まあ、ワクチンが十分無いこともあったけど。最近は変異株によるこどもの感染が増え、少ないけど重症化するこどもも増えてはいるし」
「それに、無症状や軽症のこどもが大人への感染を広げるということもあり得ますね」
「ウィズ・コロナ時代というか、これから先、長いつきあいになるね。動物にも感染し、人への再感染も確認されているから、インフルエンザが豚や鳥内で生き延びて人への感染を広げるのと同じだね」
「そうなると、佐藤先生の新型コロナワクチン接種は、ルーチン業務になりますね」
「そうなったら、退屈で敵わないなあ。今後は看護師に接種はやってもらうことにしよう」
「でも、接種の可否を決めるのは日本では医師です。なので、仕事はなくならないですね」
「その必要あるか、大いに疑問ではあるけどね。他人に転嫁する策略、行政のおはこね。それはともかく、この前あっと驚くことがあったの」
「佐藤は、いろいろなことに驚くんですね」
「新型コロナワクチン接種が、茨城県の神栖市であったの。あそこは鉄道が全くないから、鹿島神宮駅か潮来駅か、千葉県の小見川駅からタクシーで行かなくはならないんだよ」
「遠いですね。10km以上はありますよね」
「うん。それで前の夜に、約9kmと一番近い小見川駅から行くことにしたの」
「利根川越えですね。でも、なんで夜に行ったのですか?」
「ワクチン接種は朝8時からと早いから、ホテルに泊まることにしたわけ」
「よくある前泊ですね」
「うん、出張接種や健診で度々あるやつ。でも接種は午前中だけだったので、昼頃にまた小見川駅までタクシーで帰ったの」
「電車の本数が1時間に1本くらいと少なくて、不便ですよね」
「次の電車が来るまでかなり時間があったので、駅周辺を散歩でもしようと、駅前の観光案内板を見たの。そしたら、そしたら」
「また驚くことがあったのですか?」
「うん、佐藤尚中の生家というのがあった」
「えっ! 私たち順天堂大学医学部の創設者の?」
「そう。長崎でポンペから蘭学を学び、佐倉順天堂を開いた私の先祖の佐藤泰然の養子となった人」
「大学の図書館に展示があったので知っています」
「彼は明治初頭、政府に招聘されて、東大医学部の前身である大学東校の主宰者にもなった。公立、私立医学部の草分け、まさに日本の近代医学校の祖と言えるね」
「驚きというより、奇遇ですね」
「マンガからテレビドラマになった「仁」で、幕末に迷い込んだ南方仁のモデルとも言われている人。田中も知ってるでしょ?」
「主人公の脳外科医が、脳の奇形腫摘出手術後に階段から転落して意識を失って、目覚めると江戸時代にいたという、奇想天外な設定のお話ですね」
「うん。佐倉藩に迷い込んだ俺の場合は夢だったけど」
「そんな夢を見るのは、当直室の枕元の電話で、レム睡眠中にたたき起こされるからではないんですか?」
「そうかもしれない。その時は夢でなくて、千載一遇と、佐藤尚中の生家を見に行こうと思った。だけど、徒歩だと15分近くかかるから、往復30分以上かかってしまうでしょ」
「次の電車逃してしまいますね。また1時間待たないといけないことになります」
「まあ、記念館など見学できれば、それでもいいけどね。それで、駅員に聞いてみた」
「どうでした?」
「碑があるだけで、記念館はないって。でも、駅の広場に像があると教えてくれた」
「記念館はないのですね。それでは私たちが作りませんか?」
「いずれ、俺たちが医師として成功したらね。俺は無理でも田中なら」
「佐藤も、佐藤泰然の子孫だから、開業医として成功するのではないですか?」
「そうかな」
「そうなりますよ。ところで、その像ってなんですか?」
「像というから、小さなブロンズ像かなと思って広場周辺探してもそれらしきものは見つからなかった。しょうがないから、また駅舎に戻ろうとしたら、広場の中央に大きな石像があったの」
「どうして、最初に見つからなかったのでしょう」
「大きな案内板にちょうど隠れた形になっていたこともあるけど、黒っぽい小さな像と思い込んでいたのと、その等身大の白い石像が1mほどの高さの台座に立っていたので、不思議と気づかなかった」
「そんなものですかね。思い込みというのは恐ろしいですね」
「実は、地元の人も、それまであまり注目してなかったんだけど、ドラマ「仁」のモデルということで、そんなに偉い人ならと、観光協会が寄附を募って2020年に建立したんだそうだ」
「早稲田大学の大隈重信、慶應義塾大学の福沢諭吉に並び称されてしかるべきですね。そんな人が創始者なんて、私たちも、もっと誇りに思って、身を引き締めて精進しないといけないですね」
「そうだね。明日から新型コロナワクチン接種にも、佐藤泰然、佐藤尚中に負けないよう、もっと身を入れないといけないな。疲れ切って夜ベッドに倒れ込めば、またいい夢が見られるかも」

 

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