頼迅一郎(平野周) 頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー

第15回「江戸幕府の御家人」(東京堂出版)

頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー15

江戸幕府御家人」(戸森麻衣子、東京堂出版

 

 藤沢周平が、「黒い縄」(『別冊文藝春秋』121号)で、第68回直木賞候補となったとき、選考委員の村上元三が、
「背広に丁髷を乗せたような作品で、会話にも現代語がやたらに出てくる。現代語がいけないというのではないが、不自然さを感じさせるところ、やはり作者の不用意であろう」(注)
 と、評している有名な話があります。
 第68回とは、昭和47年(1972年)下半期で、今から30年以上前のことです。氏は次の第69回で見事に直木賞を受賞するのですが、その後も海坂藩の中間管理職、平サラリーマンとでもいうべき下級藩士(剣の腕は確かですが)を描き続けました。そのため、サラリーマン層の圧倒的な支持を得たように思います。
 しかしながら、平成9年(1997年)に氏が亡くなって後は、そのような作品は出ていない気がします。(葉室麟の西国の藩を舞台にした作品は、少し藤沢周平とは異なる気がするのは私だけでしょうか。)
 藤沢周平は、海坂藩というどちらかといえば、現在のローカル企業の中間管理職、平サラリーマンを主人公としましたが、幕府すなわち中央官庁の平公務員を主人公に発表された作品がありました。青木文平の「半席」「励み場」がそれです。ただ残念ながら、氏は物語に執着しない作風のためか、興味あるテーマが変化したのか、長続きしなかったように思います。
 とはいえ、氏の描いた御家人の世界は、ノンキャリア公務員ばかりでなく中小企業、大企業の平サラリーマンに通じる世界があるように思われます。
 特に御家人については、その実態がよく掴めず、リアルさを追求しようとすればするほど限界がありましたが、最近、御家人についても研究が進み、少しずつ実態がわかるようになってきました。本作もそのような貴重な専門書の一つです。
 歴史は英雄、豪傑が造ってきたものではなく、名も無き民衆の営為によりできあがったものだとは、民衆史の立場ですが、なにもそのように畏まらなくとも、私たちは今を生きて、過去の似たような境遇にいた人物がどのように暮らしてきたのか、に興味をたくましくするものではないでしょうか。
 今まで描けなかった(描かなかった)御家人の豊穣な世界を創造(想像)することは、小説を書く書かないにかかわらず楽しいもののように思います。
 ちなみに、本作の帯には「職務・生活・身分から実態を探る」とあります。462ページとボリュームがありますが、まずは、興味のある役職から読んでみてはいかがでしょうか。
(文中、敬称を省略しました。)

(注) 『直木賞のすべて』(https://prizesworld.com/naoki/ichiran/ichiran61-80.htm#list068)より引用(大元は、『オール讀物』昭和48年(1973年)4月号掲載の選評)

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