雨宮由希夫

書評『大富豪同心 贋小判に流れ星』

書名『大富豪同心 贋小判に流れ星』
著者 幡 大介
発売 双葉社
発行年月日  2020年8月10日 
定価  ¥650E

大富豪同心(25)-贋の小判に流れ星 (双葉文庫)

大富豪同心(25)-贋の小判に流れ星 (双葉文庫)

  • 作者:幡 大介
  • 発売日: 2020/08/07
  • メディア: 文庫
 

 

「大富豪同心」シリーズはドラマ化され、2019年5月より(再放送は同年10月より)NHKBSプレミアムで連続10回にわたり放映され、大評判だった。
 本書は人気シリーズの第25巻目。シリーズものであるがゆえに、第1巻から読み始めるのがベストだが、その余裕がないという読者には、第23巻「影武者 八巻卯之吉」から読み始めることをお勧めする。なんとなれば、第23巻から、本シリーズは新たなステージに突入したといえるからである。

 「大富豪同心」シリーズは2010年1月にスタートした。第一巻の冒頭で「時は安永、十代将軍家治の御世。梅雨明け間近、江戸は日本橋室町を24歳の卯之吉が歩いている」とあるのだが、第23巻「影武者 八巻卯之吉」には「将軍の隠し子」が登場し、贋小判事件が発生するのである。バン(幡)ワールドの新たな展開といってよい。
 「江戸一番の切れ者と名高い」同心八巻卯之吉の正体こそ、江戸一番の札差、両替商・三国屋の若旦那で、放蕩遊びの延長で南町の同心を努めているにすぎないにもかかわらず、難事件を難なく解決してしまう。そこが絶妙で面白い。卯之吉の奇行。芸者たちが鉦と太鼓、三味線で伴奏する中、扇を取り出して、優美に舞い始める。クルクル、クネクネと自分の気が済むまで踊り、パチリと扇を閉じて茫洋とした風貌で満足そうに瞑目する。この主人公の不可思議なキャラクターを、テレビドラマでは歌舞伎役者の中村隼人が好演していたのは記憶に新しい。

 本物と見間違えるほどに精巧な贋小判が江戸市中に出回り、両替商が軒並み倒産させられてしまいかねない事態の発生。贋小判の横行を放置すれば、幕政の根幹がひっくり返る。何者かが贋小判を大量に持ち込んだのか、贋小判の大元を突き止めさえすれば、この騒動は収まるのだが。
 この騒動を動かしているそもそもの巨悪の元締めは、卯之吉の祖父・三国屋徳右衛門にとって代わろうとする豪商・住吉屋藤右衛門とその娘で上様御寵愛第一と評判の大奥中臈の富士島、の父娘であった。
 「上様の弟君の幸千代(ゆきちよ)君(ぎみ)を、江戸にお招きくださいませ」と病床に臥せる上様に言上したのは富士島だった(23巻11頁)が、いまでは他ならぬ富士島その人が「若君暗殺」の陰謀に加担している。幕閣の熾烈な権力闘争がからんでくるところが本シリーズの骨格であるが、かくして、このたびの闘争は「三国屋」VS「住吉屋」の構図となり、これに、「先代将軍のご落胤・幸千代君を推戴しようとする派」VS「御三家より将軍を迎えんとする派」の将軍家のお家騒動が絡む。住吉屋に肩入れする者は、幸千代を殺せば、尾張様か水戸様かわからないが、新しい上様が、自分達に目を掛けてくれるという口約束を信じて、住吉屋の掌で踊らされている。

 さて、卯之吉といえば、筆頭老中本多出雲守下屋敷で、幸千代君の替え玉、影武者をつとめている。卯之吉と幸千代君は鏡を見るようによく似ているのである。わけあって、甲斐の山中で隠し子として育てられた幸千代君は、「武芸者、剣術の達人」であるところが、唯一、卯之吉とは似つかないところである。
 幸千代君の身辺を護っているのは俗に甲府勤番“山流し”といわれた不逞の貧乏旗本御家人たちであった。また、甲府から江戸に戻ってきた甲府勤番で、白虎連と称し住吉屋の陰謀に加担している者達は、驚くほどの大金を持って暗躍している(23巻284頁)。ことほど左様に抗争をめぐる構図が複雑である。
 卯之吉が幸千代君の影武者をつとめているとき、幸千代君本人は八丁堀にある卯之吉の役宅にあって、八巻同心に扮している。卯之吉と幸千代は座敷を勝手に抜け出して入れ替わることがしばしばで、警固のものたちは目が離せない。「三国屋」側としては、卯之吉が幸千代の替え玉だと敵側に知られては困る。

 幸千代の愛しい許婚の真琴(まこと)姫(ひめ)は本多出雲守の下屋敷の一棟を住居とし、行方をくらませている幸千代を探している。卯之吉にほれ込んでいる女剣士・溝口美鈴は江戸の下谷通新町に道場を構える剣豪・鞍馬流溝口左門の一人娘だが、真琴姫の警護で同じく本多出雲守の下屋敷につめている。二組のカップルの、卯之吉と幸千代の入れ違いによるすれ違いが面白い。同じく江戸では出雲守の保護下に置かれている大井(おおい)御前(ごぜん)は幸千代の乳母。武田信玄の血を引く老婆で、甲斐国内では生き神のように崇められているその存在感がたのもしい。
 いよいよもって、幸千代君の毒殺が実行されたのは第24巻「昏き道行き」。
本所小梅村に工房を持つ塗師、名人・治左ヱ門は「お前の毒で、上様の弟君・幸千代を殺せ」と住吉屋に迫られるが、治左ヱ門が造った葵の御紋入りのお椀で殺されたのは他ならぬ治左ヱ門であった。いかなる手立てをもって、幸千代君のお椀に毒を仕込んだのか、その謎解きや如何に。それは第24巻を紐解き味わってほしい。

 はじめて「大富豪同心」を御目見得される読者諸兄のために、“常連さん”を簡単に紹介しよう。
 卯之吉の周囲は皆一風変わった者ばかりだが、その代表的登場人物は江戸の侠客で暗黒街の顔役・荒海ノ三右衛門である。卯之吉の「一の子分」を自任する三右衛門は卯之吉のことを、本巻でも、切れ者の同心と信じ込んでいる。
 深川一の売れっ子芸者で江戸中の男の憧れの菊野(TVドラマでは稲森いずみが好演)は卯之吉に惚れ込んでいるが表には出さない、姉のような恋人のような存在だが、本巻では実は小太刀の使い手であると知れた。
 幇間の銀八は岡っ引きとして卯之吉の身の回りの世話から事件の捜査まで行うが、卯之吉が「剣豪同心ではない」ことを知っているが、全くの野暮天で恋愛の機微に鈍感な「相棒」。 
 水谷弥五郎は三国屋の徳右衛門から、卯之吉の警護のために雇われた人斬り稼業の浪人。借金を返すために、八巻同心の手下か密偵のように走り回って、何度も危険な目に遭いながらも、卯之吉という金持ちから離れられない貧乏人。
 第24巻の「昏き道行き」では弥五郎の素性が明らかになった。「生き別れの子がいた」とする人情噺からつむぎだされる「人として大切なもの」に読者は惹きつけられることだろう。
 本業は歌舞伎役者の由利之丞は歌も踊りも芝居も下手で売れない役者。弥五郎同様、八巻の手下か密偵のように走り回り、時にニセ同心・八巻卯之吉をも演じる。
 村田銕三郎(てつさぶろう)は南町奉行所筆頭同心。卯之吉の同僚にして先輩同心。南町一の同心でありながら、卯之吉のせいで散々な目に合わされている。本来定町廻りながら、今回は隠密回りの役儀でうらぶれた姿に変装し甲斐国に潜入する。
さて、贋小判の出所は掴めたのか?
 住吉屋は甲州金座の家柄だったことが明らかになった。(本巻10頁)。住吉屋は娘を使って将軍を操り、「日本一の商人」となって天下の商業を我が物にしようとする。米相場への投機で暴利を得、三国屋と持ちつ持たれつの関係の本多出雲守を追い落とし、三国屋を破産させようと画策する。
 若君様をお守りする勤番の中に裏切者がいたことは第23巻でわかっていたが、「悪事の親玉は大奥のお中臈様だったのか」と卯之吉。ついに、本巻で卯之吉は若君が甲斐から江戸入りした時期と、贋小判が市中に出回り出した時期とが、ちょうど重なることを突き止めるのである。
 今回も、「辣腕同心」、「人斬り同心」の虚飾がはがれて、放蕩者卯之吉の本性を見抜かれることなく、事件はひとまず「解決」するのだが……。
 抱腹絶倒、軽快な魅力が堪能できるだけではない。書下ろし時代小説花盛りの今、幡大介のそれは奥深さが一味も二味も違う。 


          (令和2年8月15日 雨宮由希夫 記)