雨宮由希夫

書評『信長嫌い』

書名『信長嫌い』               
著者名 天野純
発売 新潮社
発行年月日  2017年5月20日
定価   本体1700円(税別)

信長嫌い

信長嫌い

 

 

 7編の短編よりなる本書は従来の<信長もの>とは違った異色の歴史小説である。信長によって人生を狂わされた7人の男を主役として書き、連作として繋ぐことによって、信長の「影」を逆照射し、信長とその時代を描き出すという作家の構想に惹きこまれた。


 本書で作家が選んだ人物は、今川義元、真柄(まがら)直(なお)隆(たか)、六角承(ろっかくじょう)禎(てい)、三好(みよし)義(よし)継(つぐ)、佐久間信(のぶ)栄(ひで)、百地丹波織田秀信の7人である。

〈第一話 義元の呪縛〉桶狭間の敗者・今川義元が主人公。物語のスタート、義元自らが太刀を振るい異母兄の玄(げん)広(こう)恵(え)深(たん)の首を落とすシーンが生々しい。
 玄広恵深と争い、これを討ち(花蔵の乱)、家督を相続し、”海道一の弓取り”になる義元だが、今川家を東海一の戦国大名に押し上げたのは義元の外交顧問で軍師・太原雪斎(崇孚(すうふ))の功績であった。もしも雪斎が存命であれば、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いは違った展開になっていただろうとの説があるが、本書で作家は、天下統一の野望をもって上洛を企てるべく起こした桶狭間の合戦の場面でも、義元に付きまとうものは玄広恵深の亡霊と雪斎の幻影であったとしている。巻頭を飾るに相応しい秀作である。

〈第二話 直隆の武辺〉越前朝倉家の勇将真柄(まがら)直(なお)隆(たか)の視点から、元亀元年(1570)姉川の合戦に敗れ、やがて信長によって死命を制せられる朝倉家の国情を映している。信長の武力侵攻が迫るのを見た直隆は備えを固めるべしと訴えたが、当主の朝倉義景は凡庸で重い腰を上げようとしない。一方、直隆は朝倉家中でますます浮き上がった存在になっていき、姉川の合戦で討死する。武辺者の悲惨な運命を描いている。

〈第三話 承禎の妄執〉永禄11年(1568)足利義昭を奉じて上洛を目指す信長の近江進撃に際して立ちはだかるも、あえなく掃討され、衰亡の一途をたどる六角承(ろっかくじょう)禎(てい)(義賢)の生涯を承禎自らの回想を交えてたどったものである。
 南近江の六角氏は源平合戦宇治川の先陣争いで勇名を馳せた佐々木信綱を先祖とする近江源氏佐々木氏の嫡流であった。「自分からすべてを奪った男、成り上がりもの」の信長に名門の底力というものを見せてやるとの矜持だけで信長の行く手を遮ろうとする承禎の心理の内奥にメスを入れる独自の手法が冴える。

〈第四話 義継の矜持〉信長上洛以前の畿内の“天下人”三好長慶の甥で三好宗家の家督に据えられた三好(みよし)義(よし)継(つぐ)が主人公。信長の軍門に下る際、義継が信長から、義昭の妹と結婚するよう命じられるシーンから語られる。
 義継は将軍義輝を弑逆し、奈良の大仏を焼いた大罪人という終生消えるこのない汚名を抱いたまま生き、信長が義昭を将軍としたのちは、義昭とほぼ行動を共にしている。天正元年(1573)傀儡に過ぎないとはいえ将軍の義昭が信長に追放されるや、義継は義昭を自らの居城若江城に迎え、織田軍に抗して、自刃している。
 政略結婚には古い秩序の偽善性に対する限りない信長の憎悪が込められているのだろうが、政略結婚の当事者、妻にとって、夫義継は兄義輝の敵だが、添い遂げようと義継に尽くす。堅忍不抜に徹したその夫婦愛がもの悲しい。義継には、かつて畿内を制した三好宗家を滅亡に導いた暗愚の当主という一般的見解があるが、本編は新たな三好義継の人間像に迫った秀作である。

〈第五話 信栄の誤算〉7話中、唯一、織田家譜代の家臣が主人公になっている。石山本願寺攻めの総大将で、対本願寺交渉が終わると同時に弊履の如く捨てられた織田家の宿老・佐久間信盛の嫡男信(のぶ)栄(ひで)(正勝とも)は父信盛の下で、織田家の主要な戦に参陣したものの、武功など一つもなかった。信長への恐怖心で懊悩する姿とともに茶の湯に傾倒していく信栄が描かれる。
 天正8年(1580)佐久間父子は共に高野山に追放される。失意の信盛はほどなく大和の十津川で病没するが、信栄はのち信長に許され再び仕え、信長亡き後は不干斎と号して秀吉の御伽衆の一人、茶人として生きた。が、本編は佐久間父子が高野山を目指すべく天王寺を旅立つシーンで終わっている。

〈第六話 丹波の悔恨〉伊賀国名張中村周辺を治めた地侍百地丹波が主人公。丹波とその妻お梅は天正9年(1581)の天正伊賀の乱で、伊賀を焦土に変え、自分からすべてを奪った信長を討つべく、素性を隠して各地に潜伏し、信長を付け狙うが、ことごとく失敗する。信長の発する恐怖に負けた丹波は「信長を仕物(暗殺)にかけることなど到底不可能。この男は人ではないのか」とおののくが、最後のチャンスとなった本能寺で、信長と相見え、「所詮、この男もひとであったのか」と思い知るシーンは読みどころである。丹波に伊賀者としての譲れない矜持をみた信長は、「明智の手に渡さぬと誓うのであれば、この首、その方に」と告げて果てるのだ。
 主人公のキャラクターの設定など7編中最も空想性の高い1篇となっているが、信長が用済みとなった家康を謀殺するという憶測で光秀の軍が動いたという風説も巧みに織り込まれ、信長の首の行方を明白に記すなど、本能寺の変の真相に迫った注目すべき短編である。

〈第七話 秀信の憧憬〉織田秀信清洲会議で、信長の嫡孫三法師として羽柴秀吉に推戴され、わずか3歳で織田家の名目上の継嗣となったが、関ヶ原の戦では西軍に加担して敗れ、家康によって高野山に放逐され、26歳で没している。

 本編は秀信が祖父信長の夢を見るシーンから始まる。容貌や声、仕草までが自分とそっくりの夢の中の信長はきまって本能寺の光景の中に現れ、しかも信長の目は何かを問いかけるような目だとする描写にはゾクリとさせられる。
 祖父の偉大さ、織田家の誇りこそが秀信の矜持であり、「この血をもってすれば織田宗家の栄光を取り戻せる」として臨んだのが慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いであったとしている。はじめ、秀吉、つぎに石田三成の天下取りの道具として利用されただけの生涯、数奇な運命をたどった人物があざやかに蘇る。
「7人の男」の人選には作家の工夫がある。例えば「真柄直隆」では浅井長政か、朝倉義景か、「三好義継」では松永久秀か、足利義昭かが妥当な人選であろうが、あえて<信長もの>歴史小説に登場回数の少ない人物を起用して、バラエティ豊かな物語とすることに成功している。

「好悪は別として、やはり信長という男は偉大だったのだ」(百地丹波)という一文がある。時に英雄にも見え、時に魔王にも見えた信長だが、私たちは信長に夢を見たいのだ。人は戦国史を振り返るとき、やはり信長を夢見たいのだ。乱世たる戦国時代、人は欲望を剥き出しにしたが、人はいかに生きいかに死んだか以外に、究極として小説に描かれることはない。歴史小説ではこれが作家の史観で以て描かれるのだ。史観が大仰であるというのであれば、それは歴史への目配りと言い換えてもよい。


 歴史の非情さ、歴史の皮肉をすかさず掬い取って見せるところに、作家天野(あまの)純(すみ)希(き)の天賦の才、歴史に対する目配りの好さが見て取れる。描写のひとつひとつに教養が匂っていて、こういう文章を書ける人は向後容易に輩出するとは思われない。
         (平成29年7月11日  雨宮由希夫 記)