雨宮由希夫

書評『別子太平記 愛媛新居浜別子銅山物語』

書 名   『別子太平記 愛媛新居浜別子銅山物語』
著 者   井川香四郎
発行所   徳間書店
発行年月日 2017年5月31日
定 価    ¥1800E

別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

 

 

 本能寺の変の3年後、豊臣秀吉による四国平定戦(“天正の陣”)。新居(にい)にその人ありといわれた金子備後守元宅(もといえ)が小早川景隆・吉川元長など毛利軍3万の兵に取り囲まれている。東予の2郡(宇摩郡・新居郡)の領主金子元宅(もといえ)は長宗(ちょうそ)我部元(がべもと)親(ちか)方に立って徹底抗戦し、壮絶な最期を遂げるが、本宅は“三つ蜻蛉紋”の金子家の家紋を三つに切り分け、「生きて国を守れ」と三人の若者、真鍋義弘・近藤保馬・黒瀬明光に託すところから物語ははじまる。
 落ち武者狩りから逃れるべく散り散りに別れた彼らは生きているうちに相見えることがなかったが、子孫が百年以上の時を隔てて吸い取られるように別子銅山に集まる――。

 いうまでもなく、別子銅山愛媛県宇摩郡別子山村から新居浜市にかけて存在した日本の代表的銅山である。
 本作は3部10章の構成で、戦国末期、元禄、そして幕末明治の3時代をクローズアップして別子銅山の「通史」を描いた歴史小説である。
 住友グループ企業城下町「工都・新居浜」は今年、市制施行80周年を迎えるが、それを記念して、本作は新居浜市とのコラボレーション企画として、地元出身の作家井川香四郎によって書下ろしされた。
 別子銅山は元禄4年(1691)の開坑から昭和47年(1972)の閉山まで一貫して住友が稼業した。よって、本作は企業小説『小説「住友」』として読まれる宿命がある。
 企業小説にはたいてい企業自体が編纂した“正史”というべき「社史」のごときモデルがあるが、綿密な取材、さらには“卑史野史”の類を取り混ぜ、思い切った推理を交えて、作家は物語を組み立て真実に迫る。現存する企業そのものが対象となる場合の通史を描くことの難しさは、いかにクールに客観性をもって描けるかにある。

 本書の出だしは戦国末期を舞台背景とした戦記物そのものだが、元禄以降は経済戦争の戦記物を読む感がある。
 第2章「泉屋の灯」から、時は下って、5代将軍綱吉の治世下の元禄年間。
 元禄3年(1690)、伝説の“切上り長兵衛”によって、別子にて新しい鉱脈が発見される。
 川之江代官の後藤覚右衛門(真鍋義弘の後裔)、住友泉屋の支配人の田向重右衛門(近藤保馬の後裔)、それに長兵衛(黒瀬明光の後裔)の三人はご先祖様たちが別れたという峠で打ち揃い、これぞ、ご先祖様のお導きと喜ぶとともに、三人は秀吉が金子備後守の支配する新居・宇摩を狙ったのは、伊予の山中に眠っている銅鉱という財宝ほしさに、無用な戦を仕掛けて、新居の地を奪い取ったことを知る。
 そもそも別子銅山を開くことの目的のひとつが勘定頭差添役(後の勘定吟味役)の荻原重秀の貨幣改鋳という狙いにあったとする場面があるが、如何にして「泉屋」が採掘権を勝ち取り、幕府と戦って、天領でありながら、別子銅山を手放さず、自ら営んでゆくかは本書の読みどころである。
 第6章「開国の宴」から幕末明治。明治維新の動乱に際し、別子銅山は危機に直面する。官軍を名乗る土佐藩別子銅山を接収するのだ。その時、「幕府に成り代わって、別子銅山を支配する権限、土佐藩にありや」と新政府にねじこみ、別子銅山の稼業権を認めさせたのは広瀬宰平(1826~1914)である。
 お雇い外国人を招いて近代化を敢行し別子銅山を再生し、住友のドル箱とし、初代の住友総理事となる広瀬は「東の渋沢、西の広瀬」と併称された実業家で、この広瀬なくして明治以後の住友財閥住友グループの隆盛はなかった。

 本書は鉱脈発見から283年にわたる別子銅山の苦難と歓喜の物語であるとともに、3人の男たちを先祖と仰ぐその末裔の物語としたところに歴史時代小説作家の本領が見て取れる。元禄7年の大火事で死亡した長兵衛と、灰燼とかした銅山の町にとどまり生きたその妻おときの生きざまを見よ。新居浜出身の作家井川香四郎の土地に根差した郷土愛が、先人たちの銅山にかけた情熱と常に命がけで生きてきた姿、さらには当時の時代意識までをもものの見事に甦らさせている。
 別子銅山の存在をかくも身近なものとした、この銅山にまつわる歴史小説の誕生を賀したい。
 
  (平成29年6月18日  雨宮由希夫 記)