「戦国や江戸って、どんな時代なの?」「昔の人たちが喋っていた言葉とか、食べていた料理とか、着ていた服とか、まったく想像できない⁉︎」「時代劇はどこまで本当なんだろう?」などなど。
とどのつまり、「歴史時代小説をもっと愉しみたい!」、常々そう思っているあなたのために贈るのが、このコーナーです。
歴史時代作家を目指す人たちも必読、デビューの近道となるかもしれませんよ!
第5話
「関ヶ原」はエンタメだった!?
『関ヶ原はいかに語られたか いくさをめぐる記憶と言説』
井上泰至
映画「関ヶ原」が盛況なようで一歴史小説ファンとしては欣快に堪えない(2017年9月21日現在)。司馬遼太郎の同名小説を原作に、義の人と位置付けられた石田三成と利の巨魁・徳川家康を対比させるという構図が実に鮮烈なコントラストを描き、あの運命の戦を彩る。もちろん司馬原作ということもあり昨今取り沙汰されている新説は採用されていないが、創作の核は考証に非ずと示して見せた点もまた鮮やかであった。
関ヶ原の戦いはこれまで、軍記や講談、小説など様々な媒体によって語られてきたせいもあり、イメージが独り歩きしていたともいえる。ゆえに現在、関ヶ原合戦の本当の姿を追い求めようという実証的研究が高まってきた一方で、「どのように関ヶ原合戦が語られてきたのか」という視座が忘れられようとしているのではないか、と危うくも感じていた。そんな私の個人的な不安を払拭せんばかりに刊行されたのが『関ヶ原はいかに語られたか いくさをめぐる記憶と言説』(井上泰至/編集、勉誠出版)である。
本書は「関ヶ原で何が起こったか」を立証しようとはしていない。むしろ、「江戸からこの方、関ヶ原はどのように語られてきたのか」を追っているのである。
関ヶ原の戦いは、江戸期に生きる武士にとっては己の家の存在理由にもつながりかねない大事件であった。関ヶ原で勲功を積んだことにより高禄についた武士もいるために、武士たちの間には「関ヶ原」のストーリー化が必要なのであった。その反面、歴史的事実である「関ヶ原」をエンタメとして楽しむために、庶民たちは武将たちにキャラクターを付与し、こちらでも「関ヶ原」のストーリー化が進んでいった。そんな裏事情が垣間見える本である。そして、江戸時代はこういった様々な「関ヶ原」像が並立していた時代であったのかもしれない、という気付きを得させてくれる本である。
上で述べたことに違和感を覚えたとすれば、あなたが現代的な歴史観の中に生きているからだ。今の日本史研究はおおむね日本に住む人の共通認識になりえるものとして編まれているが、江戸時代は地方分権的な社会で、身分ごとにも見えている世界や必要とされている歴史が異なる。立ち位置や身分によっても歴史の受容やその用い方、編み方に違いが出るのは当たり前のことと言えよう。
本書は、司馬遼太郎が「関ヶ原」を紡ぐはるか前、前近代の時代に歴史がどのように受容され、展開していたのかを知ることができる窓として機能しているのである。
刊行日:2017年8月25日
価格:2,200円+税