角度を変えてみるだけで、おかしみが湧く、悲しみがうずく――目の前に浮かび上がる歴史模様がまったく変わる。
人気作家ならではの、歴史を堪能する方法まで分かる、陽だまりの中でゆったり読んでほしい贅沢歴史コラム。
第1話
尼僧と歳三
『同方会誌』という雑誌を御存知ですか。
これは東京周辺の旧幕臣たちが作った本で、明治から、なんと昭和の戦前まで続いた会誌なのです。
内容は、バラエティに富んでいます。
元幕臣や、そのご子孫のみなさまの体験談や聞き書き。あるいは、戦国期からの徳川幕府の成り立ちを示した歴史的な記事。さらには、エッセイや詩、小説の寄稿などもあって、実に雑多で騒々しく楽しい雑誌でございます。
実は、この『同方会誌』……。かの
近藤勇が
寄稿者は元
だからといって、どこまでが事実なのかは皆目わかりませんが、千葉氏
だとすれば、
さて、その活躍ぶりはいかに。
当時、江戸の大久保では、大盗賊中川千巻一派が我がもの顔でのさばっていたと言います。
中川一派は残忍な性質で、押し入った家の主人を、ものも言わずに斬り倒してしまうのだとか。怖いですね。
江戸の人はみな震え上がります。ところが我らが近藤勇・土方歳三コンビは怖がるどころか発奮します。
まずは勇が、「けしからぬ」と友垣の歳三を強盗退治に誘います。
ある晩、二人はいつものように西大久保の
そこへ、
これはもしや盗賊どもか!
二人は急いで声を頼りに駆けつけます。
そして、増上寺の末寺にあたる尼僧院賓蔵庵に辿り着きました。
この尼寺には十七才くらいの少女から、七十歳前後の老尼までが仏に仕えています。
歳三たちが飛び込んできたとき、五人の大男がすでに抜刀して、今まさに尼僧たちを襲おうとしていました。
「
近藤勇が怒鳴りつけます。それから盗賊どもと数回の会話の
このあと乱闘になって、
問題は……と申しますか、私が個人的に注目したのは、この後の二人を描いた本文なのです。引用します。
「近藤と土方は恐れおののく若い尼僧たちを慰め『もう大丈夫だ』と夜明方まで番をして引き上げた」
わかりますでしょうか。
盗賊相手の時はだんまりを決め込んだくせに、尼僧を慰めるときは歳三もぬかりなく参加しているんですね。さすがトシさんです。
しかも、この尼寺には十七歳から七十歳までの年齢の尼さんが、そろっているんですけど、慰めているのは「若い尼僧たち」に限られているのです。おいっ。
……なんて正直な……。
と面白おかしく書きたいところですが、実際は震えていたのがまだ仏に仕えて間もない未熟な若い尼僧たちだけだったから……というのが真相でしょう。そうしておきましょう。
二人は盗賊を逃がしたのは自分たちの「腕が未熟だった」からだと残念がったそうです。
が、なにはともあれ、相手には深手を負わせ、このあと十数年は盗賊のボスの中川も、大久保
世間は「近藤の若先生のお陰」と
近藤が二十歳前後のころと言いますと、ペリーが来航するかしないか辺りでしょうか。
相手が盗賊とはいえ、武士でもない二人が刀を振り回してもいいのかという疑問も起こるかと思いますが、江戸のころは自衛でお百姓さんなどが盗賊を殺してしまうようなことはけっこう普通にあったようですよ。なにやかやと法の抜け道があったのでしょう。
本当の話とはにわかに信じ難い捕り物話ですが、二人の性格をよく
ちなみに中川は明治も三年過ぎたころ、ほとぼりが冷めたと油断したか、大久保にふらりと戻ってきたそうです。そして、お縄になって首を斬られたのだとか。
この頃にはトシさんも勇さんも、もういませんね。この世は無情でございます。
平成28年(2016)3月23日