神様の履歴書

 お稲荷様、八幡様、天神様……、
 これらはいったいどんな神様なのでしょう?
 初詣、七五三、夏祭など、八百万やおよろずの神様たちは私たちの生活に深く根差しています。
 日本古来の神様を知れば、時季折々の行事や日本文化への理解がさらに深まるはず。

第3話

天照大神〈3〉 天岩戸神話に描かれた太陽神・皇祖神という性格

 アマテラス大神のイメージを語るときに、どうしても欠かせないのが『古事記』や『日本書紀』に書かれている、有名な天岩戸あまのいわと神話の場面です。
 アマテラス大神の大事な性格をよく表しているということはもちろんですが、何と言っても日本神話の中でも一番のハイライトで、展開する華やかなドラマの主役である大神の魅力を広く人々に知らしめる要因にもなっています。

 そのクライマックスともいえるアマテラス大神の“天岩戸隠れ”の場面は、(大神に象徴される)太陽のエネルギーを失うと地上のすべての生命力は衰退し、その太陽が再生復活することによって地上に生命力が満ちる、というのが重要なテーマになっています。
 そしてこの神話は、偉大な日本の太陽神で、しかも皇祖神こうそしんという、今日私たちが知っている大神の2つの大事な性格が、この場面によって確立したことを象徴しているのです。

 アマテラス大神は、高天原たかまがはらで稲種を育て(五穀起源神話)、それを天孫ニニギ命(邇邇芸命ににぎのみこと)に持たせて地上にくだらせます(天孫降臨神話)。その稲作とも深く関係するのが太陽です。
 そういう太陽の死(天岩戸隠れ)と再生復活のテーマは、食物を恵む太陽への感謝を表す古代の太陽祭祀の農耕儀礼と密接にかかわっています。

 古代の人々は、太陽のエネルギーが弱まる冬至(北半球で昼が最も短くなる日。現在は12月22日頃)を、太陽がいったん死んでまたよみがえる日と考えました。
 こうした太陽信仰は世界各地に見られるもので、その時期に人々は太陽の復活を願って神祭り(太陽の死と再生の儀式)を行なったのです。

 アマテラス大神の巫女みこ的性格(太陽神に仕える霊能女性)と祭政一致の伝統を残す古代の統治=政治スタイルとの結びつきについては前回にも触れましたが、天岩戸神話は大和朝廷の宗教的な権威を高める太陽神の統一的な祭祀権の掌握を表しています。
 そして、このとき、つまり大和朝廷が太陽神の創祀権を獲得したときに、太陽神アマテラスは皇祖神に昇格したのです。

 神話の“天岩戸隠れ”において、アメノウズメ命(天鈿女命あめのうずめのみこと)の歌舞に誘われて、アマテラス大神が天岩戸から出てきて世界に太陽の光をよみがえらせるという場面があります。
 これは古代の朝廷で行われていた鎮魂祭(タマフリノマツリ、タマシズメノマツリとも読む)の行事がモデルとされています。

 鎮魂祭は、古くから冬至のころ、すなわち旧暦十一月の中の寅の日に行なわれたもので、もともとは天皇の身体から遊離する魂を招き返して健康を維持する呪術的な儀式でした。  やがて、この行事に伊勢の猿女君さるめのきみ(祖神はアメノウズメみこと)の太陽祭祀や朝廷祭祀をつかさどる物部もののべ氏のタマフリ(鎮魂、魂振り)祭祀の様式が取り入れられて朝廷の祭祀として行なわれるようになりました。

 まとめてみれば、要するにアマテラス大神を祀る太陽祭祀の儀礼を、大神の子孫(日の御子)である天皇の健康保全の儀式である鎮魂祭に重ねて行うことによって、大神の皇祖神としての性格が確立されたというわけです。
 つまり、天岩戸神話が日本神話中の最大のハイライトと位置づけられ、その中で大神のイメージが華やかに印象的に描かれている理由は、日本中の数ある太陽神の統一的存在であり、国家鎮護・天皇守護の皇祖神であることを強調するための神話的演出とも言えます。

 以上のようなアマテラス大神のイメージは、あくまでも『古事記』や『日本書紀』の神話が成立した時代に出来上がったものです。
 それ以前のアマテラスの原像は、古代日本で盛んに行なわれた太陽信仰と太陽祭祀の中にあるといえます。

 いま私たちがその面影に触れることができるのが日本の各地に残る太陽祭祀遺跡です。
 その代表的なものとしては、縄文時代後期の大湯環状列石おおゆかんじょうれっせき(秋田県鹿角市十和田大湯かづのしとわだおおゆ)、古墳時代の本州最南端潮岬しおのみさきの高塚の森(和歌山県串本町潮岬、潮岬神社社領)、三輪山みわやま西麓の山ノ神祭祀遺跡かみのやまさいしいせき(奈良県桜井市)などがあります。

戸部 民夫

とべ たみお

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