神様の履歴書

 お稲荷様、八幡様、天神様……、
 これらはいったいどんな神様なのでしょう?
 初詣、七五三、夏祭など、八百万やおよろずの神様たちは私たちの生活に深く根差しています。
 日本古来の神様を知れば、時季折々の行事や日本文化への理解がさらに深まるはず。

第2話

天照大神〈2〉 太陽神アマテラスはなぜ女神なのか?

 太陽神は、世界的にも男性神がほとんどで、古くは日本でも男性の太陽神が中心でした。
 そこで、“謎多き女神”ともいわれるアマテラス大神の、謎の1つとされるのが、「なぜ女神なのか?」です。
 この謎解きについては諸説ありますが、一般的には「男神から女神への変身」という流れが考えられています。

 アマテラス大神のもともとの性格は、けっこうはっきりしています。
『日本書紀』に「大日孁貴おおひるめむち」という古い名前が書かれています。
 この別名は、原初のアマテラス大神の姿をうかがわせるもので、「偉大な太陽の女性」を意味します。
「ヒルメ」には、太陽神そのものをさす「日売(日女)」と、太陽神の妻をさす「日の妻」という二重の性格が含まれています。

 古代の稲作農耕社会では、各地方に名も無き素朴な男神の太陽神(日の神)がまつられていました。
 太陽神を祀るのは多くが女性(巫女みこ=シャーマン)の役割で、その巫女は「神の妻」ともみなされていたのです。
 ということで、これがアマテラス大神の原像と考えてよいでしょう。

 その後、祀る女性(巫女)と祀られる男神(太陽神)とが混同され、男神に代わり太陽神として祀り上げられた「日売」が、今日の私たちがよく知っている日本神話に記されたアマテラス大神の姿というわけです。

 それにしても、日本の太陽神信仰においての大事件とも言えるような、男女の地位逆転がなぜ起こったのかという疑問が残ります。

 この背景については、祭祀さいしを行う女性の霊力(呪術的能力)が重んじられ、政治を行なう男性より地位が高かったという、弥生・古墳時代以来の精神的、民俗的な土壌がありました。
 有名な邪馬台国やまたいこくの女王・卑弥呼ひみこなども、太陽神を祀る巫女であり、妻でもありました。

魏志倭人伝ぎしわじんでん』に「鬼道を事とし(霊能・呪術による祭祀を行なうこと)、よく衆を惑わす」と記されている卑弥呼のイメージにも象徴されるのが、祭政一致の古代社会でのシャーマン的女性の優位性です。

 それが一種の伝統的な雰囲気として飛鳥・奈良時代まで残り、その影響は天皇が祭祀を行うという古代の統治=政治のスタイルにも及んでいました。
 具体的には、「女王(卑弥呼)→女帝(推古すいこ持統じとう元明げんめい天皇)」のつながりとしてみるとわかりやすいでしょう。

 では、男神から女神への転換の分岐点はいつごろだったかというと、日本神話が言葉として初めて記録された時期です。
 すなわち、女帝である持統・元明の姉妹天皇のもとに、『古事記』や『日本書紀』が成立した時代という説が有力です。
 この時期に、太陽の女神(同時に皇祖神)としてのアマテラス大神の性格が確立したと考えられています。

 このときアマテラス大神の人格的モデルとなったのが古代の女性でした。
 誰とははっきりはしておらず、その一人には卑弥呼の名も上げられたりしてロマンを誘いますが、一般には「日本最古の女帝」とされる推古天皇(在位592~628)が有力です。
 さらにいえば、記紀編纂時期の存在である持統・元明の両女帝なども候補の一角を占めています。

(「天照大神あまてらすおおみかみ〈2〉 太陽神アマテラスはなぜ女神なのか?」の回 了)

戸部 民夫

とべ たみお

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