おにがみ
 源頼光と家来の四天王によって、酒呑童子が討取られてから、ひと月後――。都近くの北ノ村に住む藤丸は、村の者を飢えから救うために、獲物を追って天ヶ岳の奥まで足を踏み入れていた。が、天狗が住むと云われる不吉な山の急斜面から転げ落ちてしまった藤丸。立ち込める朝もやの中、気を取り戻した藤丸の耳に聞こえてきたのは、赤子の泣き声だった……。

第2話

村祭りの悲劇

     一

 山の大岩から見下ろす大原おおはらの里には、黄金こがね色に染まった田圃たんぼが広がっている。
 大きく両手を上げて息を吸った若者は、山肌に突き出した岩棚の上で大の字になった。
 空には、魚のうろこにも似た薄雲が広がっている。
 若者は、大きく口を開けてあくびをすると、空に向けていた目を閉じた。
 山肌をけ上る風は、ひんやりと冷たい。山の木々が葉を色とりどりに染めるのも、もうすぐだ。
 若者は、一番好きな季節が来ると思いつつ、また、あくびをした。
 麻布の着物に、鹿皮を腰に巻いた若者は、総髪を後ろで束ねている。山に暮らすには似合わぬ顔立ちをしていて、大原の里に下りたときは、たまに女に間違えられることもある。
 背が高いほうではなく、身体も細身だからだろうと、若者は思っているが、気に病んだことはない。
 十八歳になったばかりの若者は、村の仲間と共に狩をしに山へ入ったのだが、獲物を待つ間に退屈となり、一眠りしようと横になっていた。

じんまる! そっちへ行くぞ!」

 山の中から声がした。

「なぁにが、そっちへ行くぞ、だ」

 獲物を取り逃がした仲間の声に眠りを邪魔された神丸は、不機嫌な声をあげて身を起こした。

「神丸! 出るぞ!」

 あくびをしながら、へいへい、と独りごち、横に置いていた七人張りの強弓こわゆみを握ると、矢をつがえた。
 鋭い眼光を獣道に向けて、獲物が飛び出すのを待った。
 細い木の枝が揺れ、草の茂みがざわついたと思うや、黒い影が飛び出してきた。笹の間の獣道を駆け、神丸がいる岩棚へ向かってくる。
 強弓を引いていた神丸は、ちっ、と舌を鳴らすと、腕の力を抜いた。
 まだ毛の横筋模様が消えぬししの子が、神丸のいる岩の下を駆けて行き、反対側の茂みに突っ込んで逃げ去った。

「おい神丸! おまえ、わざと逃がしたな!」

 茂みから追って出た背の高い男が、文句をいいつつ、長い手足を振って駆け寄ってくる。

「まだ子ではないか」

 神丸は、大きくなるのを待ったほうが肉が多く取れるといい、横になろうとしたのだが、ふと、笹の茂みに目を向けた。
 獣道の両端には、駆けてくる若者の胸ほどもある笹の茂みがあるのだが、山側の笹が揺らいだのだ。
 神丸が声をかける前に気付いた若者が立ち止まった。その刹那せつな、目の前に、大熊が現れた。
 慌てた若者が逃げようとしたが、熊が立ち上がった。
 熊の鋭い爪にかかっては、人などひとたまりもない。
 逃げながら振り向いた若者は、熊に襲われる恐怖に悲鳴をあげ、腰を抜かして尻餅しりもちをついてしまった。
 熊が黒い巨体をゆさぶり、若者に襲いかからんとしたその時、放たれた矢がうなりをあげて飛び、熊の首をね飛ばした。
 どさりと覆い被さる熊の巨体の下敷きとなった若者が、白目をいて気絶した。
 大きく息を吐き出した神丸が弓を下げ、岩棚から飛び降りると、若者に覆い被さる熊の巨体をどけてやった。
 泡を噴く若者のほほたたき、

「おぉいわかたか、戻ってこいよ」

 などといっていたが、ふと気配に気付き、立ち上がった。
 山の茂みの奥に、何かいる。
 何ともいえぬ邪悪な気配に、神丸の身体は鳥肌が立っていた。
 帯に差した小太刀に手をかけた。
 もの心ついたころから身に付けている小太刀こだちに、神丸は羽根切はねきりまると名付けていた。空から落ちてきた鳥の羽を刃で受けたところ、触れただけで二つに切れたので、付けた名だ。
 神丸は羽根切丸を抜刀し、邪悪な気配が潜む茂みをにらんだ。柄を握る両手を右頬の横まで上げ、切先を前に向けると、ふと、気配が消えた。
 若鷹がうめき声をあげて身を起こしたので、神丸は茂みから目を離し、羽根切丸をさやに納めた。
 あたりを見回す若鷹が、横たわる熊に目を止め、血に汚れた顔を神丸に向けた。

「俺は、助かったのか」

「日が暮れる前に、山を下りるぞ」

 神丸は友に手を伸ばして立たせると、仕留めた熊を二人で担いで、村に帰った。

佐々木 裕一

ささき ゆういち

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