四
王直とは、明国の徽州府出身の海商である。
かつては、許棟など大物密貿易者の配下として暗躍していたが、非合法の海上交易商人の倭寇の世界で実力をつけてきたのであろう。いつしか、東アジア海域を仕切る〈闇の帝王〉ともいえる顔役、倭寇の頭領になっていた。むろん、中国の〈郷紳〉らの後ろ盾があったからである。
一方で、博多商人を仲介に大内氏に安堵され、中国と朝鮮との公許を得ていた。つまり、裏表の顔があったということである。
だが、『鉄砲記』にもあるとおり、明の儒生、つまり学者であり、暴力で取り仕切る倭寇とは結びつかぬ風貌であった。たしかに、頭も切れそうであるが、日新斎の言うとおり、どこまで信頼できるかは分からなかった。
沖合の帆船に向かう艀の上で、又四郎は緊張よりも、わくわくする気持ちで昂ぶっていた。助六と勝左衛門も平気な顔をしていた。だが、あまり水練が得意でないふたりは、沖に出るとすぐ深みとなって、海の色が濃くなるのを見ると、
――大丈夫か……。
という不安な目つきになっていた。
しだいに近づいてくる船は、正式な貿易で使われるポルトガルの大型のダウではなく、百人程しか乗れない、中国のジャンクと呼ばれるものだった。
ダウは大きなふたつの大三角帆が張られてあって、傾いた帆柱によって、風の中を鋭く走ることができる船だった。目の前に迫ってきている船は、独特な竜頭のような形をしたジャンクといっても、いわゆる中国がよく使っていた〈宝船〉ではなく、大西洋貿易で使われるカラックやカラヴェルという大型帆船に形状は似ていた。
船首が伸びやかで、そこから碇が降ろされており、なだらかな船体は美しく湾曲している。船尾甲板がグイッと持ち上がったような形も見事だ。三本の帆柱が天に突き刺すように伸びていて、長旗が風に靡いている様子は、又四郎の心をときめかせた。
日明貿易において、遣明船を出したのは、応永八年(一四〇一)から天文十六年(一五四七)までの百五十年間で、十九回に及ぶ。あくまでも建前であるが、足利将軍が明の皇帝を表敬し貢ぐという形を取っていた。
足利幕府の持ち船が中心ではあったが、費用がかさむことから、有力大名や寺社が営む船も加えて、数隻から十隻の船団を組んで、千数百人の規模で行くことが多かった。山名船、大内船、細川船という大名船や、相国寺船、大乗院船、三十三間堂船など寺社船と一緒に、島津船も向かったことがある。
第6話: 遙かな海〈四〉 (1/6)
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